未来予想図


 幼い頃、私は雲雀にたった一つだけ願い事を言った。
 雲雀は私付きの執事で私は貴族のお嬢様なんていう主従関係だったけれど、私が雲雀にお願いをしたのはこれが最初で最後だったような気がする。
 木陰に座っているのは私で、木にもたれ掛かっているのは雲雀。この位置は私と雲雀が外に出るときとまるで変わらない。
 雲雀は私の傍にいて私を守ってくれたし、私も甘んじてその位置にいた。でもそれは誰の命令でもなく、雲雀は誰かが群れているのが嫌いだからそれらを咬み殺すという理由なので決して私を守っているというわけではなかった。
 そもそも雲雀は出会った頃から誰の命令も聞いたことがない。雇い主であるお父様も手を焼いていたのを私も知っていたから、私も自然と雲雀にお願いをすることはなかった。
 だけどこれは叶えられることのない願いだと分かっている。だからこそ、私は雲雀に切って捨てられることを望んで願いを口にした。
「私、雲雀の子どもを産みたいわ」
 その言葉に雲雀は珍しく目を丸くして驚いていたけれど、次の瞬間には何事もなかったかのように私に答えた。
「努力次第だね」
「それは駄目ということかしら?」
「言葉通りの意味だよ」
 雲雀には珍しく曖昧な返答。そして切り捨てられることを望んでいた私としては、少し困ってしまう返答だった。
 私は頬を膨らませて雲雀に抗議をする。
「どうして雲雀は私の望む言葉をくれないの」
「君の望む言葉なんて知らないからね」
 あっさりと私の言葉を切り捨ててしまった雲雀は、私の方を見ずに言った。どうして私が望んだ言葉を切り捨ててくれないのに、他のどうでもいいところは切り捨てようとするのか。私には雲雀が分からない。
 きっと雲雀は私が望んでいることを分かっているはずなのに。
 ため息を吐いて私は雲雀を見た。逆光でその表情は見えないし、雲雀は空を見ていたから座り込んでいる私からは見えない。
 だけど、だからこそ。
「……大好きよ、雲雀」
 小さく、さよならを言うように呟いた。
 瞬間、ざっと風が吹いて草と葉が風に舞った。
 その時雲雀はどういう表情をしていたのだろうか。私の位置からでは逆光に遮られて表情を読むことは出来なかったけれど、笑っていたらいいと思った。


 そんなこんなでそれから数年が経って。
 相変わらず私はお嬢様なんて立場にいるし、雲雀もまだ私付きの執事なんてものをやっている。本来ならばどこかの家の執事も出来る立場にいるのに、雲雀を手放さないのは私の我が儘だ。
 だけどそれも今日で終わらせてしまわないといけない。
 鏡台の前で座っているのは栗毛の女。その後ろに控えているのは黒髪の細身の男だ。その燕尾服を着た男は私の執事で世話役なので、現在私の髪を櫛で梳いていたりする。
「ねえ、雲雀」
「何? 
 その手を止めないように私がそっと呼びかけると、すぐに答えてくれる。私と雲雀は主従関係だけれど、幼馴染みのせいかお互いにそういうことはあまり気にしていない。だから昔と変わらず、今も私を「」と呼んでくれるのは雲雀だけだ。
「ねえ雲雀」
 もう一度その名を呼んだ。今度はほんの少し泣きそうになってしまったけれど、それでも泣くことはしなかった。
 雲雀の前では泣きたくなかった、絶対に。主は従僕の前では弱音を見せたりはしないのだから。
 普段なら「何、さっさと用件を言ったら」と悪態を吐く雲雀も、流石に私の様子に気づいたのか何も言わなかった。
 そのことを切っ掛けにして、私は重い口を開いた。
「私、結婚するの」
 知ってるでしょう?
 語りかけながらも、私は決して雲雀を振り返ることはしなかった。私が見るのは鏡台の中の私自身。そして語りかけるのも、鏡台の中の私自身なのだ。
 それはこの屋敷の誰しもが知っていることだ。私はずっと昔から婚約していたし、そろそろ結婚をしてもおかしくないような年齢にはなっていた。
 だからそろそろだとは思っていたのだけれど、ちょうど私の考えと重なるように相手が結婚の申し出をしてきた。
「知ってる」
 雲雀も顔色一つ変えずに淡々と答えた。
「それで、誰を殺せばいい? 命令さえあればいつでも殺してくるけど」
「冗談ばかりね、雲雀。お前は自分が気に入らないことなら絶対にやらないのに。そのことでお父様が昔から困っていたのを忘れないわ、私」
 クスクスと声を立てて笑う。淑女だというのに声を上げて笑うなどはしたないと思うけれど、ここには私と雲雀しかいないのだから別に構わないだろう。
「お前が必要なのは大義名分なのでしょう? でも私は与えてあげられないわ。だから殺しちゃ駄目よ、雲雀」
 雲雀は私の執事。私が与えてあげられないのなら誰にも与えてあげられない。それを知っていて私はこの答えを選んだ。
「それにしても雲雀がそう言ってくれるとは思わなかったわ。嬉しくて逃げ出してしまいそうになるわね」
「逃げたいのなら逃げるけど」
「雲雀と一緒に? 面白い冗談ね」
「逃げたい癖に?」
「そうよ。私はこれから顔も知らない相手と結婚するの」
 私は相手の顔も知らない。これはただの政略結婚なのだから仕方ないといえば仕方ないけれど。
 私が相手について知っていることといえば、とりあえず私よりもずっとずっと年上のお父様と同じくらいの年の男性で地位は私のお父様よりも上。経済的援助もしてくれるし、両家が合併すればこの辺りも安泰だとお父様も言っていた。
 雲雀が梳き終わった私の髪を手放した。櫛を鏡台に置くけれど、雲雀も私も鏡台の前から離れることはなかった。
「だから雲雀、さよならよ」
 雲雀は何も言わなかった。
「ここから先は私たちの領分よ。私たちが日々の労働をしない代わりに為さねばならなければいけない義務の一つ。特権階級の者が持つ、存在する幾つかの不自由。
 だから私は逃げない」
 それが人々の上に立つ者の義務なのだ。私は望んでその場に立った訳ではないけれど、それでもこの家に生まれたのだから仕方がない。
 そしてこの家に生まれなければ雲雀に会うこともなかったのだから、これもまた一つの業なのだろう。
「それがついさっきの「さよなら」とどう関係するの」
 雲雀は苛ついたように言葉を発した。私の言葉の意図が読めないせいだろう。
「どちらにしても結果は変わらないのよ。私は一ヶ月後に婚約者殿の元に嫁ぐわ。だけど雲雀はこの家のものなのだから、婚約者殿の元に連れて行ける筈がないじゃない」
「嫁ぐ時には数人の侍従を連れて行ける。連れて行けばいい」
「それはメイドの話よ。私付きの執事なんて連れて行けるはずがないわ。私の家の方が位が下なんだし」
 つまり私の家の位が相手より高ければ、そういう暴挙にも出れるということなのだけれど。
「…僕がいなくて君、やっていけるの?」
 私は苦笑する。確かに、雲雀にそう言われても仕方がないだろう。私は自分の世話を全て雲雀に任せてきた。雲雀がいなければ生活だって危うくなるだろう。
 そんなことは分かっている。だけど。
「この一ヶ月で努力するわ。一ヶ月もあったら、まあ大抵のことは出来るようになるでしょうね」
 これでも飲み込みは早い方だ。雲雀にやってもらっているとはいえ、一応見よう見まねでも出来ることだし。
「今までありがとう、雲雀。『雲雀』の家はずっと昔からよく『』に仕えてくれたけれど、雲雀もそうである必要はないのよ。
 雲雀ならきっとどこでもやっていける筈だわ。お前は誰かからの命令は聞かなかった割に、やることなすこと全て完璧だったから。お父様も使い勝手が悪いけれど有能なお前の扱いに困っていらしたもの」
 少し昔のことを思い出して笑ってしまう。昔のことを思い出したついでに、雲雀に頼んだ『お願い事』を思い出してしまった。
 …本当は忘れた事なんてなかった記憶。心の底から望んでいた、私の未来。
「……子ども」
 雲雀が小さく呟いた。
「僕の子どもが産みたいって言ってたけど、あれは?」
 同じ事を考えていた私の肩が震える。…雲雀も、忘れてはいなかったのだ。お互いにあのことについては触れようとはしなかったから、きっと忘れてしまったのだと思っていたのだけれど。
「…雲雀の子どもを産みたいと言ったのは嘘じゃないわ。あの時…私の婚約が決まったとき、私は叶えられなくなった私の望みを言ったの」
 あの時、私はお父様から私の婚約について聞かされた。だからこそ全てを切り捨ててほしくて雲雀にあんなことを言ったのに。
「雲雀の子どもを産みたかったわ。雲雀は執事だから主人である私とは結婚できないから、私は結婚もせずにずっと独り身で。それから雲雀の子どもを私生児として産んで、お父様は私生児を育てることは反対するだろうけれどそれを頑張って説き伏せて私がその子を育てて、その隣に父親である雲雀がいて。お父様が亡くなった後にでも私はようやく雲雀と結婚して。
 …それだけで、そのことを想像するだけでとても幸せだったのよ、私」
 もう実現することはないということを知ってしまったから、幸福になることはなかったけれど。
 それでも、幼い頃はそれだけで嬉しかったし、幸せだった。
「ねえ雲雀、どうして切り捨ててくれなかったの? あの時お前は知っていたんでしょう? 私が婚約したっていうことを」
 きっと切り捨ててくれたのなら、私は今もまだ残っている雲雀に対する思いをあの時に捨て去ってしまえたのに。
「僕は君の望む言葉なんて知らない」
 雲雀はあの時と同じ答えを口にした。
 嘘つき、と私は心から思うのだ。私が何を望んでいるか分かっている癖にそんなことを言う。ずっと昔からそうなのだ。雲雀は私が一番望む言葉こそくれない。
 優しい言葉が欲しいときは厳しい言葉を。厳しい言葉が欲しいときは優しい言葉を。切り捨てて欲しいときは逆に受け入れて。
 雲雀は天の邪鬼なのだ。…天の邪鬼な私に気づいて、雲雀も天の邪鬼になっているのだ。
「………ねぇ雲雀、大好きよ」
 もう一度、私もあの頃と同じ言葉を返した。
 あの頃と同じ韻で、同じように「さよなら」を囁くように。
「だからお願い。私はお前に、お前以外の男との子どもを見せたくないの」
 雲雀は何も言わなかった。
 その表情も、雲雀の顔は目の前の鏡には映っていないので分からなくて―――
 背後の燕尾服の男が立ち去る。その背にたった一つだけ声を掛けた。
「さよなら、雲雀」
 次にこの屋敷に戻ったときは、きっとこの腕に違う男の子どもを抱いているだろうから。
「もう二度と会わないことを祈ってるわ」
 扉が閉められる。
 その瞬間、雲雀が何かを言ったような気がするけれど私の耳には届かなかった。…届かない振りをした。
 鏡に映った私は、泣いていたから。


 それから一ヶ月、私はどうにか自分で生活するように努力した。
 私の世話役は幼い頃から雲雀だけだ。だから雲雀がいなくなったら自分の世話は自分でするしかない。自分でそう決めたのだから自分がどうにかするしかないのだ。
 とりあえず努力したなりに、ある程度のことは自分で出来るようになったと思う。とりあえず、と言うように最低限人並みのことはだけれど。
 それから私の婚約が破棄された。
 破棄された、というよりは消滅したという方が正しいのだと思う。何故ならば、私の婚約者殿は死んでしまったのだから。
 顔も知らないその人は深夜に職場から自宅へと帰っている最中に強盗にあったらしく、頭部を殴打されて一撃。見事なまでの一撃だったと警察の方も感嘆としていた。
 でもその人が一人で帰っていた訳ではなく、きちんと馬車に乗って護衛もきちんと付けていたらしい。だけどその護衛の人達も頭部や腹部などの急所を的確に殴打されていて一撃だったらしい。
 あと、凶器はどうやら細い棒のような物。あと棒の材質は金属ではないかという推察がされているようだ。それで私は犯人が誰か分かったのだ。
 あれから半年経っているというのに、私の屋敷の私の部屋でくつろいでいた私は呟く。
「殺しちゃ駄目って言ったのに…やっぱり殺してるじゃない、雲雀」
 やはり私が大義名分を与えようが与えまいが変わらないということなのだ。雲雀にとって、大義名分なんて関係ない。つまりは自分がやりたいと思うかどうかなのだ。
 ついでにいうと雲雀は既に解雇されていて『』の家とも『雲雀』の家とも関わり合いがないし迷惑もかからない。つまりはやりたい放題なのだ。
「………早まったかしら」
 だけどあの時はああするしかなかったのだから仕方ない。一応後悔だけはしないつもりだ。
 そして流石に婚約者が殺されたということで私もお父様も一ヶ月は喪に服したけれど、お父様は一ヶ月過ぎるとすぐにまた私に婚約者を当てた。ちなみに今回も前回と同じでまたお父様よりも上の年の方だった。
 そしてその時もまた前回の方と同じように亡くなられてしまった。死因は再び金属の棒による殴打。そして同じように私の婚約者殿ということで警察は同一犯だと見なしており、犯人を捜しているらしい。
 そんなことがまた二度三度と続いていれば、いつの間にか私の婚約もぱったりと止んでしまい今はこうしてのんびりと屋敷に引きこもって暮らしているわけなのだ。
 そして結局私の婚約者は今はいない。むしろこれから婚約者なんて出来るかどうか。呪われた女として行き遅れたままなのだろう。
「…まあ、それもまた望むところと言ったところね」
 私の未来予想図に対して第一歩を踏み出したところだろうか。ただ絶対的にまで欠けている物があるのだけれど。
 ……雲雀と、雲雀の子ども。
 雲雀は私と同い年の、十代後半の健全なる(?)青少年であった割には私に指一本触れてこなかった。それは『雲雀』の家に生まれて、そして相手が私だったからこそ触れなかったのだろうけど凄い精神力だと感心してしまう。
 だけれどもう雲雀に会わないと決めてしまった私としては、せめて雲雀の子どもくらいは欲しかったと思ってしまう。それすらも贅沢なのだけれど、今は雲雀もどこにいるのか分からないしそう考えてしまうのも仕方ないと思ってほしい。
 ………だけど、私は。
 椅子に深く腰掛け直す。ゆっくりと瞼を下ろす。
 会ってもいいのかもしれない、雲雀に。
 会わないと決めたのは私で、別れを言ったのも私。その別れの理由は、雲雀に婚約者殿との子どもを見せたくなかったから、というものだ。でも今の私に婚約者はいない。そして今までの婚約者殿には指一本触れられてはいない。
 会う理由はなかった。だけど会わない理由もなかった。
「………もしも、会うことが出来るなら」
 昔の雲雀の言葉を思い出す。昔、私が「雲雀の子どもを産みたい」と言った時、彼は「努力次第だ」と言った。
 努力次第。努力次第ならば―――私が、雲雀を見つけることが出来たなら。
 その時私は、今度こそ雲雀と結婚して、そして雲雀の子どもを産もう。
 頷いて自分の意志を再確認。そして立ち上がって最初の一歩を踏み出そうとした瞬間、扉が不作法に開いた。
「はい」
 私が合図をするよりも先に扉を開けたその人は私の部屋に勝手知ったりと無遠慮に入ってくる。
 誰だろうと思いながら、どこかに既視感を覚える。
 扉の開け方、歩き方、私の元までやってくるその立ち姿一つですら、それはまるで雲雀そのもので―――。
「………雲雀…………?」
 それはまさしく雲雀だったのだ。燕尾服の代わりにスーツを着ていたけれど、まさしく雲雀だ。
 私は口をぱくぱくと開口して、近付いてきた雲雀を指さしてしまう。
「何、幽霊でも見るような顔して。それが半年ぶりに会った人間を迎える顔?」
 ……幻かと思っていたけれど、相変わらずのこの憎まれ口。これは確かに雲雀だ。
「いや、あの…だって雲雀、どうしているの?」
 私は二度と会わないようにと言ったのに。
「半年経ったから会いに来た。半年前にそう言ったんだけど、聞こえてなかったの」
「…………うん」
 そうか、半年前の雲雀の最後の台詞はそれだったのか。聞こえないふりをして結局最後まで忘れていたのだけれど、意外と重要な台詞だった。
「だ、だけど雲雀は『』では解雇したし、『雲雀』の家とも縁切りをしたのでしょう? だったら今や完全な一般人である雲雀がこの屋敷に入れる筈がないじゃない」
「ああ、そのことなんだけどね。―――はい」
 私の掌の中に雲雀から落とされた小さな小箱。何かと思って開けてみれば、中には指輪が入っていた。指輪の部分は銀だろうか、それから中央に埋め込まれている宝石は最近外国から輸入したばかりで希少価値の高い、確かエメラルドという宝石だったはず。あ、他にも縁の部分にたくさんの種類の宝石が散りばめられてる。
「今日は君に結婚を申し込みに来たんだけど」
「え!?」
 思わず宝石から目を離して雲雀に目を向ける。その目は嘘を言っているようには見えなくて目を丸くしてしまった。そもそも雲雀は冗談は言っても嘘は言わないのだけれど。
「いや、あの、でも、雲雀は犯罪者でしょう?」
「警察なら黙らせてきた。相変わらず群れてて咬み殺したかったけど、一応我慢してきたよ」
「我慢するのは当然よ…って黙らせたって何をしてきたの?」
「別に。僕の名前を出して殺人事件を黙認させただけだけど」
「雲雀の名前…?」
 雲雀の言っていることは不穏そのものだけど、そういうこと自体は日常茶飯事だから置いておくとして。…雲雀の名前にはどんな効果があるのだろうか。私の傍にいたときはの家の守護役として有名だったのだけれど、今の雲雀とは少し違うのだろう。
 だけど雲雀の言葉は私を驚かせるに十分だった。
「財閥を作った。これでこの家も文句は言わない筈だよ」
「半年で私の家より大きくしたの!?」
「半年もあれば十分だね」
「………凄いわね…」
 正直感嘆の声しか出ない。確かに雲雀はどこででも生きていけるとは思ってはいたけれど、こんなところでも才覚を現すとは思ってもみなかった。
「それで、イエスかノーか。どっち?」
 雲雀は唐突にこれ以上待つつもりはないと急かし始める。
 私の手の中に収まっている指輪。雲雀の言うことが本当なら、これは婚約指輪もしくは結婚指輪である筈だ。
 私は本来ならばこれに一も二もなく飛びつけばいいのだ。飛びついて雲雀に幸せにしてもらえばいい。そしてその幸福の中に浸っていればいいのに。
 何故かこの身はそれを拒否するのだ。どうしてかは分からないけれど、そんなことは嫌だと言うのだ。
 ふと、昔の雲雀の言葉が思い出される。「努力次第」だと言った雲雀。「努力次第」で雲雀の子どもを産ませてくれると言った雲雀。
 ああ、そうか。おかしかったのはそこだ。
 私は何の努力もしていない。ただ現状に甘えて、何に対しても抗いはしなかったのだ。これは何の努力もしていないというのと同じではないか。
「…私は何もしてないわ。それでも私は雲雀の子どもを産めるの?」
「何の話?」
「だから、昔そういう話をしたでしょう。私が雲雀の子どもを産みたいって言ったら、雲雀は努力次第だって答えたのよ」
「ああ、あれ。あんなのどうでもいい」
「どっ…」
 雲雀があんまりにもあっさりとそう言ってしまうので、私は絶句してしまう。
「そんなことより早くイエスかノーか言ってよ。さっさと言わないなら咬み殺すよ」
 まるで私の答えを理解しているかのようなその口振り。やはり雲雀は私の答えを理解しているのだ。
「やっぱり雲雀は私の答えを知ってるのね」
「当然だね」
 間髪を入れずに返ってきた答えに苦笑を浮かべる。だけどそれもまた雲雀らしい。
 私は小さく頷く。
「…この話、お受けいたします。私たちの別れも、今この瞬間、この為にあったのならば」
 そう言えば、雲雀は小さく笑って私の掌の上の指輪を手にとって私の指に填める。勿論、左手の薬指に。
 そうして私の指に嵌った指輪を見て、雲雀は酷く満足そうな顔をするのだ。
「…ようやく手に入れた。今度さよならとか巫山戯たこと言ったら殺すよ、
 珍しく、雲雀が「咬み殺す」とは言わなかった。つまりそれは、私を確実に「殺す」ということ。
「ありがとう、雲雀。その時はどうかよろしくね」
 笑いながら答えれば、雲雀は唇の端をつり上げた。答えはそれだけで十分だった。
「早く私に子どもを産ませてね、雲雀」
「努力次第だね」
 また昔と同じ言葉を繰り返して―――。
 そして私は白紙の未来想像図に新たな理想を書き加えた。