Auf Wiedersehen!


「これでよしっ!」
 必要な物は全て揃った。アルテナの水、ほうれんそう、栄養剤に解毒剤、アルテナの傷薬、ミスティカティ、フラム、クラフト、メガフラフト、フォートフラム、メガフラム。精霊の光球に神々のいかずち、ガッシュの木炭、時の石版。それから、――――エリキシル剤。
 それから必要な物。月と星の杖と、少しのお金。あとは水と食料。それだけ。鞄の中に詰め込むのは、それだけでいい。

 今まで作った、今までの努力の結晶を全て鞄の中に詰め込んで、アタシはこれから旅に出る。


 工房を出て、飛翔亭の前を通る。別れは言っていない。でも言う必要もないのではないかと思う。ルーウェンは両親の元に戻ったし、キリーさんは元の世界―――魔界に帰ってしまった。他の人にはシアから言ってくれるだろう。一応シアには言っておいたのだから、そこから徐々に広まっていく。
 ああ、でも――――。
 頭の中に思い描いた人がいた。黒髪に琥珀の瞳、いつもボロボロの服で、いつだって無口で無表情な、あの。
 本当ならたった一人だけ、言っておかなくちゃならない人間がいる。

 でも、アタシはそれを無視して飛翔亭の前を通り過ぎていく。


 それから、アタシは真っ直ぐに城門に向かった。真っ直ぐに前を見据えながら、この街に戻ってくるのもこれが最後だとばかりに街の光景を網膜に焼き付けながら通りを進んでいく。
 …シアには一週間もしない内に街に戻ってくるかも、と冗談交じりに言ってみたけど、きっとアタシは早々この街には戻ってはこないだろう。アタシは世界をこの目で見てみたい。世界とか、錬金術とか、色んな人とか、久々の故郷とか、綺麗な物とか、嫌な物とか、そういうのを全部この目で見たいから。
 だから世界を旅する。行く当てはない。ザールブルグの南のドムハイトに行こうか、それとも山を越えてカスターニェに行こうか。それとも北に行ってカリエルという手もある。アタシはそれすらも決まってないのだ。
 でも、それでいいと思う。アタシは今もこれからも、そんな風に自分勝手に勝手気ままに、たった一人で色んな人に迷惑掛けながら生きていくんだから。

 城門をくぐる。
 これからは外だ。ここから、アタシの旅が始まる。シアには別れを言ったし、いつ出発するかも行ってない。だから見送りはきっとないだろうなと思っていたのに――――、

「あれ? アンタ、何でこんなとこにいんの?」
「…随分な言い様だな、俺がここにいては何か悪いのか」

 そこに、アタシは一つ影を視認する。
 城門に佇む影。黒髪に琥珀の瞳をした、いつもの古びたボロボロの服で城門に寄りかかって誰かを待っている風にも見える、その影。

「シュワルベ」
「何だ、マルローネ」

 シュワルベは珍しくアタシの名前を呼んだ。基本的に会話は成立するけど、コイツがアタシの名前を呼ぶことなんて滅多にないのに。
 だけど、こんな時に逢えるのはきっといいことだ。今まで怠けていたアタシがこの5年間頑張り続けたから、神様からのご褒美かもしれない。
 旅立つ前に未練や後悔を残すのは、あんまりいいことじゃないから。

 アタシは大きく息を吸い込んだ。アタシは何故かコイツにだけは自分で別れを言いたかった。シアからではなく、飛翔亭の冒険者たちからではなく、アタシ自身がコイツに別れを言いたかった。それはきっと多分、コイツに対する未練を断ち切る為だ。
 アタシは、コイツと別れたくない。無口で無表情で、何考えてるか分かんなくて、何か出所がよく分かんないようなものも売ってるし、依頼品は何に使うか聞くななんて言ってくるし、元盗賊団の頭だし、でも何かいい奴で。コイツと一緒に冒険をしてる時が一番楽しかった。

 だから、コイツと一緒に旅できれば、なんて。思ってしまうアタシがいる。
 でも、アタシは――――

「あのねシュワルベ。アタシね、」
「マルローネ」

 アタシの言葉を遮るように、シュワルベがよく通る声で口を挟んだ。いつの間にか俯いていた顔を上げる。シュワルベがいつものように感情の読ませない琥珀の瞳でアタシを見ていた。

「護衛は必要か?」
「――――え?」

 何を言っているんだろう。アタシはこれから旅に出る。いつもの冒険とは違う、ザールブルグにいつ戻ってくるかも分からない旅だ。何をするかも分からない、どこに行くかも分からない。当てのない根無し草。それなのに何故、護衛なんて。
 そこで、アタシの頭に閃く物があった。もしかして、アタシがそう思っているのと同じように、コイツもそう思っていてくれたら?

「もう一度聞く。護衛は必要か?」

 シュワルベの声がもう一度響いた。アタシはばつの悪い顔を浮かべた。

「…アタシ、そんなにお金ないけど、それでもいい?」
「構わん」
「いつここに帰ってくるか分かんないよ?」
「ここは元々俺の居場所ではない。どうでもいいことだな」
「行く当てないよ?」
「構わん。それにお前になくとも俺にはある」

「じゃあ、最後」

 質問を投げかけても、シュワルベはいつものように問答無用で答えを返してくる。まるでアタシの思い付いたことを肯定するみたいに。
 だったらアタシも、質問はこれで最後にしよう。


「アタシに振り回される覚悟、ある?」
「――――上等だな」


 互いに顔を見合わせて、それから唇の端を吊り上げて笑い合った。

 ――――ああ、それだけで充分。
 アタシはコイツを思う存分振り回して、コイツはアタシに着いてくる。
 それを確認できただけで、それだけでこの旅は充実したものになる。


「じゃ、行きましょうかシュワルベ。荷物はきちんと持ってる?」
「誰に言っていると思っている。…元々荷物などない。それに、お前がそれだけ持っているのならばそれだけで充分だろう」
「あ、それもそうね」


 きっとこの旅は多分、アタシが暴走して、それをコイツが止めて。
 そんな風に過ぎていく筈だ。

 でも。
 嫌なことがあっても、苦しいことがあっても、泣きたいことがあっても、死にたいような目にあっても。
 きっと、コイツがいるならアタシは大丈夫。
 アタシはコイツがいるだけで、それだけでどんな苦難にも立ち向かえる。
 どれだけボロボロになってもどれだけ瀕死でも、コイツが傍にいるだけで、アタシは見栄を張って人生に立ち向かっていける。生きていける。

 それだけで。それだけで。
 ――――充分だ。


 いつかきっと、二人の道が違うときがやってくるけど。
 それは絶対に避けられない宿命だけど。
 それまでは。

 きっとずっと、傍にいて。


「それじゃ、これからヨロシクねシュワルベ。アタシのサポートよろしく」
「…ふん、えらく大仕事を押しつけたものだな、貴様も。
 まあいい、構わんだろう。――――よろしく頼む、マルローネ」


 そして、二人揃って城門から足を踏み出した。



***

[ Zugabe ]

「そういえば、アンタの用事って一体何?」
「…前に言っただろう。貴様曰く俺の家族であるらしい盗賊団の連中だ。久々に連絡があったかと思ったら、会いに来いとの言葉だ。仲間であり家族であった者の言葉だ、会いに行くのが筋というものだろう」
「ふぅん。で、それどこ?」
「…グランビル村、とか言っていたな。貴様の故郷だ」
「へー、アタシもグランビル村に帰ってないからなあ…。よし! じゃあ、まずはアタシの里帰りね!」
「…分かった。一つ聞くが、旅をするというのだから、勿論歩きだな?」
「うん。そのつもりよ」
「どの道を通って行けばいいのか分かっているのか?」
「…あ」
「……」
「あはは、はは」
「………」
「しょーがないじゃない! こっちに来たのってもう10年前くらいだし! その時も馬車で来たから道が全然分かんないのよ! って、あ! シュワルベ! 置いて行かないでよぉぉぉ…」