王様と召使い
[ 2 / First Impression ] 私は目を覚ました。 きょろ、と辺りを見回すけれどそこには誰もいなかった。この時間になると起こしてくれるお母さんもいないし、庭で土いじりをしているお父さんの声もしなかった。見慣れない部屋に私は一人だった。 ここは孤児院だ。あの大火事で私はお父さんとお母さんと家をなくしてしまい、身寄りのない私を引き取ったのは神父様だ。だから私はここにいる。 太陽が少し出てきた頃の明け方、変に目が冴えている。おかしいな、この時間ならもう少し眠いのに。でも眠れなかったから、私は孤児院の外に出た。 朝日が綺麗だった。 私の足はいつの間にか動いていた。目的の場所は分かっていた。 それは子どもの足では少し遠い場所。未だ色濃く残る火災と戦火の匂い。 だけどそこは、紛れもなく私の帰る場所だったのだ。 たどり着いたそこには先客がいた。 士郎ちゃんだった。 私の家の近所だった士郎ちゃんは、病院で一緒だったから生きているのは知っている。ただ私と同じような身柄だった士郎ちゃんが私と同じように孤児院にいないのは、士郎ちゃんは引き取りたいと言ってくれる人がいたからだ。 そんな士郎ちゃんは一生懸命自分の家を探しているところのようだった。私の目的も一緒なので、近所である士郎ちゃんの傍に歩いた。 士郎ちゃんが私に気付く。 「…あ」 「…おはよう、士郎ちゃん」 「……おはよう」 交わした言葉はそれだけだった。 後はお互いに家を探すだけだ。あの火災で何もかもなくなってしまったので、せめてそれが自分の家ではないかと確証を持てる物を探して歩くだけだった。 日がいつの間にか高くなっていた。 いつの間にかかいていた汗が頬を伝った。口の中が乾いていた。 上手く見つけられそうにはなかった。もう長い間こうしているので、思考回路が麻痺していたのかもしれない。ただ頭が呆っとしていた。 もう今日は諦めなければならないのかもしれない。そう思っていたところに、士郎ちゃんが私の袖を引いた。 言葉を発する必要はなかった。目を見ただけで何が言いたいのか分かった。士郎ちゃんは背を向けてある来出す。私は士郎ちゃんについていく。 士郎ちゃんが立ち止まったところが士郎ちゃんの家だった。それは分かる。そこは辛うじて分かると言った程度には分かるほど門の外観が残っていた。表札にはきちんと士郎ちゃんの名字がかかっている。漢字が難しすぎて読むことはできないけれど。 士郎ちゃんの家が分かったのならば私の家も分かる。士郎ちゃんの家の通りの突き当たりが私の家だ。 一歩ずつしっかりと歩いていく。ここは私の家の道。士郎ちゃんの家からの帰り道。火事の前の日はそうやって帰った。晴れた日の夕暮れ空、お父さんが手を引いて帰ってくれた。お母さんが晩ご飯を作って待っててくれた。今はもういない人たち。 立ち止まる。私の家も比較的家の外観が残っているようで、他の家よりかは分かりやすかった。ここが私の家だ。 私の家。お父さんとお母さんのいる私の家。家に帰ったらお母さんがいて晩ご飯を作って待っててくれた。お父さんが帰ってくるのを待って、帰ってきたら一緒にご飯。お休みの日はお父さんとお母さんと一緒に公園やデパートに遊びに行っていた。だけど今はもうない。もういない人たち。 壊れた私の家。どこかから赤い色が見えるのは、気のせいなのか。 ずっと不思議だった。今までお父さんとお母さんは亡くなったんだよ、君はこれから孤児院で暮らしてもらうことになったんだという言葉や今の状況がどうしても浮ついたものにしか聞こえなかった。状況が全然分からなかった。今までと変わらないように思っていたけれど私はようやく。 この家に来てようやく、私は初めて私の全てが失ったことを受け入れたのだ。 ―――いつの間にか空が夕暮れに染まっていた。まるであの日のように真っ赤な世界だ。だけどそれが実現することはないということも分かっている。 私は立ち上がって振り返る。そこにはまだ士郎ちゃんが立っていて、その姿は先ほどまでの私のそれと同じだ。 私はその隣を通り過ぎて立ち止まる。一度振り返って、「バイバイ」と手を振った。記憶の中にいる士郎ちゃんには分からなかっただろうけれど、その姿を少し見て私は孤児院に戻った。 *** どうにかして教会まで戻ってくると、教会の手前に誰かが立っていた。 知らない男の人だ。金の髪と紅い瞳の、背の高い男の人。教会に用だったのだろうか、その人は教会を背に佇んでこちらを見ていた。 視線が交差する。だけどそれだけで、私はその人の隣を通り過ぎるときに軽く会釈をして会話を交わすことはないはずだった。 「捜し物は見つかったか? 小娘」 「………はい」 だけどその通り過ぎる一瞬に、その人は声を放った。私は頷いた。 この人は神父様の知り合いなのだろうか。そうでもないと戻ってきた私にこんなことは言わないだろう。きっと朝にはいなくなっていた私を心配して、探していてくれたのだろうか。 だけど何だかこの人は違うような気がする。何だかこの人は何かが人とは違う。まるで今初めて会った私のことを全て見透かしているような目をしている。 「ふん、我にはそこまで価値のある物には思えんのだがな」 「その人の価値観はその人だけの物です。―――貴方にだって、大切な人を失って泣いたことがあるのでしょう」 私はもう受け入れてしまったから、きっと泣くことはないのだけれど。 ないと言われればそれでお終いだ。でも何だかこの人はそれを知っている気がした。大人なんだから知っているとかそういうのではなくて、この人は何か大きな悲しみを持っているような気がしたのだ。 だってその赤い瞳には、私と同じ色がある。 「王である我と卑賤なる貴様を同じと考えるか。貴様、万死に値するぞ」 「…喪失は誰にだって訪れる物です。それは生き物である限り変わりません。その点で言えば、私も貴方も変わらない」 その人の怒りの気配が強くなっていく。私の言葉の一つ一つがあの人を怒らせる。肌がピリピリとしていて、きっと私はここで殺されるのだと何となく分かった。 私は子どもで、子どもは死にやすい。きっとこの人が手を挙げたらすぐに死んでしまうような生き物だ。それなのにあの火災を生き残った今の方がおかしいのだ。素直に殺された方がいいのかもしれない。 だけどそれでも生きたいと思う、そのことに理由なんてない。子どもの私は、明確にそれを知っている。 「ほう、抗うか」 感嘆とした声だ。まるで予想を崩されたことを喜んでいるような。 「だって死にたくありません」 じり、と一歩ずつ後ろに下がって距離を取っていく。その分一歩進んで距離は元通りだ。だけど子どもと大人の歩幅だったらどちらが大きいかなど明白で、結果として距離は少しずつ縮まっていることになる。 一歩、二歩、近付いてくるその人。先ほどのような殺気はなくて、どちらかというと遊ぶような気配がある。まるでネズミで遊んでいる子どものような感覚。絶対的強者と弱者の関係だ。 そして、距離が零になる。簡単に零になった距離と同時にその人の手が私の首に掛かる。 「中々面白かったぞ、小娘」 ひゅ、と私が息を呑んだその瞬間。 「そこまでだ、ギルガメッシュ」 聞こえてきたのは神父様の声だ。唐突に聞こえてきた声に首にある手は力を込めることはせず、その一瞬で私はその手から逃れた。 「何をしている。私は殺せと言った覚えはないが」 神父様が咎めると、その人はふんと鼻を鳴らして坂を下りていく。 だけどその姿が見えなくなる前に声が一つ。 「その小娘だけは取っておけ、言峰! 中々面白いからな!」 そしてその姿は完璧に私の視界から消えた。私は神父様を見る。 「神父様、あの方は…」 「すまないな、ギルガメッシュが悪いことをした」 首を振る。それは神父様の非ではなかった。かといってあの方の非にするつもりもないけれど。 それよりも尋ねたいことが一つ。 「いえ…、ギルガメッシュ、というのですか? あの方は」 「ああ」 「そうですか…」 ギルガメッシュ。その名前は確か何かの神話の王様だった気がする。神様と人間の中間の、王様だ。 「…じゃあ、王様ですね」 そう言って笑うと、神父様が目を眇めて「成る程」と呟いた。何が成る程なのだろうか。 分からなかったけれど、私は神父様に連れられて教会の奥の孤児院に入ったのだった。 それが、私と王様の出会いだった。 |