どうでもいいこと


 爽やかな青空の広がる下の屋上に、鋭く空気を切る音が響く。
 一つは鞭、一つは一対のトンファー。金の髪の青年と、黒髪の少年が対峙していた。


 ヒュン、とディーノの鞭のしなる音がする。ヒバリはバックステップで一歩下がり、向かってくるそれを紙一重の見切りで回避した。
 空振りの音。コンクリートの床に鞭が弾け、男の手へと戻っていく。

 遠距離、中距離、近距離の全ての攻撃が可能な鞭に比べ、中距離、近距離の射程しかないトンファーでは幾ばくかヒバリは不利だ。だがそんなことはどうでもいい。自分はこれ以外の武器を使おうなんて思ったことはないのだから。

 ムカツク、ムカツク、ムカツク。
 ヒバリの頭の中をその言葉だけが支配していく。
 恭弥と、名前で呼ばれた。綱吉でさえ呼んだことがないのに。呼ぶことを許していないのに。

 ムカツク、ムカツク、ムカツク。――――だけど、そんなことで頭に血を上らせている場合でもない。
 目の前のこの男。この男が誰かなんて知らないが、強い。認めたくはないが、自分よりも。今だって手加減をされているのが分かる。もしかすると、今苛立っているのは手加減をされているからかもしれない。

 何度も死線を潜り抜けてきた、歴戦の人間だ。あの骸とかいう奴も同じ雰囲気を出していたかもしれない。
 世界には自分よりも強い人間で溢れかえっている。そんなことは知っていたが、前回のことで実感してしまったかもしれない。いずれ特訓はしなければならないと思っていたが、突然やってきた人間に口出しはされたくない。

 相手の呼吸を見る。一際大きく吸い込まれた息と同時に腕が動かされる。その腕に視線を向けて―――。
 扱いが巧くなればなるほど、こういった物は腕の動きに左右される。それ以外の方向には動かない。

 鞭がやってくる。その鞭の動きに合わせて右のトンファーを投げつける。
 相手の驚いた表情。自分に向かってきていた筈の鞭は、ヒバリが投げたトンファーを絡め取ろうとしている。それを見て、ヒバリは一気に男との距離を詰める。

 体勢を低く、立っている男の視界の下まで屈んで一呼吸で。そして男の元に辿り着いたと同時に、左手をコンクリートに押しつけて軸にし足払いを掛ける。

 丁度ヒバリのトンファーを器用に絡め取った男は、不意を突かれたのかそのまま体勢を崩して転ぶ―――訳もなく、一瞬重力に引っ張られて転倒しそうになったら何とか体勢を立て直したようだ。ヒバリもそう簡単に自分の予想通りに事が運ぶとは思っていない。むしろそうあってもらったら退屈すぎて困るのだ。

 だがその一瞬の隙をついて、男の持っている自分のトンファーを取り返すことくらいは出来る。右手は男から取り返したトンファーを持ち、ついでに左手で男の後頭部を狙ってトンファーを振り下ろした。

 奇妙に小気味よい音がした。だが手応えがない。また直撃を避けられた。
 ヒバリはステップを踏んで後ろに下がる。体勢は勿論いつでも追撃できるように、トンファーを構えながらだ。

「あー、いってー…」
 男は全く痛くなさそうな声を上げる。ヒバリはつまらないと思った。どうやら今はこちらに攻撃する気配はないようだ。

「そのトンファー、巧いフェイクだったな恭弥。だが自分の獲物はそんな簡単に離すんじゃねえぞ。お前は獲物が二本あるから、どうも油断しがちだけどな。普通なら有り得ねえことなんだよ」
 それで窮地に陥ったことってねえ? とあっけらかんと尋ねてくる男に、ヒバリは無言を貫いた。この無言をただの無視か肯定ととるかはあの男の自由だ。ヒバリは今のところそういうことは一度もなかったが。

「あと足払いなんだけどなー…」
「煩いよ。欠点のことでしょ、全部分かってるよ。僕にとっては説教も指輪のことも関係ない。貴方を咬み殺せればいいんでね」
 ヒバリは殺気に濡れた目で男を見据えた。男は怪訝そうに口を開く。

「ツナのこともか?」
「綱吉? ああ、そうだね。関係ないよ」

 それは全くの事実だ。今のところは自分は関係ないし、まだあの赤ん坊が綱吉の傍にいるのならば死ぬことはない。それにこの男が綱吉の自分の前にいるということは、未だ驚異は迫ってないということだ。
 自分が助けるのはギリギリになってからだ。ギリギリになって、死ぬような目に遭って、誰も動けなくなったその時にこそ助けてやる。それまでは好き勝手させてもらう。

「あの子が助けてって言ったその時こそ、僕はこの件に関わるんだから。別に今はどうでもいいよ」
 ヒバリがそう言えば、男が溜息を吐いた。その溜息に何の意味があるのかは知らないが、ヒバリにはどうでもいいことだ。

 そう、今はこの男を咬み殺せれば。それだけで充分だ。
 ヒバリは今度はこちらからだと言わんばかりに、屋上を駆け抜けた。


***
ディーノさんとヒバリさん。本誌ネタ。バトル。
BGMは何故かスクライドOPの「Reckless fire」
とりあえずバトルが書きたかった。後悔はしていない。