For Dear...


「校舎を借りたい?」
 まだ冬休みに入る少し前、年明けをあと一週間かそこら前としたある日の夕方。
 廊下で草食動物に呼び止められた僕は、彼の言葉を反芻した。
「何で?」
 僕が尋ねると、草食動物は脅えながらも口を開いた。初めて会った頃に比べると、草食動物らしい脅えがかなりなくなったものだとこの一年での成長が垣間見えるようだった。
 この草食動物はこの一年で本当に成長した。その成長はもはや進化とも言える。
「あの、今年はいろいろあったじゃないですか。骸達のこととか、リングのこととか。
 だから今年一年ありがとうございましたってみんなに言いたくて。
 でもいろんな人を呼びたいんですけど、そうしたらウチじゃあ狭くて入らないから、リボーンから学校を借りればいいんじゃないかって提案が出たんです」
 自分を相手に話しても、どもらない草食動物は本当に成長したと思う。初めて会った頃はそこらの草食動物と変わらなかったのに。
 これはあの赤ん坊が傍にいたからだろうか。いや、あの赤ん坊の仕業だけではないだろう。
 きっと草食動物が草食動物自身で変わりたいと思ったからこその成長だ。
「それで、大丈夫でしょうか。ヒバリさん」
「やだ」
「え………!」
 間髪を入れずに返した僕の答えに、草食動物が顔色を変える。
「なな、何でですか!」
「だって学校も改修作業が終わったばかりだし。それに君の所には問題児が多いしね」
 言わずもがな、それは獄寺隼人のことなのだが。
 この草食動物自身は学校を破壊することはないだろう。あの山本とかいうのも破壊はしない。だが獄寺とかいう草食動物の武器はボムだ。しかもあの草食動物は短気だ。あのすぐに武器に頼ろうとする性格をどうにかしない限り、貸そうとは、いや貸しても大丈夫だとは思わない。
 それにあのランボとかいう子どもやビアンキとかいう女も危険だ。イーピンとかいう女の子は比較的大丈夫だが、あの三人が揃った場合は残りの二人に引き摺られるタイプだ。結局は危険なのだ。
 そして最終的な問題としては、あのクロームという少女。彼女自身が危険というわけではないが、彼女が飼っているものとその周りがタチが悪すぎる。何が起こるか分からない。
 ついでに言うと、元々この学校が破壊される原因を作ったのは草食動物や赤ん坊が所属しているボンゴレとかいうマフィアが原因だ。この草食動物がこの学校に招くのはそこらの輩になるんだろう。
 だとすると余計に、何があるか分からない。
「これ以上校舎に傷を付けられるのはごめんだよ」
 僕の言葉に草食動物は唖然として口を金魚のようにぱくぱくと半開きにする。きっとそれを僕がいうのかとか考えているのだろうが、僕だからこそ言うのだ。僕はリングに選ばれるより以前に、生まれたときからこの並盛の守護者だ。
 それに何だかんだといって僕自身は校舎を傷つけたことはない。基本的に僕が傷つけるのは群れてる草食動物か、それか草食動物を咬み殺す時に不本意に傷つけてしまった机などの備品などだ。
「あの……」
「やだ」
「ヒバリさ……」
「だめだよ」
 場所提供に群れずに僕に尋ねに来たその根性は認めるが、問題はこの草食動物ではなく外野にあるのだからどうしようもない。
 とりつく島もない僕に草食動物が困り果てて眉根を寄せている。
 この草食動物は諦めの早い人間だ。僕が断れば他の場所を見つけようとするだろう。赤ん坊が再びけしかけない限りは。
「ダメだぞ、ヒバリ」
 そこに降りてくる第三者の声。
 声は頭上から響いている。頭上に視線を向ければ、頭上の蛍光灯の裏側から赤ん坊が僕目がけて十手を持って降ってくるところだった。
 ガシャン。腕に仕込んであるトンファーを伸ばす。降ってくる赤ん坊の角度を計算して、そこでトンファーを構える。そして赤ん坊の十手がトンファーとぶつかったと腕に感じたその瞬間に、腕を振り払って赤ん坊を床に叩き付けた。
 しかし流石は赤ん坊だ。僕は叩き付けたはずだが、空中で器用に回転を付け無事廊下に着地する。
「ご挨拶だね、赤ん坊。何がそんなにダメなんだい?」
 トンファーを仕舞う。赤ん坊もこれ以上攻撃を仕掛けるつもりはないだろう。
 隣では草食動物が固まっているが、そんなに問題ではないことだし。
「あの一撃をかわすとは流石だな、ヒバリ。
 オレは忘年会はここで開くことにしたんだ。他の場所でなんて絶対にねーぞ」
「だからなんだって言うんだい? 僕はここを貸すつもりはない。
 何かあった場合、君がどうにかしてくれることを保証するなら貸さないでもないけど」
 それでも貸したくないと思うのが心情だ。だが赤ん坊が保証するというのなら、何かあった場合は赤ん坊なりにどうにかするだろう。
 僕と赤ん坊の間には何か共通の物がある。それが何かは把握しきれていないが、それがある限りはお互いに不利益なことはしないだろう。
「いいぞ、保証してやる。だから校舎を貸してくれるか? ヒバリ」
「ふぅん、…いいよ。この校舎は一日だけ君に貸そう。
 ただし、校舎に傷を付けた時は校舎を直した後にそれ相応の対価を支払って貰う。それを忘れないことだね」
「おう、わかったぞ」
「後で風紀委員か草壁にでも契約書を持って行かせる。それに借り受けたい日付と血判を押して持って来てよ」
 確かこの間結ばれようとしている契約が破棄されたとかで不必要になった契約書が一枚応接室に転がっていたはずだ。
 それを暇な奴にでも持って行かせればいい。場所はそこの草食動物の家でいいだろう。
 草食動物と赤ん坊に背を向ける。いい加減眠くなってきた。
「あの、ヒバリさん!」
 立ち去ろうとする僕の背に、今まで口を挟まなかった草食動物から声がかかる。僕は「何」と言って振り返った。
「よければヒバリさんも一緒にどうですか。来てくれませんか?」
「僕は君たちと群れる趣味はないよ」
 ふゎ、と欠伸をして今度こそ立ち去った。これ以上ここにいる必要もない。
 今日は天気もいいから屋上で寝よう。なんだか仕事をする気にもならないけど、草壁がどうにかするだろう。
 僕は屋上への道を進んだ。


***


 それから何だかんだと時間が過ぎていって冬休みになった。
 赤ん坊から契約書の返答が返ってきて僕はそれに応じた。日時は12月24日と12月31日。二日あったが別に構いはしなかった。普段ならこんな暴挙は赦しはしないが、相手は赤ん坊だ。それなりに融通を利かせてもいい相手だ。
 12月24日は街が浮かれ回って大量の草食動物以下の生物が群れて並盛の風紀を乱していたので、一日街の風紀を乱す輩を咬み殺して回った。25日も右に同じく。
 しかしこの二日は普段はそうでもない草食動物が異常なまでに浮かれ回っていた。何かイベントでもあったのだろうか。
 12月31日。今日は年末最後の日だ。昨日からまた浮かれ回ってる輩が風紀を乱していたので、ずっとそいつらを咬み殺していた。年末と正月と春には呆けた輩が増えるというが今年も今年で多い。面倒だ。24日と25日に粗方咬み殺したはずだったのだけど、まだいたのか。
 新年になって浮かれるのは仕方がない。僕には馴染みのない感情だが、それで騒ぎたいと思う気分も悪い物ではないだろう。だがそれで並盛の風紀を乱すのは許されることではない。
 そういった輩が目立って騒ぎ出すのは新年のカウントダウン始まって新年になった頃だ。今まで騒ぎ回っていた輩は咬み殺したが、これからのことは分からない。それまでは一端様子見だ。
 新年までまだ少し時間はある。昨日から一日中咬み殺していたので、それなりに体力は消耗していたはずなのだが不思議とどこかで休もうという気分にはならなかった。
 ―――そういえば、草食動物が言っていた忘年会が開かれているのは今ではないか。
 この現状を考えれば忘年会から年越し、それから新年会へ移行する頃だろう。
 あの面子で並盛が無事だといいが。まあ赤ん坊と契約したのだから、何かあっても赤ん坊がどうにかするだろう。
 本来なら並盛の風紀は全て僕が取り締まるべきものだが、今日一日限りにおいてのみ並盛中学校は契約によって赤ん坊のものになっている。つまり僕の風紀の範囲にはないのだ。咬み殺そうと学校に行っても咬み殺せないのなら意味がない。
 だが現在の学校の惨状だけは確認しようと携帯を取り出す。かける相手は学校に置いてきた草壁だ。
「学校の様子はどう?」
『現在は目立った損壊は見られません、委員長』
「ふぅん、なら良かった」
 必要な情報は引き出せた。親指が終話ボタンを押そうとしたその瞬間に、受話器から草壁以外の声が聞こえた。
『草壁さん! あの、電話の相手、ヒバリさんですか?』
『? ああ、そうだが…なんだ?』
 声を掛けたのは草食動物か。会話がそのまま垂れ流しにされる。僕も二人の会話に多少興味を引かれて終話ボタンから指を離した。
『あの、ヒバリさんは今どこにいるか分かりますか?』
『委員長は今、並盛の風紀のために街を走り回っている。どこにいると特定するのは難しいな』
『そ…うですか。だったらヒバリさんに替わって貰ってもいいですか? 言いたいことがあるんです』
『しかし……』
「替わってよ、草壁」
 筒抜けだった会話にようやく口を挟む。すると通話相手はすぐに草壁から草食動物に替わった。
『もしもし。ヒバリさんですか?』
「やあ。何か用かい?」
 あまり必要以上に僕との会話を為そうとはしないこの草食動物が最近になって積極的に話しかけてくるようになったのが面白くて、少し友好的に話しかける。
『あの、ヒバリさんはもう今年中には学校には来ないんですか?』
「そこに行く予定はないよ」
 腕時計で時間を確認する。時刻は年明け15分前。もう学校へ向かう時間はないだろう。僕は学校で年を越すつもりはない。
『あの、今年は色々とありがとうございました。なんかリングのこととかで色々と迷惑がかけたりしましたけど、ヒバリさんがいてくれて凄く心強かったです』
「別に。僕は並盛のために動いた。君のために動いたわけじゃないよ」
 結局はそうだろう。人は自分のために動く。自分の並盛のためという行動理由も、結局は自分のためなのだから。
 人はエゴイズムなしでは生きていけない。
『それでも、です。だからありがとうございますって言わなきゃいけないと思いました』
「そう」
 何か言おうとしたけれど、止めた。真摯な言葉はただ受け止めるだけだ。
『それと、来年もよろしくお願いします。来年もヒバリさんにとってよい年でありますように』
 静かな言葉だった。真摯な言葉だった。まるで祈るような。
 だから、珍しくも僕がこんな言葉を言うのは草食動物に感化されただけなのだ。
『あのっ! 聞いてくれてありがとうございます! それじゃあ切りますね!』
 何も言わない僕に焦ったのか、草食動物が通話を切ろうとしている。終話ボタンが押されるその一瞬に、小さく呟いた。
「来年が君にとってもよい年であるように、僕からも祈っておくよ」
 この草食動物の幸福を祈る相手は多いだろうから。自分もその中の一人になろう。
 群れることは嫌いだが、こういう群れ方ならば偶にはいいだろう。
『え…ヒバリさ、』
 草食動物の声を最後まで聞くことなく、こちらから終話ボタンを押した。
 そろそろ年が明ける。草食動物が群れをなし騒ぎ出す頃だろう。
 並盛の風紀が乱れる頃だ。
 新年と同時に騒ぎ始める草食動物。騒ぐだけならまだしも風紀を乱し始める草食動物の群れ。
 静かにトンファーを伸ばした。
「さて、誰から咬み殺されたい?」
 小さく呟く。草食動物の群れを見る。
 伸ばしたトンファーをその草食動物に向けた。

 そして、今年も同じような一年が始まる。

***
雲雀さんの風紀の取締りは終わりがありません。
というかイベントになるにつれて仕事が増える。
そんな雲雀さんの一年の始まりなのでした。