ひかり


 困った。
 L1最強のエージェントを自負し、そして他者からもそれを認められている自分が困ったなどと何を言っている情けないと自答する声もあるが、とにかく困った。

 戦争は終わった。
 この手で、終わらせた。
 地球へと落ちていくリーブラの欠片をツインバスターライフルで破壊し、最悪の危険を免れて戦争は終わった。
 大気圏の中で熱に浮かされながら、初めて生に執着した自分を確かに覚えている。
 そこまではいい。予想の範囲内だ。
 だが、戦後のことなど考えたこともなかった。
 自分がこの戦争を生き残るという明確な予想がまるでなかったのだ。

 オペレーション・メテオが始まる以前から、自分が使い捨てであることは理解していた。ただ任務の達成率、成功率、そして完成率が一番高かったから今まで生き残れていたのだと、理解はしていた。
 だが地球は戦場だ。激戦の地であることは変わりない。オペレーション・メテオが始まる際に、Dr.Jからも生き残るという希望は持つなと言われていた。希望を持てば任務を遂行できなくなる、とも。
 それがどのような理由を持っていたのか理解していた。それがDr.Jの精一杯の優しさなのだと理解していた。
 だからこそ、自分はこの戦争で生き残るという明確なイメージを描けなかった。

 だから今、自分が生き残っているという事実に混乱してしまう。
 生き残るとは思っていなかった。生きていることさえ想像できなかった。
 だからこそ、なのか――――

 結局のところ、自分がこれから何をすればいいのかまるで思いつかないのだった。


 …他のガンダムのパイロットはどうだろうか。
 カトルはウィナー家の当主だ。恐らく戦後の復興のためにウィナー家の当主として尽力を尽くすだろう。トロワはサーカスが既に家族だ。恐らくあのサーカスに戻ることだろう。五飛はトレーズとの戦いに疑問を抱いていた。恐らくはもっと強くなるために武者修行の旅に出る。そしてデュオはスイーパーグループ生まれで未だ彼らと繋がりを持っている。恐らくスイーパーに厄介になることだろう。

 皆、戦争が終わり目的を持って動き始めようとしている。
 ただのエージェントではなく、一人前の人間として動き出そうとしている。
 そんな中、たった一人だけ、人形のまま動き出せない輩が一人。

 恐らくこの悩みを誰かに相談すれば、「やりたいことをやれ」とでも返されるのだろう。それが手に取るように分かる。
 だが残念ながら、この身にやりたいことなどない。望みは持たないように、いつ死んでも後悔しないように生きてきた。
 …その潔さは尊い、と誰かが言った。だがそのせいで今になって悩み続けるのも考え物だ。

 恐らくこの身体能力を活かそうと思えば活かせるのだろう。どこかの組織に所属すれば余すことなく活用されるが、それではエージェントに逆戻りだ。
 …いっそのこと、ノインが言っていたプリベンターとやらに参加するのはどうだろう。あそこならばこの身体能力を活かすことも出来るだろうし、それ以上にこの体を必要としている。


「おっ、よおヒイロ! 何か悩んでるみたいだけどめっずらしいなー!」

 そこに、脳天気な声が響く。
 底抜けに明るい声。ガンダムのパイロットの中でも、こんな声を持った人間はたった一人しかいない。
 声の方向を向けば、明るいブラウン。特徴的な長い三つ編み。
 デュオ・マックスウェルだ。

「…何の用だ、デュオ」
「そりゃ用なんてないけどよ。お前、珍しく何か悩んでるんだろ? ならこのデュオ君に話してみなさいって! いいアドバイスしてやるぜ?」

 両手を大きく広げて、いつでも準備万端とばかりの笑顔をデュオは向ける。
 何故こんな奴に相談なんてしなければならないのか、と考えたが今の自分の悩みは酷く人間的なものだ。エージェントとしての能力は自分の方が上だが、人間としては自分よりもデュオの方が上だ。それならばデュオに相談した方がいいのではないか。デュオの方が適役ではないか。

「で? 何について悩んでんの? お前。あ、もしかしてお嬢さんとの色恋沙――――」
「殺すぞ」
「嘘嘘! 冗談だっての!」

 一瞬でもコイツを信じようとした自分が馬鹿だったのか。リリーナとの色恋沙汰だと? そんなことは有り得ない。リリーナはこれから外交官として生き、家柄のいい人間と結婚をし、穏やかに日々を過ごしていくのだ。そこに自分が入る余地はない。
 多少なりとも本気の殺気を込めてじろりと睨み上げれば、慌ててデュオは大きく広げていた両手を挙げて降参のポーズをする。

「あー、ということは、お嬢さんの話題じゃあないんだな? じゃあ何について悩んでるんだよ。お前が悩んでて、俺に相談してやろうかって気持ちになる様なものって言ったら大抵お嬢さんの話題しかないだろ?」

 …確かにそうだ。今までリリーナに関する悩み事と言ったら殆どがコイツに頼っていた様な気がする。
 いや、あれはむしろ頼っていたというよりかはいつの間にか引き出されたといった方が正しい。良くも悪くも、そういうことに関してはコイツは誰よりも巧い。
 そう考えれば、ここでデュオに捕まったのがそもそもの間違いである様な気がしてくる。むしろ間違いなのだろう。前回の様に引きずり出されるに決まっている。諦観の念で口を開いた。

「…これから何をすればいいのか分からない」
「これから?」
「ああ。戦争の道具として生み出された俺は、この戦争で生き抜くことを予想していなかった。だからこの先、何をすればいいのか分からない。
 カトルはウィナー家の当主として、トロワはサーカスの団員、五飛は武者修行、お前はスイーパー。だが俺一人だけ、なすべきこともやりたいこともない」
「ははぁ、それで困ってると」
「ああ」

 頷けば、デュオは真剣な表情で唸り、それから眉をひそめて提案してくる。

「お嬢さんのとこに護衛として雇ってもらうとかは?」
「それは不可能だ。ガンダムのパイロットの情報は基本的に極秘だが、どこから漏れ出すかは分からない。そんな人間がリリーナの傍にいればどんな危険が寄ってくるか分からない。リリーナを危険な目に遭わすわけにはいかないだろう」
「だよなあ。お嬢さん外交官だし。お嬢さんがいいって言っても、こればっかりは周りが止めるよな」
「当然だろう。そもそも実現する気はない」

 断言すれば、デュオは再び唸りながら二つめの提案を差し出してくる。

「じゃあノインが言ってた…なんだっけ、プリベンターは?」
「ノインの言うことを信じていないわけではないが、それも実現までどれだけの時間がかかるか分からない。鵜呑みにするわけにはいかない」
「どっかの組織に属す…わけにもいかないよなあ」
「それはいつ崩れてもおかしくない平和を崩すという覚悟が必要だな」
「じゃあいっそのこと真っ当な表の人間社会に属してみるとか!」
「それには準備期間が必要だ。こんな硝煙の匂いをさせた表の人間がいると思うか」

 様々な問答を繰り返す。
 そうしていれば、いつの間にかデュオが目を丸くさせていた。

「デュオ?」
「それだ! ヒイロ、学校に通えばいいんだよ、お前!」
「…なんだと?」

 学校と言うことは表社会のことだろうか。
 オペレーション・メテオの際、任務で潜り込んだハイスクール。人間社会に溶け込むに一番容易な場所。多少不安定だろうが、学校という場所は多種多様な人間が揃っているから潜入するのにはもってこいの場所だ。
 だが、

「言っただろう。それは不可能だ。こんな硝煙くさい人間が学校にいると思うのか」
「何言ってんだよ、いるぜ? それくらい。
 表社会に溶け込むためには準備期間が必要なんだろ? ならもってこいじゃねえか。ちょうど学校も社会に入るための訓練所みたいなもんだし、お前が一人が入ってたところでバレないって。それに、俺たちの年頃は学校に行くのが普通なんだよ」

 自信満々に断言されてしまう。
 断言されてしまえば、それが本当に正しいことの様に思えてしまうから不思議だ。それが例えデュオの言葉であったとしても。

「…その言葉、信じてもいいんだろうな」
「勿論。デュオ君のお墨付きだぜ!」

 ならば、たまにはコイツの言葉に踊らされてもいいだろう。

「でさ、」
「まだ何かあるのか?」
「うわ、相変わらずヒデェ言い方すんなお前!
 …まあいいや、この流れだから言うけどな。お前、俺のとこに来る気、ない?」
「スイーパーか? 俺はお前の提案通りに学生になるつもりだ。残念ながら、スイーパーに属すつもりは全くない」
「いやそーじゃなくて、単に俺と一緒に住むつもりはないってこと聞いてるんだけど」
「…は?」

 何を言っているのだろうか。そもそもコイツはスイーパーに身を寄せるのではなかったのか。ならば学生をする自分とはまるで違う道を歩むのではないか。

「誰もスイーパーに行くって言ってねえよ! 俺もお前と一緒で今何をしようか考えてたところ。丁度いいし、俺もお前と一緒に学生やろうかなって思ってたんだよ」

 つまり、それは、
 自分はデュオの絡繰に引っかかったということであり、

「…誘導したな?」
「さて、何のことでしょ? で、どーするヒイロ。俺はお前が嫌だって言ったら素直に引き下がるぜ」

 デュオと一緒に住む。
 この口喧しいのと一緒に住む。
 一緒に学生をする。
 恐らくストレスは溜まる一方だろう。
 だが、一方でメリットも大量にありすぎるほどあるということを知っていた。

 デュオは目の前でどうすると答えを要求してくる。
 この社交性がありすぎる馬鹿はあくまでも自分から強制することはほとんどない。

 そしてメリットとデメリットを秤に掛ければ、どちらに天秤が動くかなど容易なことだろう。

「…分かった。それで、どこに住む」
「よっしゃ! ありがとなヒイロ!
 で住むとこなんだけど、大雑把な地域だけは決めてるんだ」
「それはどこだ?」

 デュオの口が緩やかに動く。
 笑みを形作り、酷く嬉しそうに囁く。

「――――日本だよ。
 お前、ああいうとこ好きだろ?」



「…それで、今に至るとは思ってもみなかったが」
「お? どうしたヒイロー」

 頷いたのが数年前だ。
 今の自分は学校に入学して早数年。あと一年程度でもう卒業と言うところまでこぎ着けたところだ。
 そして同時に、デュオと一緒に暮らして早数年。

「…あまり思い出したくないな」
「? 何がだよ」

 思えば喧嘩ばかりしていた数年だった。
 一番生易しいのが口喧嘩。そこそこ怒っているというのが分かるのが肉弾戦。互いに明らかに本気だと分かるのが銃撃戦。
 一度だけガンダムを持ち出そうかと思っていた頃もあったが、流石に洒落にならないのでやめておいた。やめておいて正解だと思った。

 それに加えて学校に入学すると同時に発足されたプリベンターに予備員として突如として就職させられたり、トレーズの乱があったり、様々な場所でテロが起こったりと何かと忙しい数年だった。
 学校は通常通りに行かなければならないことに加え、プリベンターも人手不足のせいでよく呼び出されたりもした。組織の壊滅など慣れたことだ。報告書も書き慣れた。

 だが何故か。
 すべてに対して忙しいと思っていた数年だったが。
 そのすべての出来事に隣の男が関わってきていたのは何故だろう。


 …もしもあのとき、自分がデュオに悩みを相談してなかったらどうなっていたことだろう。
 恐らく己の人生は大きく変わっていたことだろう。少なくとも、表の社会に溶け込むことはなかった。
 正直、ここまで溶け込むためにはこの男が必要不可欠だったとしか言い様がない。


「だから、どーしたんだって! ヒイロ!」


 それはまるで、導きの様に。
 暗闇の道を照らし出す光。


「何でもない。課題は終わったのか? デュオ」
「うわやべ! 終わってねえ! 移させてくれヒイロ!」
「自業自得だ。後猶予に一時間はある。さっさと終わらせろ」
「畜生、冷てぇの! あーもう頑張りますよー!」


 一筋の光を、光射す道へと。


「ああ、頑張れ」



 繋がっている。