春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝。
 そして今は冬の朝、吐息が白く凍て付く世界。火鉢なしなぞ考えられないほどの冷え切った冬の空気。
 冬は好きだ。深とした世界に琴と張り詰める空気、その二つが自分と言うものを自動的に律してくれるし、この寒さ以外のことを忘れさせてくれるからだ。
 だが寒さ以外のことを忘れさせてくれる、というのはその逆のことを際立たせてしまうことにもなったりする。そしてそれが今のアタシを苦しめさせたりするのだった。
 例えば、膝の上にある赤茶色の髪だったりだとか。
「お前さん、いつまでそうしているつもりだい?」
「姐さんこそ、いつまでこうしてくれるつもり?」
 子どもははぐらかすようにアタシの問いかけに問いかけで返す。まるで確かな答えを出すのを厭うように。
「アタシはお前が望むだけだよ、別にやめてもいいっていうならやめるよ?」
 そこんとこどうなんだい? と視線で問いかける。だがこの答えは冗談でも何でもない、掛け値なしの本音だ。子どもが望めば己はいつだって望むままを差し出すだろう。それはいつからだったか覚えてはいないけれど。
 そうすると赤茶けた瞳が憮然とした色を覗かせていた。
「意地が悪いよ、姐さん」
「人のことを言えた義理かい? お前が」
 ちらりと視線をやってやれば、確かにと声色に笑みを覗かせて呟く声がする。人のことを言えないのは本当にお互い様なのだ。

 春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝。
 清少納言、枕草子の一端。
 冬はいい。雪が降って戦には不利だ。今年はどこもかしこも豪雪で、自分の国に手一杯だろう。それに蓄えも少ない。長い間の戦は続けれないと誰もがわかっている。誰もこの時期に戦などしたがらない。
 そんなことも分からぬ者が、この乱世を乗り切ることが出来るものか。
 だから安心できる。膝の上に頭を乗せる子どもが、死ぬことはないだろう季節。

「あのさ、姐さん」
 アタシの膝の上に頭を乗せて寝転がっている子どもがいつも通りの声をかけてくる。なんだい、とこちらもいつも通りの口調で返す。
「アンタはいつまで俺の傍にいてくれるの?」
 アタシはこの子どもの仕事を知らないことになっている。だけどアタシは知っている。この子どもが戦忍であることを。
 それを見越していっているのか、それはそうだろう。だって子どもの瞳は暗雲たる不安が立ち込めているのだ。
 自分がいつ死ぬのか分からないのに、傍にいてくれるのか。自分に関わることでこちらに被害が襲ってくることを知っていても、傍にいてくれるのか。
 子どもの瞳はそう語る。
 ああ、知っているとも。そうさ知っている。それでお前の周りから消えていった人間が大勢いることなんて知っているよ。例えばそれは今川の間諜だったり、同郷の忍だったり、だが誰にしてもお前の大切なものばかりだった。
 知っているよ。だってお前はその度にアタシの元にやってきた。アタシの元にやってきて傷ついた瞳を見せた。
 奇しくもアタシの元には、アタシが望もうが望むまいが様々な情報がやってくる。そしてその中には目の前の子どもの情報も勿論あるのだ。
 子どもはどこか不安そうな眼差しでアタシを見てくる。アタシがどんな答えを返すのか、そしてそれが己の期待しているものなのかと今か今かと待ち望んでいる。
 アタシは子どもの望む答えを知らない。知らない振りをする。だけど己の持っている精一杯の答えを返してやるのだ。
「さあね。お前がアタシを求める限り、お前がアタシを望む限り、アタシはお前の傍にいるよ」
 この乱世、己も子どもも決して死ぬことはないのだと断言することは出来ないのだけれど。
 この言葉がどうかこの子どもを救うことが出来ますように。
 それが己の愚かさだと知っていても、そう願いながら己は子どもの頭を抱きしめるのだ。



冬の吐息で凍て付き凍れ
(そしてここから離れるな)