今からほとんど半年前。 黒崎一護は、きちんと浦原喜助に誕生日を祝われていた。 半年前、一護の誕生日である7月15日。一護は朝から祝われっぱなしだった。 まずは朝、起きてから第一に父親に鬱陶しいまでのスキンシップと共に祝われ、次いで二人の妹に祝われた。そして二人曰くどうやら今夜は一護のバースデイパーティーを行うようだ。ケーキもご馳走も作ったから早く帰ってきてと厳命されてしまった。一護は苦笑ながら頷いた。 ルキアからも祝われた。朝の登校中、さりげない様子で言われたおめでとうの言葉。そして今日は死神としての仕事を肩代わりしてやるからゆっくりしろというプレゼントもついでに。だが一護としてはそれは喜ばしいものではないのだ。例え今日が一護の誕生日だからとはいえ、一護だけ家でゆっくりしているのはどうも性に合わないのだ。 それが顔に出ていたのか、ルキアは心配するなと言った。別に私だけが引き受けるわけではない。浦原に手伝ってもらうから心配するな、普段は強欲商人だがこんな日なら手伝ってくれるだろう。 それでようやく一護は安心できた。浦原のことだからルキアを見捨てることはないだろうし、後でいろいろと請求されそうだが一応大丈夫だろう。浦原もこちらが支払えないようなものを請求はしてこないだろうし。 …多分。恐らく。多分。あくまでも多分だが。一護は嫌な予感を感じながら、ルキアと共に学校に向かった。 それから学校でも祝われた。茶渡、水色、啓吾、竜姫に織姫、果ては雨竜にまで祝われたものだ。 放課後には浦原商店にも寄ってみた。案の定浦原はルキアに連れられていないということだったが、他の店員――――テッサイや雨、ジン太にも祝ってもらえた。ついでにテッサイからはガトーショコラをもらった。美味かった。素直に嬉しいと思った。最後、帰り際には夜一さんに出会った。やはり祝いをもらうことができた。嬉しかった。 そして深夜。一護は家族に目一杯祝われて部屋に戻った。腹一杯になってベッドに横たわるとコンがやってきて祝いを言われてしまった。一護はそれに対してありがとうと言おうとしたのだが、言う暇もなくルキアはどうしたと言われてしまった。そのあんまりにも慌てた様子に、一護にもそれが照れ隠しなのだと分かってしまうほどだ。それに対してありがとうと言うと、一護はルキアのことを思い出した。ルキアはまだ帰ってきていない。もうすぐ日付も変わってしまうというのに遅いことだ。 流石に迎えに行かなければならないなと一護は立ち上がる。だがルキアは虚と戦っている。浦原と一緒ならば危険はないと思うが、それでもやはり自分も死神にならなければならないだろう。一護は学生鞄からグローブを取り出した。ルキアが愛用しているあのグローブだ。一護はそれを右手に填めて、まずはコンの体から擬魂丸を抜き出して、何の躊躇もなく飲み込んだ。 そこから後は簡単だ。一護の身体にはコンが入り、一護は自動的に身体から抜け出して死神となる。 そして一護が斬月片手に窓から飛び出しかけた所、 「どーも。コンバンハ、黒崎サン。お出かけですか?」 目の前に浦原喜助と呼ばれる人間が―――― 「――――」 絶句する。何故目の前に浦原がいるのか、というか何故浦原がいてルキアがいないのか。そもそもそれが問題だ。自分はルキアを迎えに行くはずだ。 「…何でアンタがいてルキアがいないんだよ」 「朽木さんなら今アタシのトコでお風呂に入ってますよ。今日はちょっとお疲れのようでしたしね」 後で迎えに来てくださいよ。浦原は言う。それは当然のことだ。女性を夜道に一人歩かせるわけにはいかない。ルキアのことなら変質者程度難なく撃退できそうだが、それでも危険だ。一護は頷いて部屋の中に足を戻す。それと同時に問答無用で浦原も部屋の中に入ってきた。 だが、それよりも気になることがあった。この男が目の前にいて、ルキアがいない理由は分かった。でも何でこの男が一護の元にやってくる理由がある? 「…アンタ、何しに来たんだ?」 「おや、こりゃまた薄情ですねェ」 肩を竦める浦原。だが一護には素直に分からないのだ。だからこんなにも素直に疑問が口について出た。 …正直言うと、一つだけ心当たりはある。だけどそれを浦原が言ってくれるとは限らないではないか。確かに浦原商店の全員から心から祝われたが、それでも浦原が一護を祝うとは限らない。というかこういう祝いの言葉は相手に出会って開口一番言うもので、それ以外の反応は気付いていない、もしくは知らないという風に受け取ってもいいのだ。今決めた。 だが浦原はそんな一護のことなど無視して、どこからか取り出した古びた懐中時計を見ているのだ。しかもどうやらタイミングを計っている様子。一護は眉をひそめた。 浦原は懐中時計から目を離さずに苦笑する。 「もうちょっとだけ待ってくださいよ」 だから待っているというのに。何が言いたいのだこの男は。時刻はもうすぐ日付も変わる。一護の誕生日も終わるというのに。 朝から家族に祝われた、友人にも祝われた、浦原商店の従業員にも祝われた、夜一さんにだって祝われた、勿論ルキアにだって祝われた。後は目の前のこの男だけだというのに! 秒針が進む。カチ、カチ。古びた懐中時計の音。一護は部屋に掛かっている、何の飾りげもない壁掛け時計を見た。現在の時刻は23時45分。後15分で日付は変わってしまうのだ。それでも浦原は何も言わないのだ! そんな思考が一護の脳裏を苛んでいれば、カチという秒針が進む音。パタンと懐中時計の蓋が閉じられる音。それからふと声がした。 「黒崎サン」 一護が顔を上げる。真っ直ぐに見据える。欲しい物を出さなければ食い殺すとばかりに凶悪な視線。浦原が笑った。しょうがない子どもだと、笑った。 「お誕生日、おめでとうございます」 一礼を。気障ったらしく、だけど嫌みのない洗練された仕草で。浦原が一礼する。 一護は面食らった。目を丸くして、目の前で一礼をする浦原を見た。浦原がこんなにも素直に自分の感情を表に出したことにも驚いたが、それ以上に何故この時間だったのだろうか。ただ祝いを言うだけならば開口一番と相場が決まっているというのに。 「君が生まれたこの日、この時間に感謝を。君が生まれてきてくれて、アタシはとても嬉しい」 真っ直ぐにこちらを見据えての言葉。いつもは全部を煙に巻いて、一歩引いてこちらを見ているような人間が。 真っ直ぐに、一護を見据えて。祝福を。 その言葉でようやく一護も気付いた。そうか、浦原はこれを待っていたのか。 「…アンタ、気障だな。マジで」 「ハイ、そうでしょうとも。でも他の人と同じっていうのは芸がないんで、ちょっと趣向を凝らしてみました」 一護は顔を伏せた。浦原はそんな一護を見て可笑しそうに笑う。 しかし、すると疑問が残る。どうやって浦原は一護の出生時間なんて知ったのだろうか。 「アンタ、どうやって俺の出生時間なんて知ったんだ?」 「そりゃあ君が生まれた時から目立つ存在だったからですよ。黒崎サンは今だからこそそんな風に無意識の内に霊圧が制御できてるんですけど、生まれた時なんて恐ろしいモンでしたよ? ほとんど隊長格と同じような霊圧を垂れ流しだったんですから。 そんなの、アタシが感じない筈がないでしょう」 それは確かにそうだ。元護廷十三廷十二番隊隊長、現異次元商店浦原商店の主が一護のような垂れ流しの霊圧を感じない筈がないのだろう。しかし今でさえ垂れ流しと言われる霊力。生まれた時は一体どうなっていたのだろうかと不安になる。 「そりゃもう、あのままだとすぐに虚に食い殺されてたでしょうね。それで君の人生もお終いだ」 浦原があっさりと恐ろしいことを言い出す。一護はぎょっとして浦原を見た。誕生日でついさっきそのことを祝われたばかりの相手にそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。 「だけど、」 言葉が続く。一護は浦原を見た。真摯な顔だ。いつもの帽子に隠されて上手く表情は読めないが、一護はそこそここの男の表情は読めるようになっていた。 「だけど、そんな危うい綱渡りのような人生の中、君は今まで生きていてくれた。 ――――もう一度言いますけど、君が生まれてきてくれて、そして今まで生き抜いていてくれて、アタシはとても嬉しい」 浦原は笑った。人を拐かすことしか知らないようなこの男が、珍しくも真摯に、心から嬉しそうに笑った。 一護も笑って、ただ「ありがとう」とだけ言った。 そんなこんなで、今からほとんど半年前。 黒崎一護は、きちんと浦原喜助に誕生日を祝われていた。 ――――12月31日。 言わずと知れた大晦日。今年最後の日。新年に向けてのカウントダウンを鳴らすその日、一護は部屋でぼんやりとしていた。 黒崎家は基本的にお祭り好きな家族だ。大晦日はカウントダウンをしたり、一緒に紅白歌合戦を見たり、そういったことを何年も前から行っていた家族だ。勿論今年もそうであり、そこには家族は絶対いなければならないことになっている。一護は今年も家にいる予定だ。 だがカウントダウンまで少し時間がある。少しくらいはのんびりしていてもいいだろうと部屋に入った。 押入に視線を向ける。あそこにはルキアとコンがいる。カウントダウンまであと少しだというのに、ルキアは多分寝ているのだろう。多分あれでも90年以上生きているルキアにとっては、一年の移り変わりなどそう目新しい物ではないのかもしれない。 なるべくならルキアも一緒にカウントダウンをしたかったと思っていても、寝ているのでは仕方がない。そう思って、一護がベッドに寝転がったその時――――、 「一護ォッ!!」 パァァアアン!! 妙に力強い音を響かせて、その押入の戸が開いた。勿論開けたのはルキアだ。 「どうしたルキア! 虚か?!」 その切羽詰まったかのような声色と勢いよく開いた戸で適当に見当を付けて一護は叫ぶ。というかむしろニューイヤーというお祭り的なイベントのある日に虚が現れないわけがない。彼らは人が多い場所に好んで現れるのだから。 だが彼女の口から出た言葉は一護の眉根を寄せさせた。 「そうではない! 早く浦原の元に行け!」 「…は? 何でだ?」 数秒遅れてから一護は答えを返す。何故今になって自分が浦原の元に行かなければならないのか。もう少しで新年になるのだから、家にいなければ家族に怒られてしまうではないか。特に(というかむしろ限定で)一心に。夏梨には呆れられるだけで済むだろうが、遊子には確実に拗ねられる。これは一心よりも余計にタチが悪かった。 ルキアはそんな一護の腑抜けた返答に明らかに苛ついたように叫ぶ。 「そんなこと、今日が奴の誕生日だからに決まっておろう! 知らなかったとは言わせんぞ、一護!」 「……はぁ?!」 思わず大声で叫ぶ。普段ならば深夜ということで少しは近所迷惑という言葉を思い付くのだが、今は大晦日で誰もそんなことを考えもしなかった。 初耳だ。今日が浦原の誕生日。一度も聞いたことがない。本人の口には上ったことがないし、そういえばここ最近一護は浦原商店にも行っていなかった。例え一度でもいいから行っていたのであればテッサイからそのことについて教えられていたのかもしれない。一護がそのことに気付かなかったとしても仕方がないのだ。 「ルキアは行ったのか?!」 「私はもうとうに行ったわ! 早く行けこの戯けめ! 最初は私も口出しをしないでおこうと思ったが、貴様があまりにもすっぽかしているもので思わず口が出てしまったではないか!」 言いつつルキアは手慣れた仕草でグローブを手に填め、押入から飛び出して無理矢理一護の魂魄を抜き出していた。 「早く行って来い! 12月31日が終わるまであと少しだ! 案ずるな、この時間ならば家族には寝てしまったと言えば通る。だからお前は!」 「分かってる!」 ルキアの言葉を最後まで聞くことなく、死覇装姿の一護は窓から駆けだした。 行き先など決まっている。あの胡散臭さ大爆発の元死神、月を具現化したかのような男、浦原喜助の元だ。 走る、走る。屋根の上を一護は全力疾走する。 しかし何故奴の誕生日は12月31日という傍迷惑な日なのか。確かに印象に残りやすいとは思うのだが、そんな日では一護は真っ当に祝うことが出来ない。まあ普段から真っ当に祝うつもりもないのだが、向こうはきちんとこちらの誕生日を祝ってくれたのだ。こちらも向こうの誕生日を祝うのが筋というものだろう。 しかもこっちは向こうのように洒落たことは出来そうにもない。向こうは何年も何十年も何百年も生きてきて、こっちはまだ16年しか生きていない。真っ向勝負しか思い付かないだろう。 店の前に辿り着く。一護は息を切らしながら立ち止まった。全力疾走で来たせいか呼吸が荒い。閉まっているガラス戸の木枠に指を引っかけて、ぜえぜえと息をした。 ようやく呼吸が整ってきたとき、一護は顔を上げた。それから体勢を整え直してガラス戸を引こうとして、その指が止まった。 「…ヤバイ。こんな時間だし、みんな寝てるよな」 一体どうやって中に入ったものか。霊体なのだからそのまま入ればいい。だがそれは躊躇われる。骨の髄まで染み込んだ礼儀正しさが、時間が切迫しているながらも一護に躊躇いを感じさせるのだ。 しかしそうこうしている間に時間は過ぎていく。一護は一つの賭に出てみた。浦原は胡散臭い男だ。一護は浦原を本当の意味で信用したことなど一度もない。あの男は胡散臭すぎるが、だけど一護が困っている時にはいつだって目の前に現れたのだ。 だから、小さく声を。本当に小さく、口の中で溶けてしまいそうなほどの微かな声を。 「浦原」 「はい、何でしょうか。黒崎サン」 間髪を入れずに返ってきた、その声だけで胡散臭さを醸し出せる、そんな声。 いつの間にか背後には人の気配があった。振り返る。 そこには思い描いていた通りの姿があった。 「よう、浦原」 「こんばんは、黒崎さん。こんな夜更けに、アタシに御用ですか?」 「おう、用ならあるぞ」 片手を上げて軽く挨拶をする一護。先ほどまでの焦っていた様子は微塵も感じられない。 「ハテ? 何の御用でしょうか。今日は君、新年になるんですから家にいなくていいんですか? 一心さんやご家族に怒られますよ?」 逆に浦原はすっとぼけた様子だ。家を出る前のルキアの口振りから言って、今日は祝われっぱなしだった筈のこの性格の悪い男は、何故か一護の前ではすっとぼけている。 「ンなこと分かってる! それでも言いたいことがあるんだよ!」 威勢のいい啖呵を切って、一護は一度瞼を下ろして深呼吸をした。深く息を吸って、自分を落ち着かせる。浦原の言葉なんか気にするものか。瞼を上げる。 「――――誕生日、おめでとう」 真っ直ぐに浦原だけを見据えて。たった一言。一言だけを口にする。 一護の太陽色の瞳と、浦原の月色の瞳が交錯した。 沈黙が辺りを支配する。一護の祝いの言葉に浦原は何も反応せずに、ただ一護の瞳ばかりを見ている。 「…うら、はら?」 一護の戸惑いを隠せないような声。その瞬間、浦原の瞳から普段の胡散臭さと意地の悪そうな色が消えて。 「――――はい、ありがとうございます。黒崎さん」 そう、まるで半年前と同じような真摯な声で、浦原は答えた。 その浦原のあまりの変わり身に、逆に一護の方が困惑してしまう。 「…浦原? 何だよ、お前」 「何だよとは失礼ですねェ。日付が変わりそうになってから黒崎サンが突然駆け込んできたもんで、ちょっと遊んでみただけじゃないスか」 「タチ悪ぃな、アンタ…!」 悪びれることなくそう言い張る浦原に一護は脱力してしまう。が、こうでもないと浦原は浦原ではないような気がするのだ。 「それにしても、これは何の演出っスか? 半年前の君の誕生日に、アタシが君にお祝いを言った時間と同じなんて――――」 「はぁ?」 「…気付いてなかったんスか?」 ほら、と浦原は懐中時計を懐から取り出して一護に差し出した。現在の時刻は23時45分。確かに、浦原が一護の誕生日を祝った時間だ。 「…マジかよ」 「みたいっスねえ」 時計を覗き込んで唖然とする一護に、他人事のように相づちを打つ浦原。 「偶然にしちゃ出来すぎじゃねえか? コレ」 「そうですねえ、でもまあ、いいんじゃないんスか?」 浦原は懐中時計の文字盤をもう一度覗き込んで、ぱたんと蓋を閉じてまた懐に仕舞いなおした。そして一護に向き直り、半年ぶりの真っ直ぐな視線を向けた。 「まあ、何はともあれありがとうございます、黒崎サン。アタシは貴方に祝われて嬉しいですよ」 真っ直ぐな視線。真っ直ぐな言葉。全て半年ぶりに見るものだ。 「…おう」 一護は柔らかく微笑んだ。満足げに、笑った。 「じゃあこれから酒盛りでもしましょうか。これから新年ですし、朽木さんも呼んで」 「…マジか。俺は飲まねえぞ」 「相変わらずお堅いっスねえ。いいじゃないスか、こんな時なんだから」 「いいんだよ、まだ未成年だし。元々酒は苦手だしな」 「じゃあ余計に朽木さんを呼びましょうか。それに夜一さんも呼ばないと、メンツが足りませんねえ」 「アンタが酒飲みたいだけだろ」 「そりゃそうですよ。いいじゃないスか、今日はアタシの誕生日なんスから」 「…いいけどな」 「安心してください。黒崎さんには飲ませませんよ」 「ホントか?」 「アタシは、ですけどね」 「…」 「頑張ってくださいねー。夜一さんとか朽木さんとか、酔うと女性は恐ろしいですからねえ」 「……頑張る」 「はい、そうしてください」 「…浦原」 「ハイ?」 「もう一度言うけど。誕生日、おめでとう」 「……はい、ありがとうございます」 |