灯火
それはふとした瞬間。 振り返れば、そこに貴方がいた。 オレと、レイと、ルナと三人で一緒にいた時、感じた何気ない視線。 振り返れば、少し離れた場所に貴方がいた。 オレたち三人から少し離れた場所に、暖かな視線で。 貴方が、いた。 「アスラン、さん」 「何だ? シン」 離れていくあの人に、声をかける。あの人はいつも通りの調子で振り返る。 「あの、ついさっき…」 「ついさっき? ああ、すまなかったな、気を悪くしたか?」 「いえ、それは大丈夫です」 首を振って否定する。言いたいのは、そんなことではない。 言いたいのは、尋ねたいのは、――――そんなことでは、ないのだ。 「何でそんな眼、してたんですか」 「眼?」 「はい、っていうか視線なんですけど」 「…覚えがないな。どんな眼をしてたんだ?」 先刻のことを思い出す。オレと、レイと、ルナの三人で一緒にいたときのこと。 時間が空いたからMSの模擬戦をしようとルナが持ちかけてきて、それにレイとオレが賛同して、シミュレーションでやろうと部屋に向かっていたら、アスランさんがいて、それをまたルナが誘って。そうしたらまた素直に了承したアスランさんと一緒に行って。 後はただ、三人ではしゃいでいたような気がする。誰が勝ったとか、誰が負けたとか、そんなことでただただはしゃいでいて。 オレがレイに負けたから、オレがレイに突っかかって。それをルナが諫めるんだけど、ルナがレイに負けたらまた同じことの繰り返しで、今度はオレが二人を諫める方になる。 そんなのがずっと続いていて。そういえばアスランさんはシミュレーションやってないよなって振り返ったら、アスランさんは壁に寄りかかってオレたちを見ていた。 まるでそれは酷く美しい物を見るかのような。 尊い物を見るかのような。 憧憬と、諦観と、懐古と。 とおいむかしの、 「懐かしいって目、してましたよ。全力で」 「全力でってまた、おかしな表現だな」 「んなことどーでもいいんですよ」 茶化して誤魔化そうとしていたアスランさんに募る。そうしたら、少し困ったようにあの人は笑う。 きっと、今からオレが言わそうとしているのはあの人の言いたくないことに入るんだろう。でも、 でも、ほんの少しくらい言ってくれたっていいじゃないですか。それで心がほんの少し軽くなることだってあるんだ。 この人は何も言わないから。オレたちとは一歩引いているところがあるから。 確かにそう言う人も必要だって言うことはオレだって分かってる。だけど、だけど。 オレは貴方と仲良くしたいよ。今以上に仲良くなりたいよ。貴方のことが知りたいよ。 だから言ってほしい。言って、今よりもっと、貴方のこと、 「…参ったな」 「言うつもりになりましたか?」 「ああ、…そんなとこまで見られてるとは思わなかった」 苦笑を浮かべて、一度ため息をついたあの人は口を開く。 瞳が、ついさっき見た色に変わる。 憧憬、瞠目、――――郷愁。 「懐かしいな、と。思って」 「さっきのこと、ですか?」 「ああ、…アカデミー時代を思い出した」 そうして笑いかけるアスランさんはオレに笑っているようでそうではない。 この人が笑いかけているのは遠い過去だ。 …失われてしまった、過去だ。 それは、オレにだって。…オレにだからこそ分かる、感情だ。 「俺の所属していた隊のことは知っているんだろう?」 「はい、アカデミーじゃ伝説ですよ。ザフトレッド…クルーゼ隊のことは」 アカデミーではクルーゼ隊は既に伝説だ。 成功率は100%に近く、アカデミーに在学中から既に様々な伝説を打ち立てていた。それを知らぬ人間は、アカデミーにはいるまい。 …だが、それでも。そんな彼らでも先の戦争で生き残ったのは、その中の半分しかいなかったのだ。 オレの考えていることが分かったのか、アスランさんは穏やかに笑った。…穏やかに、笑った。 「なんか、今じゃ伝説とか言われてるみたいだけど。俺たちもあんな感じだったんだよ、シン。アカデミーでも、それ以外でも。お前たちみたいにあんな風にはしゃぎ回ってた。 イザークが俺に突っかかって、俺はそれを受けて、ディアッカがイザークを煽って、ニコルがそれを注意する。それをラスティが面白そうに眺めてて、ミゲルがようやく俺たちを止めるんだ」 知っている人と知らない人の名前が交錯する。俺の知らない人。戦争で死んだ人たち。 「…そんなことを思い出していたんだ。楽しかった日々のことを、思い出していたんだ」 言いながら、穏やかに笑う人。 昔のことだと、穏やかに笑う人がいる。 どうしてそんな風に言えるのだろう。 そんな風に、穏やかな懐古と共に。優しげな笑顔と共に。美しい思い出を語るかのように。 おだやかな、ほほえみで。 「…どうして、そんな風に笑えるんですか」 「どうして?」 「どうして、そんな風に…昔のことだと」 大丈夫だと。まるで語りかけてくるように。 笑う、あの人は。 つけられた傷すら、淡いヴェールで包んで。 「ああ、だって」 まるで尊い物を見るかのように。 「お前たちがいるから」 たったそれだけで俺には十分だと、あの人は照れたように笑った。 確かに失ったことはとても痛かったけど、だけど。 今生きているお前たちがいるだけで、俺は十分だよとはにかんだように笑った。 失った物は多く。失ってしまった物はとても多く。 それによってつけられた傷はあまりにも多すぎて、癒すことすら困難だけど。 失った物が多すぎて、立ち上がれなくなってしまいそうになるけど。 …笑うのだ。 あの人が、笑うのだ。 目の前が真っ暗になりそうなほどの暗闇の中から、あの人が笑うのだ。 オレと同じ絶望の淵から、あの人が笑うのだ。 まるで、それはひかりのように。 よあけのように。 うつくしく、あたたかく、 ひかる。 「…アンタ、馬鹿ですよね」 「お前が言うか?」 真っ直ぐに前しか見ない、お人好しのこの人を。 つけられた傷しか見えないオレだけど。 この人の心を、ほんの少しだけ軽くしたいと思ったんだ。 |