「まさむねさま」



 戦場に似合わない、幼子の声が響く。見目は当に成熟しきった女が、童のような舌っ足らずさで政宗に問いかける。
 女は、元は伊達の者だった。だが今は伊達の者ではなかった。今は、つい先ほど政宗が斬り倒してきた男の妻だった。
 女は政宗に血に濡れた刃を向ける。刀すら持てぬような細く白い腕は政宗がよく見知ったそれとまるで相違なく、だが故に政宗の記憶通りにその腕は無骨な太刀を手にしていた。既に人の命を吸って重さを増したそれを、女は全ての覚悟の上で背負っていた。



(似合わねぇな)



 その姿を見て政宗が思うことはやはり昔と相違ない。似合わない、それは正しい反応だ。だが夫の遺体を前にした女の姿はこれ以上なく似合ってもいたのだ。
 政宗は下ろしていた刃を女に向けた。六爪の内の一本。女が太刀一本で向かってくるというのならば政宗もそれに返すが道理だ。
 女がふと口を開いた。
 遺言だろうか。



「まさむねさま、わたしはおろかでしょうか」



 女は伊達の縁者だった。ならば主である夫が死んだ今、政宗に泣きつけばいいものを。
 だがそれをすることはない女であるということも、政宗は知っていた。一時とはいえ恋仲だった身だ。
 女は恩がある相手を裏切れない。その性分を重々理解していた。それは政宗が愛した性分でもあった。
 そしてそれ故に女は刃を下ろすことはないだろう。それは分かりきったことだった。
 そして故に、結末も。



「―――馬鹿じゃあ、ねぇな。
 だが、」



 確かに女は馬鹿ではなかった。そも真に愚を犯す者は己が愚行に気付かない。
 だが、その先のことを一つでも考えれば。



「愚かだと問われたのなら、Yesだ」



 女が笑った。昔見た笑みだった。



「…そうですか。それは、よかった」



 その愚かさは、政宗が女の中で最も愛した性分だった。
 互いに刃は下りない。向け会った刃を下ろすには、互いに背負った物がありすぎた。



「アイツは、お前に優しかったか」
「よくして、いただきました」
「そうか」
「でも、やはりあの人も御家が一番大事な人でした。
 私の側にいる人はみんなそうです。父様も、母様も、あの人も、政宗様も、みんな。でも、その優しさが少しでも私に向く時が、とても嬉しかった」



 女ははにかんだ。



「私が好きになった人はそんな人ばかりです。だから私も、御家の為に生きることに決めたのです」
「そりゃあ、どっちの家だ」
「言わずとも分かるでしょう」



 この状況で、他の何があるかと女は言う。だが女の持つ意図はそれだけではないだろう。
 今、政宗の立場は危うい。伊達家は政宗と弟の小次郎の二派に分裂しており、その中で政宗はあまり有利ではない状況だ。そして弟の背後には母がいる。
 見せしめが必要だった。政宗の力を見せつける為の見せしめだ。身内だろうと構わず殺す、政宗の非情さを母に見せつけねばならなかった。
 それがまさか、こんなことになるとは思ってはみなかったが。



「まさむねさま」



 女が笑う。
 政宗は一つ、遺言を聞き出すように尋ねた。



「お前、俺のことを愛してるか」
「はい」
「今でもか」
「はい」
「誰よりもか」
「はい、勿論」



 断言した声は力強かった。
 女が笑う。至上の喜びを見つけたかのように。
 だがそれでも、互いの刃の切っ先は揺れることはなかった。



「愛しています、政宗様。
 この身は嫁いだ身ですが、ずっと貴方を愛しておりました」
「ああ、俺も愛してるぜ」



 政宗にとって女が家よりも優先順位が高くなることはなかった。だがそれでも政宗にとって唯一無二の存在だった。
 お互いにそう思っていた。それを知った上で選択した行動だった。
 女の刃が動いた。



















 肉を斬った感覚が、指から消えない。
 女を斬り、その首を落とした一刀を未だ握り締めたまま、政宗は思った。
 人を殺すことなど慣れている。だがこれはそこらの雑兵、または敵軍の大将などとは全く格が違う。
 自らの意思で、己の大切な者を殺した。
 そのことに対して政宗は後悔をしていない。己の優先順位をいつだって正しく把握している。今回はそれが最善だった。
 だがそれでは、この震える腕は何なのか。



『―――愛しています、政宗様』



「Ha―――全く、ヒデェ遺言だぜ」



 …この感覚をきっと政宗は生涯覚えているだろう。
 震える腕と未だ刀にこびりついたままの女の血に、生涯忘れないことを誓った。





え い え ん に ひ と り