飴が好きな人。
1.桃味


 そいつはいつも飴を持っていた。
 確か口だか喉だか唾液だか、どこかは忘れてしまったがそこらが少し悪いというのを聞いたことがある。
 そんなこんなでそいつのポケットにはいつも数種類の飴が。そしてそいつの鞄には予備用の、そこそこの大きさのある瓶に詰め込まれた大量の飴があった。
 クラスの奴らもそれを知っているので、飴が欲しい奴(主に女子。偶に風邪を引いた男子)は必ずそいつのところに行っていた。頼めばそいつが当たり前のように飴をくれたからだ。
 そんなこんなで、そいつの周りにはいつも人がいた。だけど純粋に飴が欲しい奴っていうのは一握りしかいないんじゃないだろうかと俺は思ってみる。
 そいつには不思議な魅力があった。本人は決して目立つような性格の人間ではなかったのだが、何故だか人が集まってくるような雰囲気を持っていたのだ。
 それに加えてそいつは顔が良かった。校則ギリギリなんじゃないかっていうくらいの明るい髪に、同じく色素の薄い瞳、ついでにいうと鼻は高いしタッパもあるし、俺みたいに黒髪黒目で標準を体現したかのような奴では敵わないくらいの端正な顔立ちだ。そもそも作りが違うんだろう。
 あと頭もいい。成績は上の方にいるし、授業中に飴を舐めていること以外は品行方正。先生にも受けがいい。授業中飴さえ舐めなければ、という注釈が着くが。しかしそれがクラスにとっては面白いのだろう。
 だが残念ながらそいつは運動が出来なかった。別に運動神経が切れているわけではない。そいつが飴を舐める原因である唾液関連の病気のせいで、あまり汗をかくことができないらしい。つまりはドクターストップだ。だが短時間の汗をかかない程度の運動はできるようで、その運動神経は決して切れてはなかった。
 何というかここまで来れば完璧すぎて泣けてくる。俺が女なら確かに彼女になりたいって気分も分かる。
 そんなのだから男に恨まれてるのかと思ったら…意外とそうでもない。何故ならそいつは無口無表情でかつ口を開けば天然だからだ。あまりの毒気のなさに恨む気もなくなるっていうのが正しいんだろうが。ついでにいうと天然だから周りのアプローチにも気づいてないというのがまた泣けてくる。ごめんなさい周りの女の子達。
 そんな端から見れば飴好きにしか見えない奴は天谷透といって、この高校に入学してすぐに出来た俺の親友だったりするのだった。

「なあ、いつもの」
 昼休み、いつものように人気のない屋上で、飯を食い終わった天谷に俺はこれまたいつものように飴を要求した。
 どうもこいつと一緒に飯を食うようになってからは、昼飯後に飴がなくては落ち着かないようになってしまった。毒されてるな、俺。
 弁当箱を片付けていた天谷は初めは学生服のポケットをくまなく漁っていたが、突然すっと自分の鞄を指さした。ポケットの中になかったから鞄から出せということだ。俺も慣れているので、いつものように鞄から飴の入っている瓶を取り出した。
 しかし残念ながらその瓶の中も空っぽなのである。俺は眉を潜めた。だがこの程度なら前にも何度かあったから別に大したことではない。ということで今度は瓶の中に入れる、まだ封の切っていない予備用の飴袋を探した。が、
「…おい?」
 ないのだ。いくら探してもさっぱり見つからないのだ。俺は頬を引きつらせながら天谷を見た。
「……今日は、」
 俺がぶち切れそうな感情を気怠げな視線で受け流した天谷は、掠れ声で呟く。こいつが掠れ声じゃないときの方が珍しい。
「…確か、色んな人に配ったような気がする」
「馬鹿か、テメェは!」
 思わず空いていた右手で天谷の頭を殴る。殴られた天谷は痛そうに顔をしかめていた。それはそうだろう、痛いようにしてやったんだから。
 こいつにとっては飴と水分は生きていく上での生活必需品だというのに。しかも飴は授業中の最後の砦みたいなもんだってのに。人にあげるのもいいが、自分の分くらい最低限確保しておけ。
「お前はまたぶっ倒れてえのか!」
「…水はある」
「そういう問題か!」
 ほら、と差し出した手の中には冷えた清涼飲料水のペットボトルが一本。多分ついさっき買ったばかりの代物だ。その手を無視してもう一発頭を殴っておいてやった。
「……痛いぞ」
「当たり前だろうが」
 何を今更な事を言っているのか。
 すると突然、何かを理解したかのような顔で天谷は言った。
「…飴はもうない」
「そういう話をしてるんじゃねえよ!」
 とりあえず腹が立ったのでもう一発殴っておいた。
 だったらどういう話をしているんだと視線で訴えかけてきた天谷に、俺はペットボトルを指さした。
「まず飲め。そろそろ口ん中渇いてきたんだろ」
「…いや、大丈夫だ」
 意外なことに普段の比べてはまだ真っ当な声を出せていた天谷は、何を思ったかいきなり舌を出した。
「これがあるから、まだ大丈夫」
 その上に乗っているのは、桃色の飴だった。
「おま、舐めてるなら最初から言えよ!」
「…でも、これが最後の一つだ」
 欲しかったんだろう? とすまなそうな目で見てきた天谷に、怒ろうとした俺の覇気が萎えた。なんというか、こいつはいつまで勘違いしたままなのだろうか。
「お前なぁ…」
 いくら天然といえども、俺が心配していることぐらいは分かるだろうに。だが長い付き合いでこいつはそういう人間だと分かり切っている俺もいるのだ。
 何だかため息を吐いてしまいそうだ。自嘲気味に笑う俺に近付いてくる天谷。天谷は俺を心配そうに見ている。んで、なんかポケットの中を漁り始めている。いやもう、本当に俺が飴を欲しがって駄々捏ねてる餓鬼だと思ってるのかね、こいつは。
 俯いて思わずため息を吐こうと口を開いた瞬間、俺はぐいっと顔を上に向かされた。
「ッ!?」
 口の中に生ぬるい軟体が入り込んできた。しかも天谷の顔が妙に近い。ということはこの生暖かい軟体って舌か!?
 驚いている俺の尻目に、天谷はさっさと舌を引いて顔も引いた。一体何がしたかったんだ。
 そうこう考えていると、俺の口でからんと音が鳴った。口の中にさっきはなかった固い物がある。丸くて甘い、桃味の飴だ。
 驚いて俺が天谷を見ると、天谷はポケットの中から発見した新しい飴の袋を破いているところだった。
 俺の視線に気づいた天谷は、破った袋の中身を口の中に放り込んで当たり前のように答える。
「…飴、新しいのあったから」
 だったらその新しい飴をくれ。こんな手段を使うまでもないだろう。というかそもそもお前なんで男にキスしたんだ。気持ち悪いとは思わなかったのかよ。まあ不思議と俺も思わなかったけどな。
 文句は頭の中でとぐろを巻いているのだが、いかんせん今も何事もなかったかのような顔をして飴を舐めている天谷に毒気が抜けてしまって言葉は音にならない。
 結局俺は脱力して、ため息を吐くしかないわけで。
「……おー、あんがとよー………」
 一応の礼の言葉は、恐ろしいまでに覇気のない声だった。
 そうこうしている間に天谷は弁当も瓶もペットボトルも片付け終わったのか、鞄を持って立ち上がる。俺もついでに立ち上がった。
「どうした? まだ授業まで時間あるだろ」
 普段ならここで日向ぼっこでもしているところなのだが、今日はどうしたのか。
「………飴。時間あるから買いに行く」
 一緒に行くか? と瞳がそう語っていたから、とりあえず先ほどの脱力感が抜けないまま頷いておいた。
 どうせこいつにとってはさっきのキスもあまり意味がないことなんだろう。あの顔からしてそうに違いない。なら考えても仕方のないことだ。
 そして俺は先に歩き出していた天谷の後ろを追ったのだった。