Star Child
ある日の放課後、いつもの通学路で私は一人の子どもに出会った。 その子どもというのがまた不思議な子どもで、宙をかたどったような色をしたタートルネックと帽子を身に纏っていて、目だけはその外見に似合わず異様に大人びていた。 しかもよくよく見れば子どもには影が二つあるではないか! 「よっ」 子どもは私のことを待っていたのか、まるで古い昔馴染みのように気軽に声を掛けてきた。私は人違いかと思ったのだが、この通学路には今は私以外いなかった。 私は訝しげに目を細めた。記憶の限りを見渡してもこんな子どもは見たことがないし、子どもに声を掛けられるような事情もなかった。 「…貴方は?」 「俺か? 俺はMZD。お前をパーティに招待しに来たんだ」 「パーティ?」 「そう。様々な音と旋律の祭り、ポップンパーティ! 聞いたことないか?」 そう言った子どもは一歩前に踏み出した。 正直何のパーティか見当も付かなかった。だけどポップンという名前ならば聞いたことがある。この間クラスの女の子が楽しそうに話していた話題だ。確かゲームだったか。 何故自分がそのパーティに招待されるのかは分からないけれど彼はそれに私を招待するのだという。 「何故?」 「お前の音が気に入ったからだよ」 「…私は、音楽をやったことはないのだけど」 生まれてこの方、様々な音には触れるけど生み出す方に回ったことなど一度もない。 学校の音楽の授業で合唱やピアノ、ギターやリコーダーに触れるくらいなものか。 「それでもお前から流れてくる音は綺麗だ」 子どもはもう一歩踏み出して私のすぐ近くまでやってくると、私の胸を指さした。 そこにあるのは心臓だ。そこから生み出されるのは鼓動だ。命の音だ。 「心臓の音は一人一人違うの?」 確かに私は基本的に無感動だから鼓動にも影響されない。メトロノームのように規則正しく美しいということなのだろうか。 だが子どもは真剣な顔をして首を横に振るのだ。 「確かに心臓の音は一人一人違うが、俺が言いたいのはそういうことじゃない。 心臓の音なんかじゃなく―――この世界に発生して今までの過程を経て今生きているお前だからこそ奏でることの出来る音楽が、酷く美しいんだ」 …それは、どういうことだろう。 私には理解することが出来なかった。それだけ子どもの言っていることは私の理解の範疇を超えていた。 「分からないか?」 子どもは私に問う。 私は素直に答えた。 「分からないわ。 例えその音楽が本当に奏でられているのだとしても、それは私の耳には届かないのだもの」 それこそが真実だ。 例えこの子どもに私が奏でる音が聞こえるのだとしても、そしてその音が美しいと思うのだとしても。 私の耳には届かないのだから、私はその言葉を否定することしかできない。 子どもは私の態度に眉を顰めた。むすっとしたその表情は、子どもの機嫌を損ねたらしい。 「この頭でっかちめ。 だったらしょうがない。聞かせてやるよ、お前の音を」 「え…?」 子どもが両腕を大きく広げた。そして子どもの影が不自然なほどに伸びて私の足下をぐるりと黒い円で塗りつぶす。 そして次の瞬間、アスファルトだった私の足下は空洞化し、私はまるでアリスのように穴に落ちていくのだった。 穴の中にあるのは暗闇だった。一切の光を受け付けない暗闇。新月のそれなど比較になど出来ないほどの純粋な闇だ。 私は落ちていく。いや落ちていくという感覚すらない。この感覚は落ちているというよりかは浮いているという感覚の方が正しい。ただこれは感覚的な問題なので、私の体は本当は落ちているのかもしれないし、本当はすぐに地面があってただそこに立っているのかもしれない。 「聞こえるか?」 そこに子どもの声が響いた。その声は上空から聞こえるような気がするし、だけど同時に下方から聞こえるような気もする。 「聞こえるわ」 頷いて私は答えた。続いて聞こえる二つ目の問い。 「じゃあ俺が見えるか?」 「見えないわ」 即答した。 だってそうなのだ。ここは闇が濃すぎて子どもがどこにいるかなんて全く分からない。頼りになるはずの声もどこから聞こえているのか分からない。それでは全く意味がない。 この空間では、私は私の姿すら見えないというのに。 「見えない? あー…そっか、そういやそうだった」 子どもが頭を掻く音がどこからか聞こえてくる。 「見えないならまあいい。よし、今から聞かせるから心して聞けよ」 私を取り囲む闇が一層暗くなった気がした。 『Votum stellarum!!』 子どもの『言葉』が耳からではなく脳に直接響く。 そしてそれが子どもの『声』だということに私が気づいたその瞬間、視界が一気に開けた。 星、が。 星、星、星、星…! 視界の限りを埋め尽くす満点の星…! そしてその星の隙間から、聞こえるのは微かな音。 ピアノの音。バイオリンの音。クラリネットの音。オーボエの音。木琴の音。そしてそのクラシック調を打ち壊すようなギターの音。ベースの音。バスの音。ドラムの音。 一つ聞けばただの不協和音。だけどそれは意外なことに調和を見せていた。一つでも欠けたらただの不協和音になるそれは、きちんと音楽を為していた。 ただ個性的な音楽だ。万人が受け入れるそれではないと思う。だが私は好きだ。 「これがお前の音楽だ」 いつの間にか子どもが目の前に立っていた。今の星の光の中では子どもの姿が見える。だがその服のグラデーションのせいか、どうもいまいち輪郭が曖昧に見えた。 「これが? 私の?」 「そうだ」 「これが…」 私の、音楽なのか。私から奏でられている音。 「お前から奏でられている音はお前の証だ」 静かな、子どもの声。 いや、この声は既に子どもと呼べる物ではない。 「お前の今まで生きてきた道を表す、お前が今生きている証だ」 私は改めて子どもを見た。 彼は既に子どもの姿をしていなかった。 頭は私の頭上に、すらりと伸びた腕と足。子どもは成長して青年になった。 「お前の音が綺麗だと思う。お前の音を俺は美しいと思う。だからパーティに招待したい」 青年の姿をした子どもは私に手を差し伸べた。 「お前と同じように美しい音をした奴らがパーティにはたくさんいる。 ―――来てくれるか?」 美しい音。 美しい音楽。 差し伸べられた手。 光る星。 鳴り響く、私の音。 私は、手を、 それから先のことはよく覚えていない。 ただ触れた手が温かかったことだけは、私の記憶に鮮烈な印象を留めている。 |