肌と肌のぶつかり合い
気持ちのイイコト ワルイコト
私の中に入ってくる
日常はsexだ



「誰だこんな過激なコト書いた奴…」
ため息と共に呟いた。



Unknown Princess



 この学校に勤めてまず一日目、とりあえず学校案内してもらって保健室へとご帰還。俺は野郎だしガタイもいいし保険医には見えないだろーけどこれでも保険医、人間が好きでなければやってられない保険医です。

 一応辺りを見回した。今日来たらいきなり学校案内だったから見る暇なんてありゃしない、いや案内してもらった奴が言うコトじゃないけどね。


 まず目に付くのは大きな縦長の机とそれを挟むようにある長椅子二つ。少し奥に保険医専用のデカい机(多分いずれ書類が散乱する)、椅子が何故か非常にデカいです、職員室とは大違いだなこりゃ。前にいた方がご年輩で定年退職されたからだからか? 謎だなオイ。

 まず机の上のモノを確認、保健関連の注意を促すポスターやら冊子やらいろいろ、その他諸々いろいろ。体温計やら消毒液やら脱脂綿やらいろいろ。全く以て分かりません。そういや誰かに聞けば分かるって言ってたけど誰だって? 忘れた。適当に漁るぞ。

 右横にはベッドが4つ並んで置いてある、一応男子用と女子用に分けられてあるんだな、そりゃそうか中学生じゃあるまいし。
 そんで左横には簡易式の…壁? 何だこれ? ドアノブを回してもガチャガチャという音、鍵が掛かっているらしい。鍵は今持っていないので後回し、放置。奥の保険医用の机の左横に人が入れる隙間発見、こっちから中に入れるな。そっちに歩く。

 こっちは来客用みたいだ、適当に机と椅子が4つ。しかし何で冷凍庫とコーヒーメーカー? 冷凍庫なら分かるけど。というか、ここ全部俺のテリトリーだから…もしかして私物化OK? ある種天国?

 脱線していた思考を戻し、確認の為にもう一度辺りを見回した。机の向こうにに何故か壁。どうやらここで区切られているらしい、ドアノブを回すと今度は動かない、壊れてるのか? まぁどうでもいい、確認終了。長椅子のところに戻った。

 どうやらここの保健室は大まかに3スペースに区切られてるらしい、中央に長椅子と長机、右にベッドが4つ、左はさらに2スペースに別れていて一つは来客またはくつろぎ用。もう一つは謎の空間、何があるのか予想もつかない。物置か? 後で他の教員の方に聞いてみるか。

「ん…?」

 長机の上に見落としてたモノ。普通のキャンパスノートが一冊、忘れ物かと思って開けば何かこう思わずぐっちゃぐちゃ。怨念が渦巻いてる感じがする。

 直感的にはそう思ったけど実際はどうか分からない、ぱらぱらと何の装飾もないそれを眺めた。ぐるぐるととぐろを巻いてる人の思い、言葉にして出された怨念。その日その日の人の思いの殴り書き。

 詰め込まれてるこのノートは一体いつからここにあったのか、その意味じゃぐっちゃぐちゃというのも間違ってないのかもしれない。人の思いが詰め込まれ過ぎて幽霊とか憑いてそうだなコレ。
 数ページ繰っていけばノートの半分くらいで真っ白になった、どうもここで終わりらしい。それでも一応最後まで手早く流し見すれば、中途半端なところに黒色が見えた。手を止めてそのページを開く。


 そして冒頭の台詞。


「こらこら高校生…、詩的なことを書くのはいいがちょいとエロいぞー?」
 おにーさんはもーちょっとまともな詩が読みたかったです、以上。
 筆跡からして女の子なんだけど、最近の子ってみんなこんな感じか? だったら怖いな、俺着いていけないかも。


 ガチャ、バタン


 扉の開く音だ、しかしここの扉は引き戸しかない。あるといったらあの謎の空間への…
 反射的に扉の方向を向いた、手早く動いたせいか首が痛い、違えたか? そんなことはどうでもいい。

 何故かそこに少女がいた。手入れのされていないボサボサの髪、とろんとした黒い瞳、かろうじて肉がついている触れたら折れてしまいそうな薄い体。スカートだって折っていない、制服もいたって普通に着ている。今時珍しいくらいに普通の子。

「…」
 焦点のあってない一対の瞳が俺を見て何か異物でも捉えるように不信気な色を宿らせた。

「…先生ならおられませんよ。」
 …普通か?

「いや、今日から俺がここの保険医だから。前の先生定年退職したでしょうが。」

 内心の動揺をひたすら隠して俺は苦笑いを浮かべた。そうだ思い出した、確か学校案内してくれた先生が保健室に一人いるから気をつけてとかなんとか。つまりそれはコイツのことか。

「…あぁ、」
 どうも今まで何か考えていたようだ、俺の顔を指さして深く頷いた。全く動かない表情とその動きが妙に人形じみていてほんの少し笑える。

「んで、何してんの? 学生さんは学生さんらしく家に籠もって勉強でもしてなさい。今は春休みだぞ?」
「…家にはいたくないので。」

 言ったら言ったですぐに謎の部屋に籠もってしまおうとするソイツの袖を捕まえた。

「…何ですか。」
「すぐに籠もろうとするな、俺の話を聞きなさい。」

 腕を振り払おうとする動きをしているが、こんな病弱そうな女の子一人の力なんて成人男子の力の半分にも満たない。俺の腕を振り払えるわけもなく。

 ようやく無駄だと分かったのか、ソイツは強烈な視線で俺を睨んだ。まるで殺されてしまいそうな程の殺意、今すぐ合わせているこの眼球を食い潰されそうな。それが実現したのなら俺は聞くも耐えない絶叫を上げてのたうち回ることは必死だ。しかし結局その目は呪眼でも何でもないので俺はこうして睨みつけられたまま。

 目の前の体は動かない、殺意も突然失われて拍子抜けした。瞳の中が空っぽで何を考えているのか全く分からない。
 扉の前にいるソイツを注視してみれば、何故か手を引かれて謎の部屋へとご招待。

 …の、筈が。器用に俺の手のみを外に残して扉の中へ。勿論袖は外に残ったまま。
 そして俺は立ち尽くす。

「…ちょっと待てッ!」
 ガチャという音が聞こえる前に扉を力技でこじ開けた。僅かに開いた隙間から強引に体を捻り込ませ、謎の空間へご来訪。

 そこは想像通りの物置だった。机と椅子、今はまだ必要ない毛布、いつもは使わない薬品。ただ、途轍もなく日当たりがいい場所だった。
 一周見回してソイツを見れば、ソイツはさっきよりも強い視線で俺を見ていた。まぁ当然だろう邪魔されたら誰だって軽く殺意は覚える。

「…ココは私の場所です。」
 だから出て行けと、その眼が語っていた。

 しかしそういう訳にもいかない、彼女は以前の主に許可を貰ってココにいるのだが、その主はもういない。そして主は俺になった。せめて協定を結ばなければ。

「あー、んじゃ協定を結ぼう。俺はお前がココにいていいと許可する。お前は俺のサポートをしてくれ、分からないことが大量にありすぎる。」
 ソイツは呆けたように俺をじっと見ていた、俺の言葉が真実かどうか確かめる為に。まるで真実を見抜く識者の瞳のようだ、力強い汚れのない純真な瞳。

 ソイツは一度無言で深く頷いて、すぐに首を横に振った。

「…貴方が私に居場所を許可しないのなら、私は何が何でも死守しようかと思ったけど、」
 首肯して続きを促した。

「居場所をくれるなら、入って来てもいいです。」
 ソイツは言うなりすぐに椅子座って机に突っ伏してしまった。放置しようかと思ったが、重要なことを聞き忘れたので後ろ姿に声をかける。

「俺は清水櫂、お名前は?」
 あまり答えは期待していなかった、こういう状態の奴は答えようとしないのが多いから。

「…遠宮透」
 小さな後ろ姿からその体に見合った小さな声が聞こえた。



***



 遠宮はとことん変な奴だった。多分既存の言葉に奴を当てはめることはできない。

 一応学校には毎日来てるけど、一番最初に来るのはココ。授業は全部出てるらしいけど、授業が終わったらすぐに戻ってくる。勿論弁当もココで食って、放課後もギリギリまでココで粘ってる。一体何の為にこの学校に来たんだか分からない、近いからか?

 下手したら休みの日だって来ているから始末に負えない、俺は部活動やってる輩の為に土日も学校に来てるんだがそういう時は何故か遠宮もいるのである。それで飯も食わないから余計にアウトだ(前に放っといたら帰るまで飯食わなかった、仕方がないから奢ってやったらいつの間にか習慣付いてしまった)。

 遠宮―――遠宮透、そんな奴にかろうじて当てはまる言葉はただ一つ。


 『変人』だった。



***



 カリ、とペンを走らせる音だけが響く。俺と遠宮しかいない保健室はいつも通りの静寂を保っていた。

 俺と遠宮の間に会話はない。あれから一ヶ月が経ったが、遠宮は俺の条件を飲んだだけで必要最低限のことしか喋らない。様々な場所の案内、保健室の利用方法。担架の場所。話したとしてもその程度だ。そして俺もまた遠宮のその態度を甘受していた為、二人の関係は変わらない。
 他の教員の方がいた時に遠宮も一緒にいたんだが、変わった関係だと言われてしまった。いいんじゃないのか、こんな関係があっても。少なくとも、俺はこの沈黙が嫌いじゃない。

 そして今、俺は生徒の為に書類で奔走しまわり、珍しく遠宮は部屋から出て隣の机で何かを書いている。

 遠宮が机に伏せながら書いている為によく見えないが、それは確か一番最初に俺が開いたノートだ。俺からしてみれば怨念の巣窟にしか見えないそれは、遠宮曰く落書きノートなのだそうだ。他の生徒曰く別名愚痴書きノートとも言う。
 ふと、あの印象に残った詩が頭に浮かんできて、俺は口を開いていた。

「なぁ、遠宮。お前いつもここにいるんだから、それ誰が書いたか分かるか?」
 それ、と呟いて遠宮の下敷きとなっているノートを指さした。遠宮は最初は何のことだか分かっていないようだったが、すぐに気づいたのか静かに頷く。

「…大抵は。私が授業に出てる時は分かりませんが。」
 ふむ、なるほどと一度首肯した。ならば聞いてみる価値はある。

「ならお前あれ分かるだろ。ノートの真ん中辺りにある、『日常はSEXだ』って書いてあるヤツ。誰が書いたか知ってるか?」
「私です」


 ――――何かが聞こえた、ような? 気が、する?


「はぁ?」
 今はっきりと思考回路が停止していたのが分かった。全く動いていなかった。

「ですから私です」
 遠宮はあくまでも冷静に、もう一度同じ答えを返してきた。今度は二度目ということで俺も落ち着いたのか、流石に生徒の全否定のような素っ頓狂な声は上げない。

 しかしこうして見れば、そんなに意外ということでもない。遠宮の奇人変人ぶりが感受性の強さから来るものならば、なかなか頷けるものがある。
 それにあの詩を読み返して見れば、エロティックさよりも事実というものの方が強い。あり意味では物事の本質を捉えているのだ。

「何か問題でも?」
「いや、面白いもの書いてるなって。」
 本来なら書いたヤツを呼び出して相談でも乗ってやるか、ちょこっと説教でもしてやるんだが、遠宮なら仕方がない。謎も解けたので軽く誤魔化して机に向かい直した。

「先生」
「何だ?」
 ペンを走らせつつ応じてやる。視線は書類に向かったままだ。しかし遠宮からの言葉はない。

「ど」
「センセー」
 どうした、と口に出す前に、遠宮が俺の言葉を遮るように声を発した。
 遠宮の口調が変わったのが分かった。


「セックスは気持ちいい?」


 とんでもない爆弾発言が飛び出しやがった。今度こそ完璧に思考が止まった、ペン先の動きが止まる。万年筆のインクは薄い紙にたやすく吸い込まれ、じわじわと真っ黒な染みが広がった。
 それに追い打ちをかけるように遠宮は続ける。

「別にセックスすることには興味はない。そんなことどうでもいい。ただ気になるだけ。」
「…だからって何で俺に聞くんだ?」
 首を、ぎぎぎと音をさせながら回した。遠宮はいつも通りの無表情に近い。好奇心も何も浮かんでこない。

「センセーが一番てっとり早いし若いしモテそう。セックスの経験あるんでしょ?」

 ない、とは言い切れない。むしろありまくって困っている、完璧に両手の指じゃ数え足りない。大学ではあまりにも色々な子と遊びまくっていたせいで、遊び人の称号をもらった俺だ。高校の保険医になると言ったらまず止めておけと言われた俺だ。ない筈がないんだが。
 この状況はどうすれば。

「セックスは気持ちいいの? センセー。」
 遠宮は小首を傾げて尋ねてくる。俺は答えを知っているが答えられない。冷や汗を掻いてしまう。

 まさか遠宮にこんなこと聞かれるとは思わなかった。他の奴らならそれなりに軽くあしらうんだが、遠宮は別だ。コイツの感受性の強さに鋭い勘、プラス頭の良さを考えれば無茶過ぎる。むしろもう既に気付かれてるんじゃないか?

「どうなの? センセー」
「…お前本当に興味ないんだな?」

 確認の意味で遠宮を見れば、遠宮本人は好奇心と無感動が入り交じった空洞な目をしていた。水がいっぱいの鍋の中に容量の小さい味噌を入れてぐるぐる混ぜ合わせてるような、そんな感じ。容量が小さくて鍋全部に浸透しきれていないというか。

「ない。セックスなんて面倒なだけ。他人と触れ合うのは苦手だもの。」
 断言する遠宮。確かにそうだろうとは思ってはいたが、確認せずにはいられない。しかし女子高生に開けっぴろげに言うのもどうかと思うんだが。

「んじゃ、何で俺は大丈夫なんだ? しかもよく喋ってる。他人だろ、俺。」
「センセーは私を認めてくれて、私に興味を持ってくれたから。センセーはこの学校で唯一私に触れられる人。」
 ため息をついた。というかこれはため息をつくしかないだろう。こんな信頼、俺は知らない。こんな感情、俺は知らない。

「仕方ねぇなぁ…」

 立ち上がる。ぎしりと椅子が軋む音が聞こえた。そのまま遠宮に向かって歩いて、また机に突っ伏した遠宮の頭を軽く小突いた。遠宮は静かに顔を上げた。

 純粋な瞳。感情なんて一切見えないような瞳だけど、きちんと色々な色が映るのを今日知った。今この瞳には疑問符しか浮かんでいない。赤い唇は近くで見れば微かに荒れていて、春なのに唇の端は切れて血が滲んでいた。

「ホント、どーしよーもない…」

 口の中で呟かれた言葉と同時、その荒れた唇を小鳥のようについばんだ。
 すぐさま離れる唇と、間近にあった遠宮の頬。髪から薫った整髪料は確かに女の子のモノだった。

「これで我慢しとけ、おんなじよーなモンだから。」

 遠宮の瞼は数度瞬き、彫刻のようにごっそりと表情を削げ落とした。視線がゆらゆらと動き、焦点を俺に合わせた。

「…おんなじようなモノなの?」
「お前にとっちゃ似たようなモンだろ。」
 それから少しだけ視線を揺らして、一度頷いたと思ったら瞼を落として顔を机にくっつけた。

「…センセー、寝るから。」
「どうせならベッド行っとけ。そこだと俺が困る。」
「…うん……」

 半分寝ぼけているような声が響いて、遠宮は立ち上がる。そのまま女子用のベッドに歩いて行った。まぁ遠宮なら世話を焼かなくても大丈夫だろう。
 俺は所定の位置について嘆息する。



 キスしても何も言わないとは、やっぱり遠宮は変だった。
 これからの日々が楽しくなりそうで、微かに笑みを浮かべた。



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