Ex2 : 未だ殻の中
After 10 years 「雲雀くんって家では着物なんだね」 私は久々にやってきた雲雀くんの家で、珍しく私服でいる雲雀くんに声を掛けた。 今日は家でゆっくりするつもりなのか、雲雀くんは着流しを着ていた。普段は家でゆっくりしていることなんてないから洋服を着ているのに、珍しいな。 「今までも何回も見てるのに、何を今更なこと言ってるの」 「でもあんまり見たことがないよ。着物は部屋着だし、雲雀くんはすぐどこかに行っちゃうから」 「……そうだっけ」 「そうだよ」 初めて知り合った10年前から、雲雀くんはあまりどこかに長くいたことがないから。 ふうんと呟くけれど思い出すような素振りもなく、相変わらずどうでもよさそうに雲雀くんは縁側に胡座をかいて庭を見ている。 この庭を見るのも久々だ。今回はイタリア辺りの国々を三ヶ月くらい旅してきたから、この庭を見るのも三ヶ月ぶりになるのだと思う。 三ヶ月の辺りにこの庭も見事に様変わりにした。前に見たときは桜の花が咲いていたのに、今は紫陽花の花が咲いている。 「それで? 今日は何を描くの」 「うーん…そうだねぇ」 この間来たときにこの部屋の欄干は描かせて貰ったし、今日は庭を描かせて貰おうと思ったけど。 この庭は初めてここにやってきた10年前から変わらずに美しいままだ。春には桜や藤、夏には紫陽花、秋には金木犀、冬には椿。四季折々様々な花が咲くのに、見事なまでの調和が取れている完成された庭。 だけど生物として真に完成された物などない。だからこそこの季節は何の花が咲くのか、どんな風に咲くのか毎年楽しみにしていたのだけれど。 私は庭に向けていた視線を雲雀くんに向けた。 「今回は雲雀くんを描かせて貰ってもいいかな?」 この庭を描くのは毎年恒例のことなのだから、また次にでも描けばいい。 旅立つのはいつでもいい。今回は少しだけ長く日本に滞在すればいいことだし。 「いいよ、好きにすればいい」 「ありがとう」 雲雀くんの言葉を切っ掛けに、私は隣に置いていたスケッチブックを取り出した。これで何枚目になるのかな、雲雀くんを描くのは。雲雀くんの家にたくさんの描き終えたスケッチブックを置かせてもらってるけれど、その中に着流しの雲雀くんはなかったのは間違いない。 とりあえず10年間で沢山沢山雲雀くんを描いたのだけれどこの人だけは未だに掴みきれない。でもそれはそれでいいと思う。世の中、分からないことがある方がいい。 好きとか嫌いとか。人間に対する生身の感情はよく分からないから。だから私は私の感情と雲雀くんの感情を隠すのだ。 ――――きっと、隠さなければ全てが変わってしまうから。私は、私が欲しがっていた物をこの手から落としてしまうから。 ふと雲雀くんが口を開く。黒の着流しから見える、男の人にしては白い肌が奇妙に扇情的だ。 こういう人間は、無駄に創作意欲を刺激される。 「今度はいつまでいるの」 「さあ、よく分からない。とりあえず雲雀くんと庭の絵が描き終わるまではいるよ」 それからどうするかは決めてない。今度どこに行くかも分からない。でもイタリア辺りには行ってきたから、今度はロシアとかいいかもしれない。他にもちょっと危ないけれど中近東にも足を運んでもいい。ただビザの関係で少し時間がかかるけど。 「そろそろ定住するつもりはないの」 「雲雀くんがそれを言うの? 雲雀くんだって一カ所に落ち着いてないのに」 「僕は並盛に家がある」 「それを言うなら私もそうだよ。雲雀くんの家はもう殆ど私の家でもあるよ」 10年前に初めて出会って、そして家を無くした私に雲雀くんがこの家に小さな部屋をくれたあの時から。 年を取る事にあの部屋に積まれていくカンバスとスケッチブックは増えていった。あの部屋に置いていく物はそれだけでよかった。今では何がどこにあるか分からないほどだ。この家があるから、あの部屋があるから、多分未だに私たちははぐれずにすんでいる。 お互いに世界中をぐるぐると駆けずり回って。だけどそれがお互いに出せる唯一の妥協点。 「大丈夫だよ、ちゃんと帰ってくるから」 ここに雲雀くんがいる限り、ここが私の帰る場所なのだ。 偶に帰ってきて、ここで一生四季の庭を描き続けて、隣には雲雀くんがいて。それが私の一生の夢なのだから。 私は、永遠が欲しいから。 雲雀くんはそんな風に言う私を訝しげに見た後舌打ちして、それから真っ直ぐに私の視線を射抜いた。 「今はまだ、君が嫌だって言うから手を出さないけど」 ひんやりとした冷たい殺気が背筋を抜ける。だけど同時に感じるのは、灼熱の太陽よりも熱い身を焦がす炎。 巻き込まれてしまう。壊されてしまう。引きずり出されてしまう。 「もしも君が僕の元から離れるのなら、その時は容赦しない。覚悟しなよ、」 きっとそれは有り得ない状況だと思うけれど、と私は小さく呟いて。 それからうんと、小さく頷くのであった。 感情に蓋をする。こんな風に胸がドキドキするなんて気のせいだ。嬉しいと思うなんて、気のせいだ。 壊されたいと思うなんて、引きずり出されたいと思うなんて、気のせいなのだから。 私は永遠が欲しい。だから私と雲雀くんは友達のままなのだから。 「ね、雲雀くん」 改めて小さく名前を呼んだ。雲雀くんは私を真っ直ぐに見たままで、私もその瞳を真っ直ぐに見据えた。 そして小さく笑う。 これ以上引きずり出されないように。これ以上、この関係を崩さないように。 「………大好きだよ」 まるで答えのように10年前と同じ事を言って。だけど10年前とは違う色を含めて小さく笑う。 雲雀くんは私の答えを拒絶するように視線を庭に向けて。 そして私は10年経っても友達のままの大好きな人を、少しずつ少しずつ描き始めた。 ピシリと、何処かで罅が入る音が聞こえた。 |