Ex3 : ChocolateHolic
扉を開けると、そこは甘ったるい匂いが蔓延していた。 この甘い匂いの見当はついている。本日が何の日であるかということを考えれば、それは日を見るよりも明らかだ。 「相変わらずすごいね、雲雀くん」 「何がだい?」 黙々とチョコレートを食べ続けている彼は見ている書類から顔を上げてこちらを見た。 そうだね、差し当たっては貰ったチョコレートの数とそれをものすごい勢いで食べている割には顔色一つ変わらないことかな。 思ったことをそのまま口に出すことはなかったけれど、雲雀くんは私が何を言いたいのか分かっているみたいで今自分が手に持っているチョコレートを見た。 「欲しいの?」 「甘いものは好きだけどそれはいらないよ。失礼だから」 「そう」 それ以上は何も言わずに無言でチョコレートを口に運ぶ雲雀くん。背後には積み上がった空箱の山。恐らく中身はチョコレートだ。あれだけ食べていて太らないのだろうか。 「…太らないんだろうなあ」 なんたってカロリー消費が激しいから。こう、いろんな人を咬み殺すので忙しい人だし。 雲雀くんは珍しいことに私の言葉に反応してもう一度顔を上げる。 「君が?」 「雲雀くんのことなんだけど」 全くどうしてそういうことになるだろうか。こちらは雲雀くんとは違って極普通の一般生徒なんだから太るに決まってる。特別な運動もしていないのだし。 「雲雀くんは体重のこと気にしなくても十分細いからいいと思うよ、うん」 「君も細いと思うけど」 「…脂肪はね、見えないところについていくんだよ」 「ふうん、そうなんだ」 「雲雀くんは筋肉があるからね…。太らないと思うよ。でも私は気を抜くと太るから気をつけないと」 ああもう本当に気をつけないと。特別食べたいなあと思っていなくても目の前にあったら食べてしまうのは人としての宿命だ。意志が弱いだけとも言うけれど。 「でも君は細いと思うけど?」 「雲雀くんは知らないだけだよ」 服の下に隠された、指で摘めるほどの肉の塊を。 昨日風呂場で確認した体重を思い出すと涙がでそうになる。ついでにその時に確認した本当に掴めた肉を思い出してじんわりと涙が浮かぶ。 「ふうん、じゃあ見せてよ」 「…は?」 何言ってるんだろう、この人。 あまりの驚きに引っ込んでしまった涙で潤んだ視界で雲雀くんを見る。雲雀くんは相変わらずの表情で持っていたチョコレートを口に放り込むと、もう片方の手で持っていた書類を置いてこちらに近づいてくる。 「まあ見せてくれなくてもいいけど」 言っていることとは裏腹に、雲雀くんは明らかに不穏な雰囲気を持っている。 「…雲雀くん?」 なんだろう、その今にもトンファーを出しそうな楽しそうな表情は。(だからこそ私にとっては不穏な雰囲気なのだが) 私は咬み殺されるのだろうか。 思わず背中を向けて逃げようとした私を、雲雀くんは腰を掴んで逃がさない。 「逃げるの?」 「それは逃がしてもくれない人の言うことじゃないと思うんだ」 「じゃあ何て言えばいい?」 「…さあ?」 そんなことを言われても今私が逃げられないのは変わらないわけだし。 「そう」 どうでもよさそうに雲雀くんは言った。人のことを気にしないマイペースさはさすがと言うべきか何と言うべきか。 「それで私はどうしたらいいの?」 「別に。何もしなくていいよ」 観念して雲雀くんの腕の中で大人しくしていると、雲雀くんの言葉が頭の上から降ってくる。成る程、と納得して本当に何もしないままにしていると、突如私の脇腹に触れた感触に硬直する。 「うん、やっぱりないね。僕としてはもう少し肉を付けた方がいいと思うんだけど」 脇腹を探るように動く指は本当に確認しているだけのような動きで変な感じはしなかったけど、それでも落ち着かなくて雲雀くんに抗議の視線を送ってみる。が、視線は合わさっただけで見事に無視された。 だけどなんだか本当に私の反応が何もないのが面白くなかったのか、雲雀くんは不意に手を背中に回して。 「…え?」 あれ、ブラのホックが外れた。 「あの、そろそろ乙女の理性が灼き切れて意識を失いそうなのですが」 「失えばいい。その代わり僕が好きにするけど」 「頑張って保たせます!」 うん、上から聞こえてきた舌打ちはきっと気のせいだ。 「ねぇ」 「…なに?」 先ほどとはまた少し違った声色で話しかけられる。これは純粋な興味だろうか。 「どうやって追いつめられたい?」 …何を言っているのだろうかこの人は。 私もまた硬直から顔を青くさせると、勢いよく首を横に振った。 「追いつめられたくないよ!」 「でも君は逃げるだろう?」 「うん」 「だったら逃げないように捕まえておくしかない。その為にはまず獲物を追いつめないと」 「私が追いつめられることは確定?」 「当然」 雲雀くんは本当に当たり前のように笑うので、私は渋々頷くのだ。 「…なるべくなら私に負担がない形でお願いします……」 「僕が考えうる範囲でね」 「それは、とても怖いなあ」 「そうかな」 「そうだよ」 ありがたいことに今までの経験上断言できることだった。 「…怖いけど、期待しておくよ」 何を、とは言わなかった。雲雀くんも尋ねることはなかった。相変わらずそういうところは聡い人だ。 ありがとう、と心の中で小さく呟くと雲雀くんはそれを感じ取ったかのように私から離れていった。そして戻るのは相変わらずの大机の元だ。 そういえば、私はどうしてここにきたのだっけ。 ふと思えば、雲雀くんはチョコレートを指で遊びながら私に尋ねた。 「そういえば君はないの?」 固有名詞はなかったけれど、ない、というのはこの状況では一つしかない。 私は努めて笑顔で返すのだ。 「ないよ」 「だと思ったよ」 「予想通りだね、おめでとう雲雀くん」 「全くめでたくないね」 雲雀くんはとても苛立っているようだった。久々にトンファーでも出しそうな雰囲気だ。こう返した私が言うのもなんだけど、私もこんな反応されればいらっとする。 「気が変わった。あげるつもりでいたけれど仕方ないね。無理矢理貰おうか」 「…へあ?」 あ、目の前、雲雀くんの顔が。 ―――暗転。 それ以降のことは語るに及ばず。 どうなったかというのはまあ、ご想像にお任せすることにしよう。 |