酒を片手に月を待つ


「くっろさっきサーン!」
「うわぁあッ!」

 深夜。既にルキアと一緒に予習復習も終え、ルキアは風呂に入って物置の中の寝床に。一護もそろそろ寝ようとしていた頃、何故か突然窓が開いた。しかもそこから出てきたのは冒頭部分のような声を上げた浦原だ。流石の一護もこれには驚いた。というかそこの窓は閉まってなかったか?
「どうやって入ってきたゲタ帽子!」
「窓からこうやってっスよ。しかしここの窓、普通に開いてましたよ黒崎サン。不用心っスねェ」
 窓から体を半分部屋に入れた状態のまま、浦原はさらりと答えた。そういえばルキアとの勉強中に暖房を入れていたら空気が澱んできたから、窓を開けて換気をしたのだった。そして確かその窓は閉めたものの鍵までは掛けていなかった。
 ぬかった…! 一護は内心舌打ちしながら考えた。こんな事態が想像できていれば、きちんと鍵を掛けておいたというのに。
「ああ、大丈夫っスよ。そんなことしてもアタシには何の意味もないんで」
 一護の内心に答えるような、浦原の言葉。相変わらず人の心を読むのが長けている男だ。だけどそれが非常にムカつく。気付いてやっているのだから尚更だ。一護は浦原を睨んだ。浦原は苦笑を浮かべた。
「アタシが人の心を読むことに長けてるんじゃなくて、キミが分かりやすいんスよ、黒崎サン。キミ、自分ではあんまり表情変わらないって思ってるようだけど。アタシから見たら分かりやすいことこの上ないっスよ、自分の感情剥き出しで」
 浦原はいちいち痛い所を突いてくる。だがそれに対して一護も慣れたものだ。受け流して話を先に進める。
「…そーかよ。で、何の用だゲタ帽子。今日は誰に用だよ」
「今日はキミと朽木サンに用があって来たんスよ。ハイ、朽木サンを起こして下さいよ黒崎サン」
 浦原はルキアが普段寝ている押入を指さして一護に指図する。だがそうは行くものか、人に指図する前に自分の用件を言え。それが人としての礼儀だ。
「テメェその前にきちんと質問に俺の答えろよ、お前は何の用でここに来たんだ」
「アタシとしては二人揃ってからじゃないと言うつもりはないんスけどねェ」
 仁王立ちして苛立たしげに浦原に尋ねる一護に対し、浦原はあくまでも飄々として、袂から扇子を出して口元を覆った。明らかに一護をからかっている。
 流石にその様子には一護もキレた。無言で拳を浦原の眉間に当て浦原の体を部屋の外に出す。
「眉間が痛い!」
「うっさいテメェ入ってくんな!」
 それから眉間を押さえて痛がる浦原を、一護は追い打ちをかけて肘鉄で下に叩き落とした。勿論、不安定な体勢だった浦原は、屋根の外に追い出され、一護の予想に準じるのならば屋根に足を滑らせて庭にまで落ちている筈だ。
「えっ、ちょっ、黒崎サン?!」
 遠ざかっていく浦原の声。落ちていく浦原を見届けることなく、一護は窓を閉めて鍵を掛けた。これでようやく安眠することが出来る。
「…む、一護、何やら騒がしいようだがどうかしたのか?」
 寝ぼけ眼で押入の襖が開いてルキアがこちらを見る。ほら見ろルキアが起きてしまった。だから騒がしくするのは嫌だったのだ。
「何でもねぇよ、ただ浦原が来て騒がしなったんで追い出しただけだ」
「ああ、浦原か…。ならば仕方があるまい。それでは私はもう一度寝る。おやすみ」
「ああ、おやすみルキア」
 さらりと酷いことを言いつつ、ルキアは襖を閉めた。しかしいつも思うのだが、ルキアはあそこで狭くないのだろうか。幼児体型のルキアだからこそ押入で寝れることは分かってはいたが、やはり気になることは気になる。どこかの青い猫型ロボットと言い張る青狸ではあるまいし。
 つらつらとそんなことを考えながら、それでも今日は寝ようかという気分になって一護は体を伸ばした。明日も早い。そろそろ寝るのが無難だろう。
 すると、そんな時に限ってあの男の気配。
「黒崎サンも酷いことしますねェ。屋根から突き落とさないで下さいよ」
 一護は無言で振り返る。そしてそこにはやはり想像通りのあの男、浦原喜助だ。屋根から落ちたはずなのに泥だらけにもなっていない。どうせ器用に着地したのだろう。窓は開いた気配も見せず、いつの間にか一護の背後に佇んでいた男。
「…どっから入ってきた」
 声は呆れが混じっている。どうやら精神よりも体は素直らしい。
「言ったでしょう? アタシにかかれば鍵なんて無用の長物に成り下がるって」
 確かに言った。確かにそう言ったが、何故今日に限って諦めようとしないのか。普段は一度断ったら二度と誘いに来ないくらいにあっさりとしているのに、何故今日はこんなにもしつこいのか。
「朽木サンも起きていらっしゃるんでしょう? おーい、朽木サーン?」
「何だ浦原。何か用か」
 一護が止める暇もなく、浦原は押入に向かってそれなりの小声でルキアを呼んだ。一応近所迷惑とかそういう言葉を知っていたようだ。そしてそのルキアは押入の襖を開けて意外なまでにはっきりとした声で浦原の名を呼んだ。どうやらルキアは眠っていなかったらしい。一護はため息を吐いた。だがこれで用件を聞き出せる。一護は浦原を見た。
「ハイ、本日は朽木サンと黒崎サンにお誘いを。
 ――――お月見、しませんか?」
「「は?」」
 思わず二人揃えて素っ頓狂な声を上げてしまった。しかも一護は眉間に普段の倍以上の皺を寄せ、ルキアは不可解そうに胡散臭そうに浦原を見ていた。
 普段の浦原からでは考えられないような風雅な誘いだ。一護はそれが逆に恐ろしい。多分だが絶対に何かがある。何か危険なことが起こる。
 浦原は普段からの胡散臭い雰囲気を更に倍増させるかのような口調で言った。
「大丈夫っスよ! 今回は何もすりゃしません。何たって今回は夜一サンのお誘いなんですから!」
「なら大丈夫だな」
「夜一さんからの誘いならな」
 一護とルキアの脳裏に、ほぼ同時にあのしなやかな毛並みのいい黒猫が思い描かれた。成る程、彼女ならばこんな風流なことも思いつくだろう。一護は納得して頷いて上着を探し、ルキアもそう思ったのか押入から降りて外出用の服を探した。
 浦原はそんな二人を見て、誰がどう見ても分かる泣き真似をして見せた。
「黒崎サンも朽木サンもヒドい! そんなにアタシが信用できないって言うんスか!?」
「「勿論だ」」
 きっぱりと即答で返す。この男の言う事で信用できたことなど一つもない。必ず何か裏があるに決まってるのだ。一護もルキアもそれは学習していた。だがそれでも二人が浦原のことを好きなままということが、自分のことだが何故だか酷く笑えた。
 手早く準備を終えた二人は、先ほどよりも酷い調子でさめざめと泣く浦原に近寄った。いつになったらこの泣き真似を止めるのだろうか、この男は。こっちはその様子が泣き真似だと気づいているのに。
 一護はルキアに視線だけで合図を送る。どうやら同じことを考えていたらしいルキアと視線がかち合う。それから同時に肩を竦めてため息をついて。
「案ずるな浦原。貴様のことは信用はしてはいないが信頼はしておる」
「…裏があるのは間違いないけど、アンタの言うことはこっちの望んでることだからな。信用はないけど信頼はある」
 それは世辞でも何でもなく、すべて二人の中の事実だ。二人とも世渡りが下手で世辞は下手だ。一護もルキアもそのことは分かっていた。だから目の前の男とは違って、こんな時には本当のことしか言えない。
 二人がそう言えば、浦原は先ほどの泣き真似はどこに行ったのやら、けろりとした様子で顔を上げた。
「ハイ、それじゃ行きましょうかお二方。いい酒と肴を用意してますんで、今夜は朝まで飲みましょう」
「…朝ま、」
「む、本当か浦原。貴様の選ぶ酒は上物が多いからな、期待しているぞ」
「ええ、期待して下さいよ朽木サン」
 一護の言葉を遮って、楽しそうなルキアの声が響く。本当に浦原の酒に期待している声だ。確かに浦原の用意するものは上等な物が多くて一護も舌鼓を打っているのだが、明日は学校なのだ。見た目と反比例する程真面目な一護としては、一応酒は控えておきたかったが、どうやら今のルキアの様子では無理なようだ。
 …まあ、いいか。一護はため息を吐いた。ルキアは花より団子って感じだけど楽しそうだし、浦原は望み通りになって嬉しそうだ。これならば一護が我慢すればいいだけだ。
 こういうところが甘いというのだろうが、だけどこんな甘さは自分でも嫌いではない。
 一護はルキアと話していた浦原と目線があった。緑と白の帽子と月色の髪の毛で隠れていて感情を読ませにくいが、一護は見た。浦原の口元がつり上がっていくのを。
 …コイツ、分かっててやっている……!
 一護は浦原に着いていくことを早速後悔した。だがルキアを浦原の元に連れて行ったままでは拙いだろう。ルキアが浦原と共にいて、一護が家の中に籠もっているのは拙い。色々な意味で。ルキアの貞操とか。
 逃げることもできず、だけど嬉しそうなルキアを見ていれば文句を言うこともできない。どうすることもできずに、一護はもう一度ため息を吐いた。


 窓の外には黄金に輝く丸い月。薄闇の空。青白い世界。雲一つなく、星一つもなく、音もない。ただ静寂。
 確かに、今日はいい月夜だった。