――――どうしてこうなってしまったのだろう。
 私はただ普通に暮らしていただけなのに。


 ――――どうしてこうなってしまったのだろう。
 確かに魔神を殺したのは私。でも、誰かの為なんかじゃない。自分のため。


 ――――どうしてこうなってしまったのだろう。
 誰にも知られなかったのに。知ってるのは女神だけ。


 ――――どうしてこうなってしまったのだろう。
 殺した後も、私は普通に冒険を楽しんでいたのに。


 ――――どうしてこうなってしまったのだろう。
 どうして、いま、こんなことに?



the fools
0/Silent Fool, Crying Fool.



 …目を、開く。視界が開けれども、私の前には闇しかない。
 当たり前だ、今は夜なのだから。手探りで灯りを探す。指先に当たるかすかな感覚。魔法を使ってランプに灯りをつけた。

 ランプで明るくなった部屋はひどく豪華だ。天蓋付きのベッド。一目で高級品だと分かる調度品の数々。自分が着ているこの服だって、かなり高価なものだろう。


 気持ち悪い。今までとは大違いだ。


 今までの私の生活といえば、故郷の村にいたときは、お母さんがいないから私が家事をして、その合間にあの魔神に殺された友人と遊んで。

 冒険者をしていたときは、いろんなところで仕事をしながら、色々な街で知り合った人たちと色々な話をしたりして。

 時には危険だったけど。どちらにしても、質素だけど、とても暖かくて柔らかかった。


 今はどうだろう。私は何故か、いつの間にか聖女として崇められ、この部屋に何もせずにずっといる。身の回りのことはすべて小間使いがやってくれて、私は本当にただここにいるだけ。軟禁されていると言ってもいい。

 でも、外に出ようとは思わない。外に出たって行く場所がない。頼れる人がいない。私の顔を知らない場所がない。
 そんな世界に出て何をしろというのだろうか。出ていったって、また連れ戻されるか、別のところで崇められるだけ。


 それよりかは、この部屋に閉じこもって何もしない方がずっとマシだ。

 それにしても、この部屋にやってきて何ヶ月になっただろう。もしかしたら何年かもしれない。…一番最初にここに連れてこられたときは、何度も脱出しようとした気がする。

 それは当たり前だ。ほとんど騙されたと言ってもいいような方法でここに連れてこられたんだから。でも、もう諦めてしまった。あのときの気持ちはどこにいってしまったんだろう。もう消え失せて久しい。


 昔の私はどこに行ったんだろう。もう、どこにもいない。

 昔の、冒険者をやっていたときの友人達にあっても、もう誰も私を私と認識しないだろう。それだけ、私は変わってしまった。


 あの頃の私は誰が見ても『いい子』だった。優しくて、のんびりしていて、誰にだって公平で。そして、生きるということの大切さを誰よりも知っていて。だからこそ、一生懸命に今を生きていた。


 なら、今の私は? 何もかも諦めて、ここにいる。
 何もない生活はそれだけで精神を摩耗させ、『私』を切り取っていった。


 …気持ち悪い。吐き気がする。この場所すべてが。そして、今ここで何もしていない自分に対しても。

 せり上がってきた吐き気と共に、思わず胃液がこぼれ出る。最近何も食べていない。だから胃液しかでない。口からこぼれでた胃液がシーツを汚す。
 嫌な匂いがするそれは、血がにじんでいた。のどが痛いと思っていたら、どうやら痛めていたらしい。でも、まだまだ喉は揺動している。


 最初にここに来て数ヶ月後に、食べることをやめた。最初は出てきた食事も、今はもう出てこない。もう数年前のことだ。
 何も食べず、何も飲まず、生物がしなければならない最低限のことも私はやらずに生きている。

 そして部屋に籠もっているのだから、周りの人間は断食をして神に祈りを捧げているとでも思っているのだろう。
 全く滑稽だ。私が何をしているのか知りもせずに、想像だけでそう決めつける。…本当に、愚かで滑稽だ。


 この身体は、女神が私にかけた呪いの一種であろう。女神はこれを贈り物だと言っていた。私もそれを贈り物だと思っていた。

 でも、結局は違う。この不老不死の身体は呪いだ。女神は私に何が何でも神殺しをさせたいだけだ。
 自分たちがあの魔神を殺したくないだけで、そして自分が殺されたくないだけで、それを私に押しつけただけだ。
 優しい顔をしておいて、女神は私を助けなかった。どんな時でも、ただ見ているだけだった。

 ノアーエイルが神々の言葉を受け取ったときも、私がその言葉を聞いて絶望していたときも、何もしていなかった。いや、あの女神自身もその神々の声の中にいた。神々の言葉を聞いて絶望していた私を絶望の淵へとたたき込んだ事態の一つだ。


 結局、神々も人間と同じ。別の生物が同種を殺したら、その生物を叩きつぶす。
 だが、神々が与えた不老不死のせいで死ぬことができないとわかっているから、精神的なダメージを与えるのだ。
 …人間と、同じ。私は神々と同等の、それ以上の力を持っているから力で対抗することはできない。
 でも、精神はどれだけ強かろうが所詮は人間。脆いからすぐに壊れる。


 人間もどれだけ、今の神々と同じ事をやったのだろうか。虐めと呼ばれる、あまりにも低俗なこの行動を。

 …気持ち悪い。自分を高位のものだと思っている神々が。そのくせ人間と同じ事をやっている女神達が。


 ごぼっ、そう音を立てて、もう胃液まみれのシーツの上に血の混じった胃液が落ちた。
 そしてもう一つ、何の感情からくるものかは知らないけど、ただ一つ、涙がこぼれた。



 何もかも知っていて、踊り続ける私は道化。
 そしてそのまま、死ぬまで踊る。