新年あけまして


 カコンと、獅子おどしの音が辺りに響いた。
 畳の一室に向かい合って座り合う武田軍主従。二人の前には膳が置かれており、その膳には徳利と御猪口が据えられていた。
 幸村と信玄は互いに瞼を下ろして沈黙を保つ。故に静寂が辺りを包むのみ。

 幸村はすり足で身体を後ろに動かし、その姿勢を崩すことなく手をついて座礼する。
「新年の御慶、めでたく申し納め候――」
「新年の慶賀、謹んで申し上げます」
 先に信玄が、次いで幸村が礼をして申し上げる。そして顔を上げるや否や、二人して先ほどの膳を己の前に持ってきて。
「さて、幸村」
「はい、御館様」
 二人して目配せをする。互いに言いたいことは伝わっているとばかりの視線。いやむしろ、この状況で他に何をしろというのか。
「やぁるかぁあ!!」
「はいぃぃぃ! 御館様ぁあ!!」
 そして、盃を手に取る。
 相変わらず、新年から無駄に熱い主従だった。

 カコーン。獅子おどしの音が辺りに響いた。


「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
 終わることなく続く叫び声の大合唱。二人しか叫んでいないというのに、合唱に聞こえてしまうということが謎で仕方がない。
 その大合唱を襖の外で聞きながら、佐助はため息を吐いた。いつまでやっているのだあの二人は。むしろ今二人がやっていることに叫ぶ必要性のないものだと思うのだが、一体どうなのだろうか。

 カコーン。獅子おどしの音が辺りに響く。


「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」

 いつまで経っても鳴りやまない大音響。大反響。大合唱。ついにそれに痺れを切らした佐助が立ち上がる。確かに自分は真田に使える忍だ。だが本来ならばこんなところまで面倒を見なくてもいいはずなのだ…! 己は戦忍だ。この二人の生活面まで見守る予定はないのだが…!
「ええい! 旦那! 大将! 何やってんだよアンタ達は!」
 スパーンと障子を開けて中に入る。もうそこに忍としての隠密性など欠片もありはしない。あるのは割烹着とおさんどんが似合うお母さんだ。

「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」
「御館様ぁぁあああ!!」
「幸村!」

 襖を開ければそりゃもう地獄だ。あの大音響は襖越しだからこそあれだけの音量で保たれていたものの、開けて中に直接入れば鼓膜が破れるほどの大音量。いや破れないが。一応これでも忍として鍛えているので破れることはないが、一般人や新兵は確実に破れるだろう。そこそこ慣れてきたら破れることはなくなるだろうが。
 そしてその大音量の発生源の二人は、いつものように互いの名前を呼びながら、がぶがぶと浴びるように盃で酒を飲んでいた。
 しかも二人の回りには一体いくら飲んだんだと問いつめたくなるばかりの空になった徳利で溢れかえっている。その証拠に二人の頬はかなり赤くなっている。普段からいい血行が更に良くなっている。多分その内脳の血管が途切れるぞ。

「だーかーら! アンタら何やってるんだよ! 全くもう、これじゃ兵に示しがつかねえ!」

 叫びつつずかずかと中に入り込み、丁度幸村と信玄の間に割って入るような形で仁王立ちをする。いや今更言っても遅いことだって分かってるけど。幸村はようやく気付いたかのように佐助を見た。うわあ真っ赤だよ旦那。この人大丈夫かね。

「おお、佐助! 謹賀新年! 今年もよろしく頼むぞ!」
「いや、だからアンタは何をやってるんだって聞いてるんだよ! 新年はもうちょっと穏やかにっていうのを知らないのかよ!」
「うむ、それなのだがな佐助。今は幸村と共に酒を饗しておるところじゃ!」
 にこやかに笑いながら正月の祝いを言う幸村。ガハハと笑いながらまた酒を口に含む信玄。佐助はクラクラしてきた。この人達は本当に大丈夫か。
「毎年、年が明けたら御館様と飲み比べをするのだ」
「毎年ぃ?!」
「うむ、佐助はこの時期は任務に出ているからな。知らぬのも無理はないだろう!」
 ガハガハと信玄が笑った。だから大丈夫なのかこの人達は。しかも佐助が入ってきても変わることなく酒を飲んでいる。むしろ酒を飲むペースが上がっている。もしかしてこの人達、既に酔い潰れているのと同じなのではないのだろうか。
 しかしすると、この状態では自分まで飲まされることは必死だ。確実だ。だがそれは避けなければならない。自分まで酔い潰されたのならば誰がこの二人の世話をするのいうのだ!

「大将! 旦那! もう酒はやめてくださいよ!」
 佐助はそう忠告するのだが、二人とも聞きはしない。むしろ空になった酒瓶が増えるだけだ。後は実力行使で眠らせるだけか。佐助は二人からでは見えないように手裏剣を構える。そうでもなければやってられるかコンチクショウ。この二人に真っ当な言葉は通用しないんだ。
 まずは幸村からと佐助はそちらに視線を向ける。幸村は赤い顔で、だが変わらぬペースで酒を飲み続けている。既に限界酒量は超えている。後は倒れるだけだ。
「ん?」
 幸村がこちらを向いた。殺気に反応したのか瞳は怪訝そうな色をしていた。だがもう遅い。

「悪いな、旦那…!」
 幸村の頭目掛けて手裏剣を振り下ろす。そして手裏剣は幸村の頭頂に当たり幸村は昏倒するだろう。

 が、しかし。
 その前に幸村の身体がぐらりと傾いだ。

「だ、旦那…?!」
 佐助が心配そうに幸村に近付く。重力に従って幸村の身体は横倒しに倒れた。近付いて確認すれば、健やかな寝息が聞こえる。どうやら寝ているようだ。

「ハハハハハッ!! 今年も儂の勝ちだな、幸村よ!」
「お、御館様ぁ…!」
 見計らったかのように掛けられる信玄の声。気絶をしても尚それに呼応するかのように絞り出される幸村の寝言。傍迷惑な人達だ。佐助は心からそう思った。

 しかし信玄のペースもかなりのものだ。確実に信玄も限界酒量を超えているのではないか。佐助が見るところによると、幸村も幸村だったが信玄も信玄でもうそろそろ――――

「フハハハハハハハ…ハ……」
 信玄の声が消えていく。佐助は振り返る。そして振り返った、丁度その時。

 ドシン、と巨体が畳に沈んだ。

「た、大将?!」
 今度は信玄の方に駆け寄ってその呼吸を確かめる。確実にただ単に寝こけているだけだ。寝息も安らかだ。限界酒量を超えた結果がこれか。

「…つーか、これ片づけるの、俺?」
 辺りに散乱している空の酒瓶と徳利。まだ口が開いていない酒も多々。それから膳と、上司二人。
 傍迷惑な人達だ。佐助はもう一度心からそう思った。


 カコーン。獅子おどしの音が辺りに響いた。