Good Night.
[ 5 ] 閉ざされていた意識を覚醒させる。目覚めたその時、私は全てを理解していた。 左右から注がれる視線は理解の上、そして私も理解した上で私の正面の席を見た。先ほどまで空席だったそこは、今は黒髪の少女が座っている。 それは、私の彼女だ。私が必要としていた彼女だった。 ―――かごめ。 先ほどまでノイズがかかっていたその言葉が、ようやくクリアに聞こえた。それは全てを理解した私だからこそ言える言葉だった。 しかし彼女にかかる声がもう一つ。 「かごめ」 吸血王のそれだ。心配そうに彼女を見る眼差しは昔から変わらず、だけどその色はどこか変化しているように見えた。彼女は吸血王の袖を掴み、小さく頷いた。 「…大丈夫よ、ユーリ」 …そこに込められていた色を、私は決して忘れることはないだろう。 そして彼女は私を見る。それは私の望む強さの眼差しで、昔にはなかった強さがあった。 元気だったか、私が問うと彼女は頷いてぽつりと漏らした。 「…そんな姿をしていたのね」 そんな姿、というのは私の姿のことだろうか。確かに私の姿は今は人の姿を形作ってはいるだろうが、だがこれが本来の姿というわけではない。言うならば、これは私が長い時間を生きて妖怪と化した時の、つまりは未来の姿だ。私の本来の姿は彼女が見知っているそれだ、と告げると彼女は「そう」と安心したように微笑んだ。確かに私も今考えればこの姿は見慣れなく困惑するが、だが不思議と自分だという実感がある分、彼女のように戸惑いはしないだろう。 彼女の中でその安堵が一つの区切りとなったのだろう、彼女は口を開く。きっとそれが、私をここに招いた一つの理由だ。 「…ずっと、言いたかったことがあるの」 私は小さく頷いた。 「ずっと不思議だったの。貴方は鳥なのに、人間よりもずっと寿命が短い存在なのに、どうしてこんなにも長い間私の傍にいてくれたのか。私は最初はユーリ達のお陰だと思っていた。でも成長する私にはそんなこと通用しなかった。なのにどうしてかってずっと思っていた。 そしてそれが、貴方とユーリが交わした契約のせいだって最近知って」 それは私と吸血王の契約だ。口約束で記されたそれは、だが確かに私の寿命を延ばした。最後まで彼女の傍にいることが出来た。 その対価は大きいけれど、それでも構いはしなかった。だって私は彼女が寂しくないように、彼女と出会ったときからただそれだけを考えていたのだから。 恐らく、その考えは彼女にも伝わっている。 「だから言いたかったの、ずっとずっと。私の傍にいてくれて、ありがとうって。 ありがとう、私の青い鳥」 その言葉が全ての鍵だった。 彼女がその言葉を発すると同時に、私の視界は私の見慣れた物になる。腰掛けていた椅子から彼女の顔が見えなくなり、私は羽ばたいて白いテーブルクロスの上に移動するのだ。 ピィ、と私は小さく鳴いた。それは元々の私の声で、そしてこの小さな体こそが私の体だ。 私は不作法ながらもテーブルの上を飛んで彼女の元に行く。いつもの定位置だった彼女の肩に降り立ち、もう一度鳥の鳴き声で鳴く。もはや私の伝えたいことはただひとりを除いて誰にも届かないだろう。 「…満足か? かごめ」 「ええ。ありがとう、ユーリ。私の伝えたいことはこれで全部。だから後は、ユーリがお願い」 「分かった」 伝わる言葉の響きが違った。彼女の声は昔のような縋り付く子どもの声ではなく、吸血王の声は父親のそれとはまた別であり領主のそれとも別であった。 彼女の傍で佇んでいた吸血王が動く。 ―――お久しぶりです、吸血王。 「ああ、久しいな。対価の魂を受け取りに来たぞ」 吸血王は常のように動じなく私に言う。彼の方にとってはこれが当然のことなのだろう。 私が吸血王を見ると、彼の方は小さな笑みを浮かべた。 「なんだ、取って食われると思っているのか?」 ―――そのようなことは思っては居ません。 「どうかな。まあ今から行うことは似たようなものだが」 そう言うと、彼の方は私の額にその長い指を這わせる。 「覚悟は出来ているな」 ―――勿論。 それは紛れもない言葉だった。覚悟などもう、あの契約を交わしたときから決めている。 「では、交わした契約の対価を。今度こそ、その魂を頂こう」 触れた指先から、少しずつ私が抜けていく感覚があった。体から徐々に何かが抜けていく感覚、これが魂を奪われるということなのだろうか。 不思議と不安はなかった。それが何故かなど私は知っている。 「…案ずるな、お前の魂はこれより数十の時の眠りにつく。魂の牢に囚われ眠りにつくだけだ。 だからその時が流れた後に、またやってくればいい。その時には、また変わらぬ風景がこの城にあるだろう」 この王が優しいことを分かっているからだ。 ―――その時はまた、きっと。 「ああ、待っている」 辺りを見回す。スマイル、リデル、アッシュ。この城の、私の大切な人達。 思っていることは皆一緒だと、そう思うのが自惚れではないことを私は知っている。私は体を震わせる。だからこそ、もう何も心配することはなく安心することが出来る。 私の最も心配することだったかごめも、もう大丈夫だと思うことが出来たから。 瞼を下ろす。もう少し一緒にいたかったのだけれど、体に残った私もあと少しのようだった。 瞼を閉じる前に、優しい手のぬくもりを感じた。 「さようなら。おやすみなさい、私の青い鳥」 ―――私は、一度ピィと鳴いた。 End.
*** 夢っぽくない夢ですみません。 |