美女と野獣の生贄


 春。桜が散って、葉っぱが緑になって、もうすぐ梅雨になるかならないかというほんの少し暑い日のこと。
 私はこの空き地でたった一本だけ生えている木の下で涼んでいた。
 目の前では、組み手をしているパンダと女の子。元気いっぱいに組み手をしている女の子は私のお友達の都古ちゃん。その都古ちゃんの八極拳を軽々と捌いているのは、都古ちゃんのお師匠さんのパンダ師匠さんだ。都古ちゃんが師匠と呼ぶから、私は師匠さんと呼ばせて貰っている。
 都古ちゃんは学校帰りはこの空き地に来て師匠さんと組み手をしている。私はいつもその都古ちゃんに着いてきているだけだ。しかも少し体が弱かったりするので、師匠さんと都古ちゃんの組み手を見ていることしかできない。…いや、普通の人でも見ていることしかできないけど。
 何というか、私みたいな一般人は立ち入ることが出来ません。
 そして今日も相変わらずいい感じにすごいことをしているのがこの二人。あ、今なんか「究極奥義!」って叫びながら都古ちゃんが地面を踏んだ。師匠さんはまともに食らって空中に吹っ飛ばされたけど、空中で見事に体勢立て直して都古ちゃんに蹴りを仕掛けた。それを都古ちゃんはガードして、師匠さんもそれを読んでたのか一端後ろに下がって…師匠さんの姿が一瞬消えた! うわ、都古ちゃんの目の前に来た! それで投げた!
 どさっていい音がして、都古ちゃんが地面に倒れた。キレイに極まっちゃったから、しばらくは動けないかもしれない。
「都古ちゃん!」
「へ、へーきだよぉ…! 大丈夫、ちゃん!」
 駆け寄ろうとした私を、仰向けに倒れた状態のまま手を振って片手で制した都古ちゃん。
「師匠! 今日もありがとうございました!」
 しばらくは動けないのか、仰向けに倒れたままでいつものように都古ちゃんは師匠さんに言った。師匠さんは静かに頷く。
「立てるか?」
「えーと、多分大丈夫!」
 元気いっぱいに都古ちゃんは言うけれど、多分というのが不安に拍車を掛けることには気づいているのかいないのか。
 私はため息を吐いて師匠さんにお願いした。
「師匠さん、一端休憩にしますから都古ちゃんをこっちに連れてきてくれますか?」
「分かった」
 いつものように私が言うと、師匠さんもいつものように都古ちゃんを荷物運びみたいに肩に乗せて木陰に連れてきてくれた。
 私は横たえられた都古ちゃんに、あらかじめ用意しておいた冷やしたタオルを額に乗せた。
「えへへ…ありがとー、ちゃん」
「どういたしまして、都古ちゃん」
 気持ちよさそうに笑った都古ちゃんにこちらも笑みを返す。この分ならそんなに大事でもなさそうだ。まあ、師匠さんも都古ちゃん相手にそんなことしないと思うけど。弟子だし。
 他にもタオルを少し多く持っていたからついでに都古ちゃんの頬を伝う汗を拭いておく。結構汗ばんでるから顔くらいは拭いてあげよう。
「…あれ? 都古ちゃん?」
 そうこうしていると、いつの間にか都古ちゃんが眠っていることに気づいた。今日の稽古は少し激しいものだったから、疲れちゃったのかな。
 それに学校でも色々あるし…部活とか。私は文化部に所属してるから分からないけど、都古ちゃんの部は色々と疲れるみたいだし。何たって『あの』スーパー合気道部なんだし。
「師匠さん、このまま寝かせてあげてもいいでしょうか」
「日が暮れる前までには起こすことだ。ここから先は色々と煩いものが増えるから」
「あ、はい。分かりました」
 春の学校帰り、日は少し長くなったけどまだまだ春の様子を残している今の季節は茜色に空が染まっている。
 黄昏時、というのはこういう時のことを言い、同時にこの時を逢魔ヶ時と言う。
「でも師匠さん、この時間の方が多くないですか? そういうの」
 生まれつき色素の薄い、見ようによっては青にも見える瞳で私は茜色の空を見る。意外と遠くにいるから分からないけれど、あれは妖怪だろうか。ああ、精霊もいる。
 この時間帯から多くなるのは人間以外のものだ。それを見る私の目を、師匠さんは浄眼と言った。
 都古ちゃんのいる時とはほんの少しだけ口調の変わった師匠さんは言う。
「今なら俺がいるから守ってやることが出来る。都古もいるしね。ただし、帰り際は保証しないよ」
「大丈夫ですよ、都古ちゃんがいますから」
 都古ちゃんなら私を守ってくれることを知っている。
 それに、師匠さんは都古ちゃんがいる限り私に手を出すことはないのだから。
 私は浄眼と呼ばれる瞳で師匠さんを見た。
 ずっと前から不思議でならなかったのだけれど、どうしてこの人はパンダの姿をしているんだろう。
 都古ちゃんは不思議には思わない。都古ちゃんの部活がそもそも不思議要素満載だから。それに世の中には意外と魔法少女で溢れてるから、みんなも不思議に思わない。
 だけど私はそれ以外のことで不思議に思ってしまう。それは、こんな瞳を持っているからだろうけど。
「それにしても師匠さん、何でパンダの姿をしてるんですか?」
 私には師匠さんが『人間の姿・・・・』に見えるのに。
 そう問えば人間の姿をした師匠さんは一度驚いたような表情をしてからニヒルに笑った。
 黒髪に猫っ毛に、少し色素の薄くて青にも見える私と同じような色をした細い目、男性にしては細身の体。
 一度見たことがある顔だ。ずっとずっと昔のことだけど、その笑い方も知っている。
「さぁ―――アンタは何でだと思う?」
「師匠さんはパンダなのが残念ですけど…獣の姿をしている所からして、やっぱり真実の愛を探すためじゃないでしょうか」
「成る程、美女と野獣か。人間の時に残虐行為をし過ぎたために獣の姿に変えられた野獣ね―――ふぅん、なかなかいい眼をしてる」
「ということは正解でしょうか?」
「それは俺も知らない」
「え?」
 私は目を丸くして師匠さんを見た。すると師匠さんは何故だか少し面白そうに笑った。
「何、実は知り合いに魔女がいるんだが―――どうもその魔女の機嫌を損ねてしまってね、いつの間にか王子は野獣に様変わりしてしまっていたわけだ」
「だったら魔女さんに謝らないと駄目ですよ」
「俺はその魔女が何を怒っているのかが分からないんだ。つまりは謝りようがないということさ」
「はぁ…成る程」
 いやそれでも謝った方が良いんじゃないでしょうか。師匠さんは元々人間なんですし―――と言おうとして止めた。
 師匠さんの目がとても楽しそうだったからだ。
「ええと…師匠さん、今の状況は楽しいですか?」
「ああ―――とてもね」
 そう言った師匠さんは本当に満足げだったので、私はそれ以上何も言わないことにした。
「そうですか、なら良かった。でもその状態に飽きたら言ってくださいね、私も魔女さんのお怒りを解く手伝いをしますから」
「ああ、そうなったら頼むよ
 ―――しかし気が変わった。アンタを殺すのはもうしばらく先にしておこう」
「はい、ありがとうございます」
 とりあえず笑顔を返しておいた。
 何故かは分からないけれど、師匠さんが私を殺そうとしていたことは知っていた。色々な場面で殺気をぶつけられたりしたし、それにそういう発言も一度や二度ではなかったから。
 でも、これでようやくこの場所でゆっくり息をつけるみたいだ。私は安堵の息を吐いた。
「うん? 緊張させてたかな?」
「ええっと…はい。私いつ殺されるんだろうって。師匠さんは当たり前のように私を殺すっていう感じでしたし、都古ちゃんはそれに気づかないし……」
「その割には毎日都古に着いて来ていたみたいだけど」
「それは…その……秘密です」
 ずっと昔、きっとこの人は覚えていないこと。
 だからきっと、それはずっと私の中で秘密のことなのだ。
「ハ―――ま、どうでもいいことだ。
 日が暮れるまでまだ時間がある。しばらくは休んでいくといい」
「…はい、ありがとうございます」
 日が暮れる、というのが真実その通りの意味ではないというのは分かっていたけれど。
 しばらくは師匠さんの気まぐれに付き合ってみようと、私は師匠さんの青い瞳を見ながら笑った。


***
魔女=白レン
日が暮れる=ヒロインを再び殺そうと思う瞬間
だったりします。
師匠の言葉を字面通りに受け取ると死にます。頑張れヒロイン。
以上、パラレルワールドだけど一応世界観は繋がってるよなお話。
気が向いたら続き書きます。