宵闇が、消えない。
 闇の中に浮かび上がるモノ。

 光る、星。
 Twinkle Twinkle Little Star.



the fools
1.5/death and twinklestar



 暗い暗い夜の闇、見えるのは大きな大きな森の影。まるで取って食いに来てしまいそうな程の巨大な闇は今私を包み込んでいる。


 ここは森の中、地元の者なら誰もが近寄らない入らずの森。何かよくない者や、神に近い者が現れるという不気味でありながらも神聖なる森。


 まだあの塔を抜けて数日しか経っていない。しかし塔から一番近い街には着々と進んでいるので旅の感覚を取り戻すには丁度いい期間だろう。訓練期間を置かないと自滅するのが目に見えている。

 夜目に効いているこの目でも周りを見渡すことができない。今は火を起こしてはいないのだ。旅先で野宿をする時には自殺行為ともとれることだが、ここでは問題ない。


 ここは人ならざる者達の場。獣達も手出しをすることはできない。

 ここで必要なのは生ある獣達を遠ざける火ではなく、己の内から発せられる光なのだ。それが強ければ強い程、彼らは手を出すことはまずない。誰も簡単に死にたくないからだ。


 王子様はその点で言えば、多分最も安全な者だろう。王子様には神がついている、そして王子様自身もその一族の中で高い能力を誇っている。だからこそ神がつけたと思うのだが、そんなことは今更だ。
 そして、私は人間だが人間ではない者。神殺しの聖女。神を殺した者として私の名が轟いていることもさながら、つい先日の塔での出来事を知っているのならば手出しなどできる筈もないだろう。私なら手出しなどできない。

 まぁ、その代わりに私に挑んでくる大馬鹿者が増えることになるだろうが、それは承知していたことだ。それに昔闘技場で優勝した時からあまり変わりがない。ただ挑んでくるのが人間から人間外になる程度の差だ。何を恐れることがあるのだ。

 隣では王子様が眠っている、体力はあるが旅慣れはしていないようだから疲れているのだろう。あのキリとか言う神はいない、ここは色々な者が集まるから何か探しに行ったのだと思われる。
 やはり私のサイズの毛布では小さかったのか、肩を毛布から出して眠っている王子様に自分の分の毛布を掛けてやった。私は今夜眠るつもりはない、王子様にも宣告しているので別に支障はない。いくら大きな光が二つ寄り添ったところで、二人とも眠っていたのでは話にならない。咄磋の事態に対応が遅れる。

 別に寝首を掻かれても死にはしないが、掻かれないに越したことはない。すぐに傷は再生するとはいえ、痛いものは痛いのだ。

 …森の木々が少しずつざわめき始めた。風が出てきたようだ、少しずつ冷えた空気を私の元に届けてくる。そしてそれと同時に、何かよくない者を運んできたようだ。
 ざらざらと肌に触れる冷えた空気。胸を突き刺す心地よい殺気。項から脊髄までが一気にゾクゾクと震え上がる。これから上がるであろう熱に口元が自然とつり上がるのがわかった。この殺気は知っている、とてもよく知っている。

「…さて……、お使いご苦労様。」
 呟きと共に立ち上がった。同時に強い風がこの場を駆け抜ける。それが祝福か、警告のどちらかは分からない。が、私としては祝福であると願うばかりだ。

 左の腿に隠してある黒塗りの刃の厳ついナイフを右手で逆手に構えた。今まで私と共にあった愛用品、これからも共にあるであろう予想される馴染み深い一品。

 敵の姿は視認できない、しかし気配は伝わってくる。人ならざる者特有の気配、今回はそれがより一層強く感じるのは気のせいか。
 背後、正面、そして上空に一人ずつ。三人であるならこのナイフのみで十分だ。王子様を叩き起こす必要もない、それを物語っているかの如く王子様は眠ったままだ。

 手首に隠してある細身の銀のナイフを取り出した。ここからではあまりにも距離がありすぎる、相手の獲物が不明の今、リーチの短いナイフ使いである私の方が不利であることは否めない。

「ならば叩き落とすまで」
 真っ直ぐに正面を見据えた。確かに感じる殺気、目の前にいることは明白だ。距離にしてざっと3メートルあたりだろうか、木々が邪魔をして正確に計ることはできない。

 ゆるりと腕を振り上げた。私は気が長い方ではないのだ、これが王子様ならば話は別なのだろうがいい加減この状況にも飽きてしまった。面倒なことは嫌いだ、手早く殺してさっさと寝る。


 合戦の火蓋が切られる。


 銀のナイフは既に私の手にはない、腕を振り上げた際に正面に向かって投げてしまった。当たったかどうかは不明だ、手応えらしきモノが感じられない。うめき声一つしないので外したかと思ったが木に刺さった音がない為に外した訳ではないようだ。相変わらず人間外はよく分からない。

 背後と上空、そして当たった筈の正面から無音で気配が近づいてくるのが分かる。
 三人。本来なら一気に首を刈ろうと思えば刈れる人数だ、時間の猶予もかなり残されている。それをしないのは何が目的か、私には興味がないが面倒なことになってしまいそうだとふと思う。

 正面の敵が視認できる位置までやってきた、確認してはいないが多分背後と上空も同じことだろう。


 ソレは黒衣と鋭い鎌を持っていた。顔は丁度体をすっぽりと包み込める布を纏っている為に男女の区別すら判断できない。体格は大小様々。今回は大人と子供、老人の三人組だ。


 成る程、道理で知ったことのある殺気だった訳だ。私は昔からよくこの者達には世話になってるし、その代わりとしてコイツらは様々な場所から多少の金を手に入れている。
 三人、これならば三人なら余裕だ。準備体操になりうるかすら不安になる。

 下を向けば私が投げた銀ナイフが静かに横たわっていた、音も何もしなかったということはどうやら素手で受け止められたらしい。腕が鈍っているのか、相手がそれなりの実力者なのか、判断に苦しむところだ。

 冷静に状況を判断する。どうやらこの三人はしばらく私に手を出すつもりはないらしい、動きが全くないところからそれが伺われる。ならば王子様の覚醒を待っているのか? それをやるよりかは私を殺した方が早いだろう。コイツらにはそれを成す為の手段がある。


 切り落とした筈の決戦の火蓋。何故か未だ切られてはおらず。
 切り直すか、否か。

 しかし、コイツらが来たということは神もいよいよ余裕がなくなったということか。そしてコイツらが動くということならば私は全てに対する脅威となったということ。


「――――愚かね」


 吐息と共に漏れた呟きが空気中で分解される頃、
 ザン…ッと木々の囁きと共に、風が凪いだ。


 光を感じる。大きすぎる光だ。この夜を飲み込んでしまってもおかしくないような強すぎる光。
 もう一つ増えた気配、一つ…いや、二つだ。二つとも波長が合っているせいか、ぴったりと寄り添っていて光が一つにしか見えなかった。

 そしてそれは、私の正面の枝葉の中にいる。
 二つの巨大過ぎる光。それはここにいる誰よりも―――私と王子様よりも強い光だ。もしもそれが敵に回るとしたら私では太刀打ちできないだろう。だからと言って王子様を叩き起こそうかと思えばそれもまた遅い。既に手遅れなのだ。

 そしてそれが姿を現す。私は丁度見上げる形になって、それを視認した。

 それは人の形をしていた。
 太い枝に並んで寄り添いながら立っている一組の男女。女は腰まで届く長い白銀の髪と白銀の瞳、異常なまでに白い肌に黒衣のワンピースを纏っていた。そしてその手には、決して小柄ではない女の身長を軽く越してしまうほどの、不自然な大きさの白銀の鎌。儚く消えてしまいそうな女にはあまりにも不釣り合いで、あまりにも似合いすぎていた。

 隣の男は女より頭一つ分以上ある高い背を持っていた、あまり手入れのされていない黒髪と冷たい黒い瞳。丁度女と対極の印象を抱きやすいしっかりした体。そして女に続けて男も黒衣を身に纏っていた。何故か長い手足が妙に印象に残る。男が手に持つモノは何もない、まるで女を守るかの如く殺気を放ちながら女の少し前に立っていた。


 巨大な、光。


 多分王子様はもう目を覚ましていることだろう。キリというあの神も同様にそこらで出る隙を窺っている。

 私はこの女達が何のためにやってきたのか知っている。わかってしまった、その鈍い煌めきを持つ巨大な鎌を見ただけで。
 この女達は、私を―――いや私達を殺しにきたのだ。コイツらがやってくる時、それは閻魔帳に名前が載った時かあまりにもやりすぎた時のみだ。そうでなければ中立であるコイツらがやってくる筈もなく。

 未だ冷えた殺気が向けられるそちらに対してこちらも殺気を向けて睨みつける。すると、ふと女の眼差しが和んだのは気のせいか。だが男からの殺気は未だ続けている、瞬きの間ですら気は抜けない。

 まるで太古の地層の如く時間が止まってしまった空間の中、微動だにしない私と王子様を見て女は口元を緩めた。

「私の部下を殺すのは勘弁してもらえないか? ただでさえ私の部署は人手が足りないんだ、これ以上減ってしまうと非常に困る。」

 ―――酷く。
 酷く、唖然とした、気がする。それは背後の王子様達も同等のことだろうと推測される。

 男から放たれる殺気は確かに本物で、それはきっちり私達に向かって飛んでいる。全員がそれを実感していながらも、こんな風に友人のように話しかけられると戸惑ってしまう。
 しかもこの女は私を殺しにきたのではないのか。アイツらの中で布を被っていないということはそれだけで上級に位置するということだ。しかも私の部下を、と言ったことから伺えるに、この女は、


「―――死神。いえ…、」


 私の言葉を肯定するかのように、女は柔らかく微笑んだ。


「告死天使、アズラエル」


 空気が一瞬だけ震えた。その名だけでこれほどの力がある証。女は未だ微笑んでいる、微笑んだまま私達を見ている。
 ひどく嬉しそうに見えたソレが、突如として表情を削げ落とし、視線を逸らして私の後方にいる三人組へと。

「この者達は未だ私の閻魔帳に名が載っていないようだが、何故お前達はここにいる?」
 魂を芯から凍り付かせるような絶対零度の声と眼差し。それは男のモノよりも数段上であることは一目瞭然である。三人組は答えない、答えることはできない。

「こちらの神から直接命を刈れとでも頼まれたか。確かに我ら死神、魂を刈るこの鎌があればたやすいことだろう。―――しかし、」
 ピシリと空気が凍った。吐く息は白く、今にも凍り付いてもおかしくはない。今までは小春日和と言った気候が一度にして絶対零度へと変貌する。誰が起こしているかなど火を見るよりも明らかだ。

「我らは必ずや中立でなければならない。命は既に平等なりて、また死もそれとあり。故にそれは決して犯されることはならず!」

 叫びと共に風が舞った。空気と共に凍ってしまった空間は私の肌にはひりひりと痛い。王子様も同様だが向こうの方がマシだろう、私の分の毛布まであるのだから。
 耳が痛かった。動くことのない三人組、動こうとしない私達。そんな空間を凍り付かせた女。どのように動けというのだ。

「言い訳は後で聞かせてもらおうか。―――鴉、連れて行け」

 話が収束の兆しを見せたようだ、女が話を締めくくる。男は女の言葉に反論するような雰囲気を纏い、不満げに女を見た。

「はぁ? 俺一人で先に帰れと? 冗談じゃない。俺一人で本部に帰ったら俺が死ぬことくらいわかってるだろ、アンタ。」
「勿論だが、どうかしたのか?」
 女の言葉に脱力したのか、男は一気に肩を落とした。

「でも、その程度でお前は死にはしないだろう?」
 女は当然のように笑いながら男に視線を向けた。柔らかく慈愛を秘めた微笑みだ。

「…アンタって、偶にスゲェ殺し文句言うよな。」
「? 何の話だ?」
 小首を傾げる女。…どうでもいいことだが、今私の目の前で繰り広げられているラブシーンはどうにかならないものだろうか。どちらかと言えば女は無意識に作り出したモノのようだが。

「まぁ、とりあえず行ってくれ鴉。私はそこの3人に用がある。」
「だから嫌だっつーの。俺はアンタのパートナーだ、パートナーはパートナーに付き従う義務がある。それが嫌ならパートナー制度を取りやめるんだな、できるんだろ? アンタなら。」
「…確かにできる。だがパートナー制度をやめるのなら上からのお小言が厳しくなるからな、…仕方がないか。」
 女はため息をつく。男はにやりと唇の端をつり上げて勝利の微笑みを浮かべた。

「んじゃ、俺はココに残るぞ。その鎌貸してくれ、本部に転送する。」
「了解した。」

 女はその銀色に輝く鎌を男に渡し、私へと振り返る。

 私はその女を無視して踵を返す。そして私の背後にいた、まだ眠っているフリをしている王子様に近づいて毛布の上から俯せに寝ていた王子様の丁度鳩尾あたりを勢いに任せて蹴り上げた。
 だが流石王子様だ。転んでもただでは起きない、いやそれ以前の問題で転ばない。手応えがまるでない、紙一重で避けたようだ。

「何するんですか、ノワールさん。」
「お前がいつまでも狸寝入りなんてしてるからよ。さっさと起きなさい。」

 むくりと起きあがった王子様は呆れた目で私を見た。その気持ちも分からないではないが、この状況で優しく起こすなどできる筈もないことが王子様にも分かりきっている筈なので黙殺した。むしろ今まで私が優しく起こしたことなどないのだからどう反応しろというのだ。

「とりあえず僕は辺りの様子をキリと一緒に窺ってたんですが…」
「そんなことどうでもいい、今はまずこっちよ。」
 王子様と共に女がいる筈の方向に視線を向けた。そこにはやはり無垢に微笑んでいる白銀の少女。男は少し離れた場所で三人組を取り締まっている。

「…それで、何の用? 告死天使」

 女は笑ったままだ、その笑顔は仮面の如く張り付いたモノなのかと思えば実際的にはそうではない。だから尚更質が悪いのだ。
 そこに王子様のような腹黒さはなく、先ほどのような冷たさもない。男のような殺気も見あたらないのだ、これでは一般人と錯覚しそうで不安になる。コイツらは敵なのだ。


 女は無表情を張り付かせたままの私と王子様を順に眺めて、一度だけ華が綻んだような笑みを見せたが突然恭しく頭を下げた。