the first


 オフィーリア、という子は不思議な子だと思う。
 いつもの図書館でオフィーリアを目の前にしてぼんやりとベルはそう思った。

 長く艶やかな、踊るように揺れるブルネット。アメジストの瞳。多少野暮ったい感じのする、ふわふわと揺れるベージュのドレス。赤いリボン。
 その野暮ったいドレスも、彼女が身に纏えばたちまち様になってしまう。何というか、育ちの良さ…いや気品が溢れているのだ。
 そう、気品だ。彼女には貴族のような気品がある。…そういえば、この図書館の主であるミシェルも持っていたような気がする。

「ベル?」

 気配に敏いオフィーリアが不思議そうにこちらを見る。ベルは何でもないと手を振って否定する。そうすれば、オフィーリアは先ほどと同じように読書を続ける。
 読んでいる本は、『ラプンツェル』。塔に閉じ込められたお姫様のお話。いつもと同じ本。

「ねえ、その本好きなの?」
「うん、好き。ミシェルが一番最初に読んでくれた本だから」

 幸せそうに本を抱えて笑うオフィーリア。思わずベルは問いかける。どうして自分は惚気を聞くだけと分かっていてこんなにも問いかけようとするのだろうか。

「だったら、一番?」

 恐らく彼女は勿論と答えるのだろう。だが、彼女の口から漏れた言葉は、

「…それは、多分、違う」

 見事なまでの否定だった。

「え? それ、ミシェルが一番最初に読んでくれた本なんでしょ? 一番なんじゃないの?」
「…うん、ミシェルが一番最初に読んでくれた本。でも、多分、…本の中で一番好き、じゃあないの。ミシェルが読んでくれた本も好きだけど、それ以上に大切なものが、あるから」

 たどたどしく紡がれる言葉。どこか困惑が混じりながらも紡がれる。

「…その本には、あの人がいるから」

 遠い目で、憧憬を。
 だがそれは郷愁と同時に悲哀も含まれていた。

「…ふぅん。なんだかよく分からないけど、その本が一番じゃないってことでいいのよね?」
「う、うん」

 オフィーリアが頷く。
 ああ、何だ。――――それならば、いい。

「…どうしたの? ベル」

 オフィーリアが訝しげに問う。どうしたのって何が? と問い返した。

「…だって、ベル。笑ってる」

 そうして己は――――告げられてようやく、自分が笑っていたことに気付くのであった。


 幼い頃から自分はこの図書館にはいつもやってきていた。それは本当に幼い頃からだ。
 その頃からこの図書館にミシェルはいたし、その傍にずっとオフィーリアはいた。…寄り添うように、ずっと。遠い昔からの一対の番のように。
 比翼の鳥、連理の枝。悲しいまでに体現したかのような、その姿。

 己もだんだん成長してきて、変わらない二人の姿に二人が人間以外の者だっていうことに気付いて。ミシェルが変わらないことにまず喜んで。
 …でも、既に彼には番がいたのだ。
 ブルネットとアメジスト。甘く柔らかなお姫様。美しいもう一対。

 だけど、


「別に? あ、この本借りてもいいかしら」
「うん、ミシェルには言っておく」

 だから大丈夫とオフィーリアが言う。己は持っていた手に持っていた本を鞄に詰めると立ち上がった。

「それじゃあね、オフィーリア」
「うん、またね。ベル」

 柔らかく微笑んでお姫様は再び読書に戻る。立ち上がってそのまま外に出ようとすると――――

「あれ? ベル。お帰りですか?」
「ミシェル」

 この図書館の主が出現したのであった。

「ええ、これから帰るとこ。オフィーリアにも言っておいたけど、今日は一冊借りて帰るわね」
「どうぞお嬢さん。きちんと返却してくれるなら、いつまでもお貸ししておきますよ」
「そ、ありがと」

 適当に会話を合わせて、ミシェルの隣をすり抜ける。そういえばと、つい先ほどの会話を思い出して振り返った。

「じゃあね、ミシェル。
 ――――そういえば、オフィーリアの一番好きな本って貴方が読んでくれた本じゃないみたいよ?」

 捨て台詞のような言葉を吐く。己の言葉が少しでも彼を揺らしてくれればいい、なんて思ったのだけど――――

「知ってますよ。彼女が一番好きな本の名前も、その理由も。
 流石の僕も、思い出には勝てませんからね」

 ああどうして、どう足掻いてもやっぱり惚気を聞く羽目になってしまった。
 笑いながら告げるミシェルにため息をついた。

「…苛め甲斐がないわね、相変わらず」
「そりゃあ、生きてる年数が違いますからね」

 こちらの愚痴さえもあっさりとかわしてしまうのだ。
 ああもう、どうしてこんな男が初恋なのか――――昔の自分が考えていることはさっぱりだ。

「行かなくていいんですか? 外で誰か待ってましたけど」
「そうだ、KK…!」

 外に待たせている人のことを思い出して思わず走り出す。この炎天下に待たせているとなると心苦しい。

「それでは、ミスベル。またのご来店をお待ちしています」

 …ここは図書館ではなかったかしら、と。最期に降り懸かった言葉に一つだけ嘆息混じりに胸中で漏らして。
 己は外で待っている、己の待たせ人の元に急ぐのだった。