Noble Wish
1st


【 4 】

 その日から、リデルはユーリ城に滞在することとなった。一日目は、ここに来た当日はどうやら徹夜でソロレコーディングをしていたらしいアッシュに出会い(勿論リデルは彼と仲良くできた)、ユーリにここの地理や常識を教えてもらい、それに関してスマイルと共に城の中を探索して遊ばれた。
 リデルがこの城の構造を把握したところで、スマイルが昼夜問わずリデルを連れ出して散歩をする毎日だ。スマイルは見せたいモノがたくさんあるのだと言って笑った。リデルも口には出さないモノの、そんなスマイルを見るのが好きだったから、嫌がる素振りを見せずに素直に誘いに乗った。それに、スマイルが見せたいモノはすべてがリデルが好きなモノだったのだ。そんなことが何度も続いていれば、必ず行くに決まっている。スマイルもそれを見越しての言葉だったのかもしれないが。
 しかし、何故スマイルはそんなにもリデルに構うのだろうか。それが不思議でならなかった。確かに、リデルとスマイルは古くからの中だ。とある賭もやり、スマイルはそれに勝った。だが、だが人間だったときに側にいたのはこの数百年の間に比べればあまりにも短い。そんなに仲がよかったとも思わない。何故あんなにも自分に執着するのだろう。リデルはあまり、何かに執着したことがない。故に、スマイルがリデルに執着する気持ちも分からないのだ。
 だが、スマイルの行動は自分が人間だった頃、既に病に蝕まれていたリデルとやりたかったことを今になって行っているかのような感じがする。
 そう考えれば何とはなしに納得できた。執着も何もかもよく分からないが、そう考えれば、リデルの心は少し軽くなった。
「ヒッヒッッヒッ…遊びましょ? お姫様」
 本日もいつものように、リデルを誘いに部屋にやってきたスマイルが笑う。リデルはいつものように無言でクローゼットの中から外出用の服をとりだした。それをスマイルがいる目の前でリデルが当然のように着替えだす。スマイルは外に出ることもなく、瞼を下ろすこともなく、また当然のように着替えを見ていた。
「…出来たわ、行きましょう」
「りょうか〜い☆ 今日はちょっと遠出してみよっかー?」
「それはお前が決めなさい、私はここらの地理に詳しくはないのだから」
「それもそーだね」
 軽口を叩きながら、スマイルとリデルは部屋から出る。丁度そこに廊下を走って誰かを捜している素振りのアッシュに出会った。
「あっれー? アッス君どーしたの?」
「どーしたのじゃねーッスよ、探したッスよスマ!」
「まったくだな、手間を掛けさせるなスマイル」
「へ? 僕?」
 軽く汗を掻いているアッシュと、本気で分からないとばかりに首を傾げているスマイルの間に、アッシュの後ろから緩やかに歩いてくるユーリ。リデルは切羽詰まっているアッシュや首を傾げているスマイルを無視して、ユーリに尋ねた。
「本日『Deuil』は何かご予定がおありなのですか?」
「ああ、『Deuil』全員でレコーディングの後インタビュー。それから写真集の撮影となっている」
「あー、そういえばそーだったっけ」
 スマイルにすっとぼけた様子はない。どうやら本気で忘れていたようだ。リデルはスマイルとユーリとアッシュを見比べて、考え込む。
「…それでは、本日はわたくしは留守の番をするということでよろしいでしょうか」
「ああ、そうしてくれれば頼む」
「了解しました、ユーリ。貴公のために私はこの城の留守を守りましょう」
「って、ダメー!!」
 横から突然茶々を入れてきたスマイルに憮然とした表情を作り、リデルは口を開く。
「何がいけないというの?」
「お姫様をこんなとこに一人で置いていくなんてダメ! 絶対にダメ!!」
「といっても、この城メルヘン王国で一番安全スよ?」
「ダメ! 何が何でもダメ! 絶対ダメ!!」
 何がそんなにいけないのか分からないリデルは首を傾げるばかりだ。アッシュもまた同様である。しかし心当たりに気付いたのか、ユーリは口の端を歪めて笑っていた。
「ユーリ?」
「成る程な…。分かった、お前の精神安定のために彼女も連れて行こう。よろしいか? リデル」
「わたくしは構いませんが、この城の留守はどうするのです? やはりわたくしが残った方が…」
「いや、この城の留守程度ならば大丈夫だ。それにスマイルが望んでいることだからな、その方が仕事も早く終わりそうだ」
「…ならば、わたくしもお供しましょう。よろしくお願いします、皆様」
 リデルはスカートの端を掴んで礼をする。いつもの了承の合図だ、リデルは3人と共に仕事場に行くことにした。
 そこから先はユーリの言った通りでトントン拍子で仕事が進んだ。レコーディングもスマイルは快調に終わらせ、インタビューも当たり障りのないもので終わらせた。そして現在は写真集の撮影だ、少し時間に空きがあったのかその度に全員が全員こちらに構ってくるが、リデルはスマイルの分だけ丁重に無視させていただいた。
 リデルは座っていた椅子に深く腰掛けた。隣の椅子に誰かが座る気配がした。多分、この気配からしてスマイルだろう。
「さてお姫様、久々の人間世界はどう?」
「…私の生きた時代とはあまりにも違いすぎて、どう言っていいのか分からないわ」
「ま、そりゃ確かにねぇ。18世紀とは何もかも違いすぎるでしょ、人間は数百年の中で進化しすぎた生き物だし」
「…数百年。そうね、もうそんなにも経ったのね」
「気付いてない、とは言わせないよ?」
「勿論よ、その程度気付かなければ私は私ではないわ」
 天井を見れば、シャンデリアの代わりにゴチャゴチャとした黒いライト。様々な細工を仕込まれた天井の代わりに黒い機械がひしめいている。先ほど移動の際に見た空は黒く汚れていて、空気は濁って澱んでいた。
 慣れるのは酷く大変だ。リデルはそう思う。だが、これもやらなければならないことの一つだ。スマイルの賭に負けて、己の欲望に負けてしまった己の責任なのだ。
 胸が痛い。スマイルとの賭のことに関して考えようとすると、いつもこうだ。こんな風に考えるということは、己がこの姿になったことを後悔しているのだろうか。それは当然だ、己は天寿を全うするはずだ。しかし何故かアンデッドへと変貌してしまった。後悔していないというのは嘘だろう。
「…後悔、してるかい?」
「ええ、でも私が選んだことよ。後始末は自分でするわ」
 天井へと彷徨わせていた視線を前へと移す。どうやら今はアッシュの番のようだ、次は少し離れた場所で待機しているユーリである。
「…お前の出番は?」
「とーぶん先だよ」
 会話が途切れる。続く言葉が見つからない。沈黙が二人の間に下りた。周りの音が五月蠅いだけに、沈黙が余計に静かに聞こえる。だが、不思議と嫌悪感はなかった。
「お前は何故私に構うの?」
 リデルは前を見据えたまま問う。スマイルは頬に笑みを刻んだ。
「お姫様には、分からなくてもいいよ」
「…どういうこと?」
「お姫様は、分からない方がいいよ」
 リデルはスマイルの片方だけしか見えない瞳を覗き込んだ。瞳の中には暗い闇しか見えない、リデルには暗い闇にしか見えない。それが何らかの色を持っていたとしてもリデルにはその闇に抱えられた色が分からないのだ。だが、引き込まれる。覗き込んだだけで引きずり込まれる、そんな瞳をしている。
「お姫様は分からないでいてちょうだいよ、お願いだからさ」
「だから…どういう……」
 リデルはスマイルを見る。スマイルは皮肉気な笑みを浮かべて立ち上がった。
「それじゃ、僕はこれからメイクに行くよ。またね、お姫様」
 リデルに、スマイルを止める術はなかった。スマイルが立ち去っていくのを静かに見送って、リデルはその場に座り込んだまま。
 ただ、脳裏でスマイルの言葉だけが響いていた。
 そうやって意気消沈している中、誰かがリデルに近付いていた。リデルは気付かない様子で近付いた相手を無視し続ける。アッシュは今撮影が終わったところだし、ユーリは今照明の前に上がったところだ。スマイルは立ち去ったばかりだし、リデルに声を掛けるような人物はいない。
「ねぇちょっと、貴方…」
「わたくしに何かご用がおありでしょうか」
 相手が先に何かを言う前に先手を打つ。振り返った相手はあくまでも普通だ、おそらくはこの写真集の裏方の人間なのだろう。何か言いたそうに俯いている。リデルはとりあえず彼女の言葉を聞くことにした。