呼び声
ver.Reborn!
[[ 雲雀夢 ]]


 委員長は、私の名前を呼ばない。
 いやまあ名前を呼ばれるなんてそんな恐れ多いこと今まで考えもしなかったし、多分名前を呼ばれたら卒倒してしまうのだけれど。
 でも最近ではいつも草壁さんと一緒に応接室で書類仕事をしているというのに、名前を呼ぶのは草壁さんだけだ。草壁さんには悪いけれど、少し嫉妬してしまう。
 というかそもそも、委員長は私の名前を知っているのだろうか。草食動物の名前なんて覚えない委員長だけれど、一応風紀委員である私の名前は覚えている…筈……?

 いやそもそも、委員長は群れるのがとても嫌いな人だ。どんどん増えていく風紀委員の名前なんて欠片も覚えていないに違いない。多分その中で例外は草壁さんだ。
 ………そんなことを考えていたら委員長が私の名前を呼ばないのも仕方がないと思ってしまった。最近では草壁さんよりも一緒にいる時間が多いけれど、それもまた仕方がないのだ。
 ある程度の諦めをつけて、本日もまた応接室に向かう。

「失礼します」

 応接室に入ると、まだ委員長はやってきていないようだった。今日もまた誰かを咬み殺しているのだろうか。草壁さんはそれを影ながらサポート。そしてその間書類が溜まっていくので、それを日々済ませていくのが私の役目だ。
 いつものように委員長の机に山積みになっている未決済の書類を、ある程度の量を自分の机に持って来ていつものように決裁書類を作っていく。
 …そういえば、この応接室は大体委員長と草壁さんと私しかいない。
 他にもいろいろな人が来るけれど、そういう人は大体招かれざる客なので委員長がいるときは委員長が、草壁さんがいるときは草壁さんが、二人ともいないときは僭越ながら留守を任されている私が侵入者を撃退させていただく。
 だけど大体この応接室にいるのはこの3人だろうか。最近では草壁さんがいないことが多いので、委員長と私の二人きりで応接室にいる。
 二人きり。だけど委員長は私の名前を呼ばない。
 これで私の名前を知らないと言うこと以外に何か選択肢があるのだろうか。
 名前を知らないと言うことは、相手に対して興味がないと言うことだ。つまり委員長は私に対して興味がないと言うこととイコールになる。
 それは、つまり―――

「…やめよう、これは考えちゃいけないことだ」
「何が?」

 誰もいなかったはずの応接室に私以外の声が響いた。勿論、この声の持ち主は決まっている。

「い、委員長」

 あまりの驚きに目を丸くして委員長を見た。委員長はいつの間にかいつもの席(机の上)に座っている。多分窓が開いていたので窓から入ってきたのだろう。
 委員長はいつもの席に座っている私に近付いて、もう一度尋ねた。

「それで、何が?」
「い、いいえ。委員長のお考えを悩ますようなことではありません。私の個人的な些事ですので、お気になさらず」
「……ふぅん」

 私がそう言えば、委員長は酷く面白くなさそうな顔をした。そこらに群れている草食動物を見たら今にも咬み殺してしまいそうな雰囲気を漂わせている。かといってそれ以外にどういえばいいのだろうか。まさか委員長に「私の名前を御存知ですか」と尋ねるわけにはいかないし。
 委員長の視線が窓の外に向いた。このまま再び校内の巡回に向かうのだろうか。そう考えたその時、委員長の視線が再び私に向いた。

「それで?」

 まるで心臓を射抜かれてしまいそうな視線。

「いつになったら言うの」

 まるで殺されてしまいそうな。
 ひゅ、と喉が鳴った。
 そうだ、この目だ。この目が私を風紀委員に入ろうと決意させた瞳。委員長に惹かれるようになった原因だ。
 私は両手を挙げて降参のポーズを取る。

「―――降参します。本当に些細な事なのですが…委員長は私の名前を御存知なのでしょうか」
「…名前?」
「はい。確か私の記憶に間違いがなければ、委員長は一度たりとも私を名前で呼んだことはありません」

 「ねえ」や「君」などと呼ばれたことはあるけれども、草壁さんのように名前で呼んでくれたことは一度もない。

「君、そんなこと考えてたの」
「………はい。情けない限りなのですが」

 しゅんと私は項垂れるのだが、不思議なことに委員長の反応がない。不思議に思って、そっと委員長の表情を伺った。
 ―――笑って、いた。唇の端をつり上げて、いつものように凶悪に。

「い、いいん…」

 委員長と私が言い切る前に、委員長は私の元から去って窓の元に向かっていく。

「名前なんてとっくの昔に知ってる。仕事頼んだよ、―――」

 そう言うや否や、委員長は窓から外に行ってしまう。恐らくは再び校内巡回に向かったのだろう。
 私は顔を真っ赤にさせながら小さく笑った。

「私の名前…本当に御存知だったんですね、委員長」

 上手く聞き取れなかった最後の言葉。ただの直感に過ぎないけれど、あの言葉は私の名前を呼んだのだ。
 意外なことに本当に嬉しくて、私はしばらく仕事に手が着かなかった。