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「ねえシュワルベ、何でアンタって盗賊なんてやってたの?」 突然あの女――――マルローネが、そんなことを尋ねてきた。 飛翔亭でグラスを傾けていたら、マルローネは俺を見るなり出会い頭に言い出した。あまり大声で言えないような内容だからか、音量は小声だ。それは喜ばしいことだ。こんな過去がある人間は冒険者といえども生きにくい。 「…突然何だ」 「んー? ちょっと気になっただけよ。あ、フレアさーん! こっちにワイン一本追加ー!」 「はーい、ちょっと待っててねー」 ここの店主の娘――――フレアと言うらしい。その娘がカウンターからひょっこりと顔を出してマルローネの注文を受けるのが見えた。 それからすぐに俺の座るテーブルにその娘の手でボトルが一本が置かれた。ボトルの中身は赤ワイン。今は亡きベルゼンブルグ城で作られた年代物のワインだ。かなりの希少価値が高い物だが、それを頼むとは。 「…おい」 自然、声が低くなる。こういった手のパターンは分かり切ったことだ。 「だいじょーぶよ。きちんとアタシが払うから」 これでもお金持ちなんだから。そうマルローネは続け、俺の目の前の椅子に座った。あまり人と関わるのは好きではないが、この女だ。仕方があるまい。既に諦観の念が胸を占めていた。 だが、この女が金持ちだ、というのは確かなことだ。俺の盗賊団がこの女に壊滅される前、この女が俺の盗賊団に挑んでは負けるという構図を繰り返していた頃。敗者と勝者の定めとして身ぐるみを剥いでいた時、この女や回りの冒険者からは実用的だが売ればかなり高価な物ばかりが出てきていた。質も効力もAを軽く越し、Sに到る程の代物。それを真っ当に売った場合は金持ちになるのは当たり前だろう。こちらは相手に売るときは真っ当に、ではなくかなりふっかけてやったが。 錬金術、というものが金になるということを知った瞬間だった。だがその錬金術師になるためのアカデミーに入るのもかなりの金額が必要なのだろう。 「で? もう一度聞くけど、何でアンタは盗賊なんかやってたの? アンタなら腕っ節も強いし度胸はあるし冒険者としてやっていけた筈よ? それに、アンタいい奴でしょ。アンタはアタシ達が何度負けても、身ぐるみを剥いだだけで命までは取らなかった。乱暴もしなかったしね。それに、アンタがやってた盗賊団、みんなアンタを慕ってたもん。そういう奴が何で盗賊なんかやってたわけ? アタシはそれが気になるだけよ」 マルローネはやってきたワイングラスに豪快に赤ワインをぶち込みながら俺に尋ねた。赤い雫が古い木でできた机に落ちた。あれは高い代物だというのに、その価値を分かっていながらの行動なのだろうか。…きっと分かっていないのだろうが。こういう人間にとって、酒は飲めればいい程度の代物でしかない。 今ではあまり高い酒を味わえない身の上になった俺は、そのおこぼれに与ろうと空になった自分のグラスを無言で差し出した。マルローネは素直にグラスにボトルを傾ける。 赤い、どこかの国の神の子と呼ばれる存在の血がグラスを満たす。その香しい匂いを味わって、それからグラスに口を付けた。グラスに注いでそのまま一気に飲み干すマルローネとは大違いだ。 「で? 話してくれるわけ?」 「…少し待て。ワインの香りが逃げる」 それだけを返すとワインの香りに没頭する。濃厚な香りと味。赤いワインを神の子の血、とはよく言ったものだ。神の子というのは煩悩を禁じられている聖職者の免罪符だが、血というのは確かに当て嵌まっている。あまりにも匂いも味も何もかも濃すぎるワインは、そうではないとは知っていながらも血の味と錯覚させる。 「ふーん、まあアタシとしては話してくれるならいいけど。あ、ワインまだ飲む?」 「貰おう」 ボトルを差し出したマルローネに、もう一度グラスを差し出した。マルローネは先ほどを全く変わらない様子で豪快にワインをぶち込む。それからつまみがないことに気付いたのか、カウンターに何か注文を出した。大声で定食の名前を叫んでいることから、どうやらここには食事をとりに来たようだ。すぐに定食がやってきた。 それにしても、古い話を持ち出すものだ。何故盗賊になったか、ということは何時盗賊になったか、ということを尋ねているのと同じことだ。何時盗賊になったかなどあまりにも古い記憶で覚えていない。だが何故盗賊になったかということは、鮮明に覚えている。 目の前でマルローネは食事をとりだした。あまり食事をとりながら聞くような内容でもないが、それはこの女の不注意でしかない。それとあまり思い出したくないことを思い出させた、軽い恨み言だ。 「口減らし、という言葉を知っているか」 サンドイッチを口一杯に頬張ったマルローネが目を丸くした。それから手に持っていたサンドイッチを皿に戻し、勢いよく首を横に振る。長い金の髪が靡いた。 「…知らない、か。お前、幾つだ」 「アタシ? 19よ」 「生まれは」 「グランビル村だけど…どしたの? 急に」 「グランビル村か…成る程」 マルローネの年が19、そして生まれはグランビル村。これでは知らないのも無理はない。口減らしという行為はシグザールとドムハイトとの戦争があった12年前より前に行われていたことだ。確かにそれ以降も行われていたが、それは戦地になった国境際の村々のことだ。グランビル村は国境からは遠く離れている。この女は戦争の匂いなど嗅いだこともないだろう。 「12年前、戦争が合ったことは知っているな」 「ええ、でもそれがどうしたのよ。それに口減らしって何? 何なのよ、一体」 マルローネが急いたようにこちらに尋ねてくる。ワインの入っているグラスを弄る。濃厚な血の匂いがする。 「…口減らしというのは、飢餓などによって食うに困った一家が、少しでも自分の分の食料を確保しようと家族である子どもや老人を捨てる、もしくは殺すことだ」 思い出す。あの血の匂いを。ずっと昔に嗅いだことのある、濃厚な血の香り。一番最初に嗅いだ、あのどす黒い、それでいてこのワインよりも赤かったあの血。 平和だった日々。何一つ変わらなかった、幼かった自分。両親と祖父母と自分の5人で過ごしていた穏やかだった毎日。笑っていた祖父母と両親、そして自分。 ――――それが、変わってしまったのは、何時だったか。 「…俺の生まれは国境際の村だ。そこでは戦争とまではいかなくとも、ドムハイトとの小競り合いが毎日繰り返されていた。そのせいかどうかは分からんが、何故だか食料がなくなっていく家が多かった。だからほとんどの家が飢餓によって倒れていった。いつの間にか飢饉と同じような状況になっていた。そして、俺の家の食料が底を尽きた」 坦々と、事実だけを述べていく。幼い自分の分かることはこれだけだ。 いつの間にか世界は変わっていた。自分の与り知らないところで、この身を取り巻く世界は変わっていたのだ。 それに自分は、ついぞ気付くことはなかった。 「様々な家庭で口減らしが行われていた。昨日まで遊んでいた隣の家の友人がいなくなっていたことなど当たり前だった。だから、今度は俺の番なのだと気付いてしまった」 世界は疲弊していた。夜中、食料がないと嘆く両親と祖父母を何度も見てきた。だから自分がいなくなることで家族が楽になってくれるのならば、それでいいと思った。 それ以上に、疲弊した世界に誰よりも疲弊していたのは自分だったのだ。だから楽になりたかった。 夜中に聞こえる怒鳴り声。どこからか聞こえる友人の悲鳴。ドムハイト側の村との小競り合い。もう、うんざりしていた。 「そして俺は山に捨てられた。その山には鬼が怪物が住んでいると言われ、それを信じていた俺はすぐに食われてしまうのだろうと思った。だが実際にはそこに住んでいたのは怪物でも何でもなく、ただの盗賊だった。その盗賊に筋がいいと言われ、俺はその盗賊に拾われた。それからお前に俺の盗賊団が壊滅されるまでずっと、盗賊として生きてきた。 それが、俺が盗賊になった理由だ」 実際には両親に山に捨てられたついでに殺されかけ、それを殺し返してやったことから盗賊に筋がいいと見込まれた理由だということは、特別言うことでもないだろう。 この女に、そこまで言う義理もない。 「ねえ、アンタ国境際の村の出なんでしょ? じゃあ何でザールブルグ近くのマイヤー洞窟なんていたの?」 「その盗賊は元々マイヤー洞窟を拠点としていた。そこに連れて行かれただけだ」 そこから後は、特別なことは何もない。盗賊として教育された俺はそのまま盗賊となり、頭角を現して盗賊団の頭となった。それだけだ。他に特筆すべき事など何もない。 マルローネは自分もワイングラスを手にとって、んーと唸りながら俺に尋ねた。 「じゃあさ、アンタにとってあの盗賊団は家族みたいなもんだった?」 「…そうだな」 家族。確かに形容しがたい奴らばかりだったが、表現として一番近いものはそれだろう。長い間連れ添ってきた家族。ほとんどが親兄弟に捨てられた輩ばかりで、そういった意味では血の繋がった家族よりも家族らしかったかもしれない。 「じゃあ悪かったわね、アンタの家族バラバラにさせて」 「ふん、お前がそれを言うか。…別に気にすることでもない。連絡を取ろうと思えば幾らでも出来るし、全員盗賊以外にも生きる術を持っている。ただ真っ当な道を進むことを拒んでいただけだ」 ワインを飲み干して立ち上がる。あの女が何を聞きたかったのかは知らないが、質問には全て答えた。ちょうどボトルも空になったことだし、これ以上ここにいる義理もないだろう。 カウンターに自分の分の代金を支払う。…ついでに、あのワインの代金も。高い代物だと分かっていても、ここは払っておくが無難だろう。 店から出る。 扉に手を掛けるその前にふと立ち止まって、未だワインを飲み続けるマルローネに振り返って声を掛けた。 「マルローネ」 あの女が顔を上げる。 「この街は、平和だな」 俺の言葉に女は目を瞬かせた。どうやら理解できていないようだ。だがそれからすぐに合点がいったのか、 「…うんっ!」 マルローネが笑った。それを見届けて、飛翔亭を後にした。 外に出れば夜の空気が肌を突き刺した。冬の空気。酒を飲んだからか、不思議と寒さは感じなかった。 そういえば盗賊団をしていた頃も、こんな風に寒い日には全員で酒を飲んで体を温めていた。 平和な日々だ。不思議と心からそう思う。 だからからか今から柄でもないことをする。笑ってくれるな、俺もそう思うくらいだ。 夜空を見上げる。深く息を吸う。 この胸に悲しみはなく、家族に近い盗賊団を壊滅させられた恨みもない。別にまた盗賊団を作ろうとも思わない。作ったところで以前の面子が揃うわけでもない。 だから、思うことは一つだけだ。 この空の下に住まう昔の仲間が今も幸福であるようにと、祈った。 |