Noble Wish
1st 【 5 】 その後、写真集の撮影も一端終了し、リデルは三人と共にユーリ城へと戻って全員で夕食を取っていた。 この城は食事の時間は全員で食べることを義務づけているらしい。食事係であるアッシュは「作るのも片づけるのも一辺に済ませた方が楽だから」と言っていたが、それは正論だろう。確かに作ることも面倒であるし、片づけることも面倒である。しかもそれを一々一人ずつ作るとなれば拷問に等しいだろう。 ということで、本来ならユーリたちの三人しかいない夕食にリデルも混ざっているということである。そのようなことがなくとも、三人の中の誰かがリデルを呼びに来るのは間違いなかったのだが、リデルはその事実を知らない。 「…あの」 いつもの自信のある冷静な声とは違う、か細く弱々しい声がリデルから発せられた。スマイルはリデルが何かを悩んでいたことを知っていたが、他の二人はそのような事は気付いていないので驚きを隠せなかった。普段から物静かなリデルは、悩んだら表面上はそんなに変わらないものの更に寡黙になるだけだ。それでは気付かなくとも仕方がないだろう。 「何? どうしたの?」 スマイルは全く驚いていない様子で、いつもと同じようにリデルに尋ねた。リデルは一番最初からスマイルに尋ねられたということに対して不服だったのか、多少頬を膨らませたが気にせずに話し出す。 「あの、本日写真集の撮影がございましたよね」 「ああ、ありましたね。それがどうかしたんスか、リデルさん」 アッシュは己の作った夕食の味に満足しながらリデルに尋ねる。そんなアッシュが一歩踏み出す決心をさせたのか、おずおずと胸を落ち着かせながらリデルは少しずつ語り出した。 「…そこで、スカウトされてしまいました」 リデルは美しい柳眉を歪めて続きを口にする。しかし、そこにいるリデル以外の思考は完全に停止していたので続きの内容が聞かれることはない。 「わたくしが人間外のゾンビであるということはご存知ですかと尋ねれば知っていると答え、まだ仕事をする時期ではないと言えばいつでも構わないから待っているとお答えになられました。…わたくしは、どうすればいいのでしょうか」 リデルの言葉に、ユーリとアッシュは一瞬だけ何か信じられないモノを見るような目で見て、それから先ほどの驚愕の表情とはまた別種類の、驚愕と喜び、歓喜が混ざった表情でリデルを見ていた。 「うわ、スカウトッスか! 凄いッスねリデルさん! この世界じゃスカウトって滅多にないんスよ?!」 「確かに名誉なことだな。それで、何という名の監督にスカウトされたんだ?」 「確か…ティシー・クレイモアだったかと」 「ティシー・クレイモアって、ホラー界じゃ凄い有名な人ッスよ! 初めてこの業界見てスカウトされるなんて、ホンット凄いッスねぇ…」 「ティシー・クレイモアか、あの監督ならば信頼できる。大丈夫だな」 基本的に嘘をつくことはないアッシュや基本的に人を誉めることがないユーリが、あまりにもそのように褒めちぎるので、リデルは途轍もなく不安に駆られた。 「あの、それでお受けした方がよろしいのでしょうか?」 普段は即断即決のリデルには珍しく、どうやら迷っているらしい。それは己でも分かるほどの動揺だ。リデルには映画というものがどういうものか分からないし、俳優という仕事もどのようなものか分からない。それ以前の問題で働くということがどういうことかがわからないのだ。これでは返答のしようがない。 「返答はどうしたのだ?」 「現在は保留しております」 「んーと…それはリデルさん本人の問題ッスねぇ…。どんなに高名な人であろうとも、リデルさんが嫌だと思ったら断りゃいいし、やってもいいなと思えばやりゃあいいんじゃないんスか?」 「少なくとも、私たちはそのような風に仕事を受けているな。私たちにやってくる仕事は星の数ほどあるが、我々が少しでも嫌だと思えばその仕事は受けないことにしている。我々の仕事、芸能界に属す者の仕事などは楽しんでやるものだからな」 「…楽しんでやるもの」 「そう、楽しんでやるものだ」 リデルはナイフとフォークを置いて、マナーに反すと思っていながらも視線を下げて両手を口元に当てて考え出した。くるくると思考が回る。仕事とは楽しんでやるものである、それは分かった。だが、己にとって未だこの世界での楽しいことが分からないのだ。分からないから、しばらくは忌避していたい出来事だ。だが、やってみるのも一興かもしれない。 「成る程、楽しんでやるものですね。ありがとうございます、吸血王、狼男殿 リデルが視線を上げたとき、このようなことに迷うような弱い視線はなかった。あるのは、常のように強い、即断即決華麗に優雅に遠慮なしに言葉で一刀両断する誇り高き貴族の少女だ。 そこでリデルは気付く。スマイルの声がない。先の会話の中にスマイルの言葉が何一つない。これはおかしいことだ、リデルのことならば何でも口を挟むスマイルが、リデルが本当に悩んでいるときに何の口出しも助言もしてこない。こんなことはおかしいのだ。 「…スマイル? どうかしたの?」 リデルはスマイルに視線を向けて、スマイルになど滅多に向けない心配そうな眼差しを向けた。スマイルは大きく肩を揺らして、明らかに動揺した様子でリデルに目線を合わせた。何か考え事をしていたようだ。 「え? あ、何? どしたのお姫様」 「どうかしたのはお前でしょう、スマイル。何があったの?」 「…あー、うん。ちょっと調子悪いみたいだから部屋に戻るね、ご飯残しちゃってゴメンよ」 言って、スマイルは食器を置いて椅子から立ち上がる。アッシュはそれを心配そうな表情で見送った。 「いや、オレの作った飯のことはどうでもいいんスけど…お大事に、スマ」 「うん、ありがとねアッス君」 そのまま立ち去ろうとするスマイルに、リデルは訝しげな視線を向けながら思わず声を掛けた。 「スマイル」 立ち止まる。だが、振り返ることはなかった。 「…後で僕の部屋に来てよ、お姫様。お姫様になら、僕も話してもいいかなって思うから」 今度こそスマイルは立ち去った。リデルは彼の背を見送って、食事に戻った。 しかし、スマイルは何故あんなにも意気消沈していたのだろうか。普段は殺しても死ななそうな図太い神経を持ったスマイルが、今日に限ってこんなにも精神的に不安定になっている。これはリデルにとって見逃せることではない。スマイルはリデルが精神的に弱っているときは必ず現れて助けてくれた、ならば今度はこちらが助ける番である。 「あの、リデルさん…」 アッシュの心配そうな声。リデルは粗方食べ終えてナイフとフォークを二本とも揃えて皿の片方に置く。 「分かっております、これよりスマイルの部屋に行く予定です。スマイルのことはわたくしにお任せ下さい」 「そう言ってくれるなら、オレも安心できるッスよ。スマのこと、よろしくお願いするッス」 「はい、本日も美味しい食事をいただきありがとうございました。それでは、失礼します」 迷いや澱みのない瞳でリデルはアッシュを捕らえ、真っ直ぐな視線でそう言い切った。そしてスマイルを追って立ち去ろうとするリデルをユーリが引き留める。 「リデル、これからの出来事が想像はついているか?」 「想像? 何故そのようなことをしなければならないのです、ユーリ。わたくしはスマイルによって為されたことならば大抵のことは受け入れる自信はあります。故に、わたくしがスマイルによって為されたことで心を壊すということは有り得ぬので、貴公の質問は無意味です」 「…そうか」 「はい、そうです」 リデルは笑った。それは、スマイルにだけは決して明かされない、リデルの本心だった。 「それではわたくしは参ります。失礼します、吸血王 リデルは踵を返し、スマイルを追うようにいつもよりも歩調を早めてスマイルの部屋へと向かう。食堂から廊下へ出る。部屋はすぐそこだ。リデルの歩調は次第に小走りになっていった。 スマイルとリデルが初めて出会ったのは、リデルがまだ人間だった頃の話だ。リデルは廊下を走りながら思い出していた。 その時、リデルは既に病を患っていた。病の名をペスト、またの名を黒死病と呼ばれる代物だ。当時、治療法などなかった不治の病。リデルはそれを患っていたのだ。それがリデルを死に至らしめ、今のような肌にした原因。 ただ、リデルのペストは明らかに他者のものとは違った。確かに己がペストを患っているのは分かっていた。日に日に体中に増えていく斑点でそれが己も自覚していたし、誰もが分かっていたことだ。だが、ペストを患った人間が大抵一週間程度で死んでいくのに比べ、リデルは斑点が出来るだけで高熱や体中の痛みが発することはなかったのだ。 そして、リデルは静養という名の元に地方の別荘へと移された。確かにそれは本人にとっては静養であったし、それを決定した彼女の親と呼ばれる人物も建前的にはそのつもりであったのだろう。だが、それは他者の目から見たら厄介払いにしか見えず、聡明なリデル本人からしてもその建前を建前としか受け取れなかった。 スマイルと出会ったのは、そんな中である。 スマイルは周りの人間がペストという病にかかっているリデルと、唯一恐れることはなく接する人間の一人だった。正確には人間ではなかったが、それでもリデルにとってそんなことは関係なかった。 リデルはスマイルが近付くたびにペストが移ると言ったのだが、スマイルは自分は妖怪なのだから大丈夫だと本当に信じてもいいものかと悩んでしまうことを言って煙に巻いてしまう。リデルが何度同じことを言ってもスマイルはリデルを訪ねることを止めようとはしなかったし、ペストに感染した様子もなかったので、リデルはその内注意することを忘れてしまった。そして、今の関係に到るのである。 スマイルとリデルは、同じ部屋の中でずっと側にいた。それこそ、出会ってから死ぬまで片時たりともスマイルはリデルの側を離れることはなかったのだ。ユーリに言ったこともこの時に実証されている。事実、リデルはスマイルによって為されたことならば大抵のことは受け入れることが出来たし、スマイルもリデルによって為されたことならば大抵のことは受け入れることが出来た。 何が悪かったのか、リデルには分からない。スマイルが何に苦しんでいるのかが、リデルには分からないのだ。貴族として生まれ、青年期にも達せぬまま死に至ったリデルには他者の感情にはある一定方向に置いてのみ敏感で、ある一定方向に置いては鈍感であった。 「スマイル」 リデルは無造作に部屋の扉を開ける。鍵は掛かっていなかった。むしろ、鍵の存在など誰も知らないのだ、掛ける必要もないから誰も鍵を掛けない。 「あぁ、来たね、お姫様」 中ではスマイルがリデルを出迎えていた。リデルは相手の了承もなしに部屋の中に入る。咎める声はない。次いで、スマイルの部屋をぐるりと一周覗いた。リデルの部屋と比べて、随分簡素で物のない部屋だ。スマイルの部屋ならば、スマイルの話を聞く限りギャンブラーZという物が好きらしいのでそれで溢れているかと思いきや、そうでもないようだ。部屋はトーンはシックに纏められていた。 リデルはそこで違和感に襲われた。リデルが初めて来た日、スマイルは何と言っていた? 確か、この部屋を使う相手の居心地のいい空間を勝手に作り出すのだと。そしてギャンブラーZがたくさんあったと。 だが、この部屋にはそのような物は何一つない。己の居心地のいい空間という物が変化した場合、確かに最初とは違う部屋が生まれるだろうが、早々それを変えることは不可能だ。しかも、己が模様替えをしようにも城が部屋の内装を司っているのならば余計に不可能だ。リデルは違和感の正体を掴んだ。 その時、リデルは大きな腕に正面から抱きしめられた。顔を上げることはしない。腕の持ち主は決まっている。スマイルだ。スマイルは再会した時と同じようにボロボロのコートを身に纏っていた。 そのコートに、リデルは見覚えがあった。それはとても古い代物で、リデルが生きている頃からの年代物だった。 「…それで、どうしたの?」 リデルは出来るだけ優しく尋ねた。スマイルはリデルの長い髪に顔を埋めて、微かな声で囁いた。 「あの頃とは違うんだなぁ、って思って」 「何を当たり前なことを言っているの。時は移り変わる物よ、分かっているでしょうそれくらい」 「…分かってる。分かってるけど」 女性ならではの手厳しい一言にスマイルが苦笑する。リデルの耳に声が届く。聞こえてきたのは、潰れた喉の奥から絞り出すかのような声だった。 「ずっと側にいられるって思ってたんだ」 リデルは顔を上げる。スマイルがこちらの髪の毛に埋めているので表情は分からないが、リデルにはスマイルが泣いているように思えた。 スマイルが顔を上げる。同じく顔を上げていたリデルと口付けを交わす。スマイルはリデルをベッドに横たえて、慣れた手付きでリデルの服を順々に脱がしてその裸身を晒させる。そして体中至る所に撫で回し舐め回し、噛み跡や赤い鬱血を付けた。黒い斑点のある場所は重点的に徹底的に鬱血を付けられた。 リデルは抵抗しなかった。生前の間、スマイルとリデルの間に性的な関係はなかった。だが、嫌ではないのにどうやって抵抗しろというのか。それにこうなることは予想が付いていた。あの時、スマイルがこの部屋に来てくれと頼んだときから予感はあったのだ。いつもはスマイルがリデルの部屋にやってくるばかりであったのに、今日に限ってスマイルは己の部屋に招いた。相談だけならば、リデルの部屋で待っていればいい。だが、それをしなかったということは、こういうことになるということでもあったのだ。リデルにはそれが分かっていた。ユーリにも分かっていた。だからあんな言葉を尋ねたのだ。それに、リデル自身に貞操観念は薄い。リデルは18世紀のロココの時代の生まれだ。その時はまだ結婚はしていなかったものの、嫌いである貴族の子ども連中における破廉恥なパーティーに付き合わされたこともある。そこで殆ど強姦も同然に性交をしたこともあるのだ。リデルとしては何一つ恐れることはない。 それよりも気になっていたのは、何故スマイルがこんなにも落ち込んでいた理由だ。ずっと一緒にいられると思っていた。その言葉に込められた尊い想いと尊い幻想。スマイルとリデルは初めて会うときから死ぬまで一緒にいた。死が二人を分かってもスマイルは共にいたことだろう。何故ならば、それが賭をする為の約束事だったのだから。だが、スマイルははき違えていたのだ。ここは初めて会った18世紀のリデルの別荘地ではない。初めて会ったときのようにずっと永遠に二人きりでもない。そして、あの時とは違って、リデルの身を蝕んでいた病がないということだ。 病がない。それは自由だということだ。あの時、ほぼ強制的にベッドにくくりつけられていた少女はここにはいない。きちんと己の意志で動き、己の意志で考え、己の意志で決定するリデルという名の少女しかいないのだ。スマイルは先の事実でそれを実感したのだ、だからこそリデルを求めようとする。 リデルは抵抗しない。そんなことはせず、腕を広げて微笑んで抱きしめた。スマイルが驚いたことが空気を伝わって分かった。 だが、そこからは何も考えられなかった。 体は素直に反応を返し、喉は悲鳴のような嬌声を上げ続け、花芯は赤く濡れそぼっていた。指先はシーツの海を彷徨って握りしめ、羞恥と快楽によって涙を零す瞳を枕に押しつけてうつぶせの状態になる。スマイルはそのリデルの体を無理矢理引き起こして、舌で涙を拭い、溢れてこぼれ落ちた唾液を飲み干す。そして、顎を噛み、胸を噛み、指先を噛み、脇腹を噛みと、舌はどんどん下腹部へと下がっていく。リデルの思考は既にショートしていた。快楽という麻薬が脳内に回ってきて、何一つ考えることが出来ない。上手く思考を束ねることが出来ない。 花芯に熱い塊が押し当てられる。リデルは息を吐いて力を抜いた。その一瞬の間を縫うように、ソレはリデルの中に押し入ってきた。 脳内がスパークする。何も考えられない。脳は本能に従って快楽を追うことしかしてくれない。がくがくと上下に揺さぶられ嬌声をあげる中、リデルに出来るのは今にも泣きそうな子どもに見えたスマイルを抱きしめることだけだった。 |