きせき
「きょーちゃん」 背後から微かな少女の声が聞こえる。 「きょーちゃん、きょーちゃん、きょーちゃん、きょーちゃん」 あまりにも小さすぎて、ほんの少しだけ離れた場所にいるというのに常人ならば耳にも届かないほどのか細さを纏った声が、誰もいない静寂を保った廊下に響いた。 「きょーちゃ…」 「何、」 とりあえず発せられ続ける言葉を止めようと振り向いた。そうするとそれはとても嬉しそうに笑った。 「きょーちゃん」 てとてとと小動物のようにこちらに歩いて擦り寄ってくる様はまるで小動物のようだった。こんなことを言えば本人に怒られるだけなので言わないけれど。 そしてそれは緩やかに笑った。やはり子どものような、小動物のような笑みだった。 「あのね、今朝はありがとー」 「今朝? …何かしたっけ」 「をバイクで送っていってくれたよ、きょーちゃんは」 「…ああ、そんなこともあったっけ」 そういえば、と雲雀は呟いた。確かにそんなこともあったかもしれない。 幼い頃から家が近い、言うならば幼馴染みである彼女は偶にこうやって遅刻をすることがある。それを雲雀が直々に送っていくことが極々稀にあるのだ。まあそう言うときは大抵雲雀も遅刻しそうになったときなのだけれど。 「だからね、ありがとー」 彼女は雲雀を恐れずに笑う。それが当然だとばかりに笑う。むしろ当然なのだろう、彼女は雲雀の幼馴染みだ。雲雀の癖など知り尽くしている。 雲雀は思わず彼女の頭を掻き混ぜる。はきょとんと目を丸めた。 彼女は雲雀にとっては特別な存在だ。家族以外で雲雀を恐れない唯一の存在。学校で雲雀を恐れない唯一の存在。雲雀が己に触れることを許した、傍にあることを許した唯一の存在。 まるで奇跡みたいな存在だ。もしも彼女がそこらにいるような草食動物だったならばこうはらななかっただろう。 「? きょーちゃん、どーしたの?」 何も知らない彼女は目を丸くして、最後まできょとんとしていた。 「何でもないよ」 彼女の髪を掻き撫でながら、雲雀は小さく笑った。 その笑みに、彼女も頬を緩めて体をすり寄せてくる。 その奇跡の存在がこれからも奇跡であるといい。 |