浦原隊長黒崎副隊長話
(始)


 一護は溜息を吐いた。あぁ、空が青い。
 一護の目の前には人様の屋根の上に悠々と佇む月色の髪をした男。いつものように胡散臭いゲタ帽子がいる。数年前10間だけ教えを請うた、だけど紛れもなく己の師であり、一応は恋仲だと言い張れるような相手だ。
 一護は死覇装姿で屋根の上に立っていた。つい先ほど日中にも関わらず虚に奔走されてきたばかりだ。あのゴタゴタした日々から数年経っているのに、一護は相変わらずそんな風に過ごしている。
 そしてようやく帰ろうとしたときにやってきたのがこのゲタ帽子こと浦原喜助だ。相変わらず突拍子もなく一護の前に出現する男。そういう意味では一番最初の頃から何も変わっていない。
 それで、このゲタ帽子。虚退治で疲れている一護に何を言ってきたかと思ったら、どうやら尸魂界からの永久追放罪が解かれたらしい。浦原がいつものようにさらっと言ってしまうので、一護の方もさらっと流してしまった。だがよくよく内容を反芻してみれば驚愕に値することだ。一護は思わず目を見開いて、本当かと尋ねた。浦原は本当だと頷く。確かにこの男は嘘ばかりをついているが、こんな嘘をついても意味はない。
 そして、最初の溜息に戻るのだ。見上げた空は青かった。見事なまでに青かった。
 一護は目を見開いて真偽を確かめて、それから何の反応も返さなかった。
 いつか、こんなことになるのではないかと思っていた。永久追放されている浦原は尸魂界に行くことができない。だが、こんな男が尸魂界を追放されたことだけで尸魂界に関わることがないと思うことが間違っているのだ。数年前のゴタゴタの日々の中、浦原は一護達を見事に操って自分の目的を果たした。それであちらの連中も浦原の危険性を分かっているはずだ。それよりかは自分たちで手綱を握って監視していた方がよっぽど楽というものだろう。
 あまりそういった事情に詳しくはない一護だって分かる。何年あの男の傍に居続けたのだと思っているのだ。何年この死神の姿で居続けたと思っているのだ。思春期の数年は偉大だ。数年経てば、様々なことが大きく変わる。一護にとって、それは様々な戦闘能力だったり、洞察力だったり、様々な覚悟だったりしただけだ。
 だから、いつかこんな日が来ると思ってはいたのだ。
 あぁ、空が青い。雲一つない青空。風もなく、漂っているのは静けさだけだ。それは見事なまでの快晴で、陽射しが強くて一護の目を刺した。強すぎて、まるで泣いてしまいそうな。
「…一護さん?」
 反応がない一護を不審に思ったのか、どうしたんですかと浦原が声を掛ける。一護はようやく浦原の顔を見た。浦原はいつもの格好だ。昔一護がゲタ帽子と称した格好そのまま。だが、この格好も見られなくなるのだろう。尸魂界に戻るということはそういうことだ。浦原が尸魂界に戻るということは、同時に十二番隊隊長にも戻るということであるし、上手くいったら浦原が作った技術開発局の局長にも戻れるかもしれない。そうなったら、浦原がこちらにコンタクトを取る方法などないだろう。
 あぁ、空が青い。
「えーと、つまり、あれだな。永久追放罪が解かれたってことは、尸魂界に戻るってことなんだよな」
「はい、そういうコトになりますね」
「で、多分十二番隊にも戻されるんだよ、な?」
「そうでしょうねぇ、アタシみたいなのを戻して隊長にしないなんておかしいですしね。使える物は何でも使え、がアチラさんの基本ですし」
「…つまり、もう逢えないってことだよな。お前が言ってんのは」
 いつものような口調で尋ねた。涙で掠れた声なんて出ない。いつものように、いつものように。あぁ、こんな男に付き合っているとこんなところだけが似てしまう。こんなところだけが上手くなってしまう。こんなこと知りたくもなかったのに、この男に付き合うたびに性格が悪くなる。
 ずっとなんて言わなくても、もう少し長い間くらいは一緒にいられると思っていた。
 女々しい。浦原と付き合ってきて色々な自分が居ることは分かったが、こんなにも女々しい自分がいるなんて初めて知った。むしろ一生知りたくなかった。だがそれを教えるのはこの男なのだ。目の前の胡散臭い男なのだ。
 泣きそうだ。泣いてしまいそうだ。だけど泣くわけにはいかない。そんなことをするわけにはいかない。だって浦原の前なのだ。一護は決して浦原の前では泣くまいと決めていた。浦原は底意地が悪いが際限なく一護を甘やかす。それでは一護が浦原に甘えてしまうのだ。それを一護は嫌っていた。弱い自分を嫌っている。だから浦原の前で泣くのは最期の時だ。浦原がそれを厭っていても、他の誰でもない一護がそう決めた。
 停滞した空気の中、浦原の息を吐く音。見れば、俯いて溜息を吐いているではないか。今度は一護がどうしたのだと聞く番だ。しかし一護がその言葉を言う前に、先に浦原が言葉を発した。
「…まったく君って子はいつまで経ってもアタシの前で弱音を吐かないっスね。昔はあんなに可愛かったのに」
「可愛いって何だよ、オイ」
「そのまんまの意味ですよ。まったく、泣かないって決めてるんならそんな顔しないでくださいよ。ちょっと意地悪してみようと思ったアタシが馬鹿みたいじゃないですか」
「…え?」
 浦原が帽子を目深に被り直して一護から感情を見えなくした。どういうことなのだろうか。まるで浦原の言い草からすればどこかに偽りがあるような。
「嘘です」
 キッパリと言い切られてしまった。
「でもアタシが永久追放罪を解かれたのは本当ですよ。技術開発局局長はどうか知らないけど、十二番隊隊長になるっていうのも本当。だけど、もう逢えないっていうのは間違いっスね」
「…どういうことだ?」
 本来なら現界と尸魂界はそう易々と行き来できないのではないのか。以前浦原がそう言っていたではないか。それともあれは偽りなのか。
「つまりはですね。アタシの副長にならないかっていうことですよ」
「…へ?」
 予測なし、いきなりの浦原の爆弾発弾に、思わず一護も惚けた声が出た。
「まぁ副隊長って言っても一護さんなら充分お強いんからその点では大丈夫でしょうし、書類仕事もキミ頭いいんで何とかなるでしょう。いざとなったらそういうものはアタシか他の者に回しますし。鬼道ができないってのが難点ですが、あんまり問題にはならないですしね。向こうに行ったら習うっていうことも出来ますし」
「いや、だから、おま」
 勝手に進められる浦原の言葉に一護の方が戸惑った。つまり浦原は自分が尸魂界に戻るので、一護にも副隊長として着いてきてほしいと言っているのか。滅茶苦茶な話だ。ついさっきの一護の泣きたい気持ちはなんだったのか。
 しかし、また浦原は爆弾発言を落としてくれるのだ。
「まぁ、アタシが向こうに戻る件を承諾するときの条件が一護さんを副隊長として迎えることなんで、自動的に一護さんはアタシの副隊長になるんですけどね」
「ちょっと待て、俺の意志は無視か?!」
「でも、着いてきてくれるんでしょ?」
 浦原は確信の満ちた声で一護に問う。目深に被った帽子でその表情を読むことはできないが、口元は確かに笑みを浮かべていた。
 あぁ、ここで拒否することが出来たらどれだけ良かったか。この声にいつも囚われて、この男に囚われて、一護は拒否をするという単語すら忘れるのだ。
「ああクソ! 行ってやろうじゃねぇか!」
 一護は吐き捨てるように叫んだ。左手で顔を覆って、空を仰いだ。
「じゃ、決まりっスね。これからもよろしくお願いします、一護さん」
 浦原の嬉しそうな声。一護は溜息を吐く。
 おそらく一護の長いような短いような人生の中で最も失敗だったことは、ルキアと出会って死神になったことよりもこの男に出会ったことなのだろう。
 月色の髪の月のような男。性格の悪いひねくれ者のゲタ帽子。罠を張ることを得意とし、いつの間にか一護はその罠に絡め取られてしまった。
 だが、絡め取ったのは男でも、絡め取られることを良しとしたのは一護なのだ。
 なら、後悔などはしない。するものか。してたまるか。選択肢が一つしかなくとも、望んだのは一護なのだから。
 …以前、ルキアに言われたことがある。『貴様の肉体は人間のものだが、魂は既に死神だ。しかも隊長格並といえば、確実にその肉体が滅んだ後、貴様は尸魂界に行くことになるだろう』それを聞いたとき、一護は浦原と一緒がいいと思った。
 ならば、きっとこの選択を浦原が持ってきたのは運命だ。
 目の前の男が手を差し伸べていた。一護はその手のひらに自分の手を重ねた。
「それじゃ行きましょうか、一護サン。これより続く長い長い生の中、キミがアタシの副官であり続けることを祈って」
 あぁ、空が青い。