喪失の幸福


「あの、アスランさんはこれからどうするんですか…?」


 戦争が終わって、長い長い戦争が終わって。ようやく落ち着けるようになった時間がとれてきたこの時期、オレはアスランさんに尋ねた。

 戦争は終わった。たくさんの犠牲を出して、何も決着を見せずに、終わった。
 だけど、色んな人の色んな尽力があって、その中にはオーブのアスハの力なんかもあって、ようやく様々なものが復興してきた。
 だけど、失われたものは取り戻せない。そう思い知った戦争。オレは少し成長したような気がする。
 そうじゃなければ、あの時許してもらったといえども、仲違えしたこの人と話をすることなんて出来ないと思う。

 アスランさんは珈琲のカップを持って振り返った。お互いに軍服は着ていない。二人とも、あの後軍を辞めたからだ(アスランさんは除籍処分だった)。
 今はアスランさんは、初めてオレ達と会ったときのようにアスハの護衛をしている。アスハが頼んだらしい。

 オレは、何もしていない。ただ、オーブで働くアスランさんの傍にいた。アスランさんの部屋にいて、部屋に閉じこもったまま。アスランさんは何も言わずにオレを側に置いてくれる。
 オレにだってアスランさんみたいに、平和のために何かをしたいなと思う。だけど、それだけの活力がまだ体にないのだ。

 今のオレには何もなかった。主張も、主義も、意志も、平和になったということを喜ぶ心も。そんなものはあの時戦争が終わったとき、議長やレイが死んだとき、彼らと一緒になくなってしまったのだ。
 良くも悪くも、アスランさんがいなくなった後のオレの指標はあの二人だったから。

 あの二人に信頼されて、それにオレも信頼を返して。そして戦って。残ったものは何もない。でも、不思議なことにあの二人に対する憤りはなかった。あの二人だって二人なりに必死だったんだと分かっていたから。

 ルナは、最初は腑抜けたオレをどうにかして元に戻そうと必死だった。でも、元に戻らないと分かった途端、アスランさんの提案に乗って、オレをアスランさんに預けてメイリンと一緒にプラントに帰ってしまった。こういう時、女なんだなあと感心してしまう。
 そんなことを考えていたら、アスランさんが口を開いた。

「ああ、俺は…プラントには戻れないから、当分オーブにいるよ。しばらくはカガリの護衛をして…、それで安定してきた頃に護衛は止める。カガリやキラ達の前からも姿を消す」

 アスランさんは珈琲をすすった。それからオレにもカップを渡してくれて、オレは呆然としながらそれを受け取る。
 この人はなんて言った? 姿を消す? 何で?

「…何でですか? これからもアスハとか、フリーダムのパイロットとかと一緒にいればいいじゃないですか。何か、姿を消す理由でもあるんですか?」

 顔が強張っている。眼が見開いた。カップを持つ手が震えてる。
 この人は、この人までオレの前からいなくなるのだろうか。
 マユやステラやレイみたいに奪われるのでなく、自分からいなくなってしまうのだろうか。

「ちょっと、一人になりたくってな。…色んな事に、疲れてしまったから」

 アスランさんは色んな事に疲れたように笑う。本当に疲れているのだろうと思う。今の時期はとても不安定で、何かあったらすぐに戦争が起こってしまう状況で。オーブ代表であるアスハはとても狙われている。護衛であるアスランさんが疲れるのも無理はないと思う。

 だけど、貴方もオレの前から消えるんですか。貴方がいなくなったら、オレはどうすればいいんですか。
 まだこの心につけられた疵も癒えていないというのに。貴方の疵も癒えていないのに。

「その間、何するんですか」

 オレは平静を装って尋ねた。カップを掴む力が籠もる。
 アスランさんは眉を寄せてうーんと唸って。

「何をしようか。まだ考えてないけど、穏やかに暮らせればいいと思う」

 そして、笑った。
 ミネルバでもフリーダムのパイロットの前でもアスハの前でも見たことのない綺麗な笑みで、アスランさんは笑った。
 それがあんまりにも綺麗だから。見たこともないくらいに綺麗だったから、引き留めちゃダメなんだなって思ったんだ。

「貯金は結構あるし、カガリから給料も貰ってるから、好きな所に行けるんじゃないかな。お前も軍人だったんだから金は結構あるんだろう? シン。足りなくなったらその場で稼げばいいし」

 アスランさんが何か言ってるけど、オレの耳には届かない。
 届かない。届かない。アスランさんの言葉なんて届かない。

 冷めた珈琲を一気に呷った。
 アスランさんが飲むのはいつも濃いブラックで、オレはそれにミルクや砂糖を入れて飲んでいる。
 だからなのか、あんまりにも濃いカフェインに胃の中が気持ち悪くなった。
 だけど、


 届かないから、届かないフリをするから。
 たった一つだけ、オレに我が儘を言わせてください。


「…オレも、」
「え?」

 声を絞り出す。掠れた声。
 カップに向かっていた視線から、アスランさんへと移して挑むような眼差しを向けた。
 だって、そうじゃなければあんまりにも幸せそうなアスランさんに負けてしまいそうだったから。

 アスランさんは驚いたようにオレを見ている。
 オレの声が届かなかったのか、それはよく分からない。

 だから、叫んだ。
 アスランさんの声が聞こえないように。アスランさんの声を遮るように。
 オレの声がアスランさんに届くように。


 残りの人生どうなっても構わないから、
 オレに、たった一つの我が儘を言わせてください。


 何一つ望まなかった。戦争が終わってから何もしなかった。
 ただ、この人の傍にいることを望んだ。それだけを望んで、この人は叶えてくれた。
 オレはこの人に甘えていて、この人はオレに甘くて。
 オレは何もしなくてもよかったけど。

 でも、それじゃあダメなんだ。
 オレは、オレの意志で動かなきゃならないんだ。


「オレも連れて行ってください!」


 オレは、この人を、失いたくない。

 傍に、いてほしいんだ。


 沈黙が怖い。何で何も言ってくれないのか分からない。
 怖くて怖くて、だからすぐに視線を逸らしてしまって。
 アスランさんがどんな反応をしているのかが分からない。

 カップに視線を向けた。カップは空で、まるで今のオレのようで。
 言いたいことも、気持ちも、アスランさんへの感情は今の言葉で全て吐き出してしまった。
 今のオレは空っぽで。どうしようもなくて。
 何も言ってくれないのが怖い。だけど待つしかないから待っていると。


「何言ってるんだ? シン」


 呆気なく、この人は言うのだ。


「…え?」

 顔を上げる。視線を向ける。
 アスランさんは、カップを持ったまま呆気にとられたような顔をしていた。


「だから、何言ってるんだ? 俺が行くのなら、お前も一緒に行くに決まってるだろう。
 シン、お前は俺が拾ったんだ。なら飼い犬の世話をするのは飼い主の勤めだし、飼い犬が飼い主に着いてくるのは同然だろう?」


 その当たり前のような言い方に、オレも呆気にとられてしまって。
 そしたら勝手に頬とかが動き出して、いつの間にか笑ってた。



 なあ、マユ、ステラ、レイ。
 オレ、幸せになれるような気がするよ。
 いい人も悪い人もたくさん殺したし、オレの力じゃ誰も救えなかったけど。
 だけど、この人となら幸せになれるような気がするよ。

 笑った。久しぶりに、笑った。
 生きる喜びを、見つけた気がした。