どうして今更現れるの?
 どうして今更そんなもの見せるの?

 私にはもう、何も残ってないのに



the fools
2/His Dream is My Dream.



「それで、何をしに来たの? さっさと用件を言って。」

 ついさっきやってきた王子様は私を見て黙り込んだまま動かない。さっさと出ていってくれないかしら。そういう感情が表に出ていたのか、声は少し苛立っていた。

「あ、あぁ、用件ですか。用件はですね…」
 王子様が今気付いたかのように口を開く。…この人、何しに来たの?


「特にないんです。」
「…は?」


 思わず目を見開く。一体何? 一体何? 一体何なの? この人。
 それじゃあ何故、私の所に来たの? 私の所に来る人なんて、何か用件がある人しか来ないのに。いえ、普通は用件のある人がまた別の人に会いに行くのよ…。何なのだろう、この人は本当に。

「…じゃあ、あなた、何もなくここに来たの? 理由は全くもってなし?」
「はい」

 …直感的に、私は分かってしまった。この言葉は嘘だ。私はあまりこの王子様のことを知らない。でも、この言葉は嘘。人間はあまりにもわかりやすく、大抵はパターンを持ってしまっているから、それがわかってしまえば簡単。
 しかも、そのパターンは大抵万人に通用するものだから、本当にたちが悪い。この程度、ノアーエイルがいなくてもわかってしまう、自分が嫌だ。

「ノワールさん?」

 王子様が私に尋ねてくる。不審そうな瞳だ。私が嘘をついたことに気付いたのだろうか。それも有り得るのかもしれない。彼はあの王家の中で、かなり聡い人だったから。それはまるで、天性の才能のようなもの。

「ですから、ノワールさん?」

 彼の聡さはどんなことでも発揮される。まるでこちらの行動を見通しているように。
 あのときもそうだった。だから私はこの瞳が昔から嫌いだった。ノアーエイルでもないのにすべてを見透かす、透明な瞳。
 その瞳は一時期私を苦しめた。その瞳を見るだけで気持ち悪くなった。それは、彼が私の内面を見ていたから。私の内面を、見透かしていたから。自分の醜さに気付かなかったあの日々の中、まず気付かせてくれたのは、彼だった。

 その瞳も、今は苦しくない。私はノアーエイルを手に入れた。あの翼のせいで、私はすべてをわかってしまったから。
 己の醜さも、世界の絶望も、独りという孤独も、そして神殺しという、罪も。


「…それは、嘘ね。」
「は?」

 王子様は驚いている。何を言っているのかよくわからないみたいだ。

 当たり前だろう、彼はまだ自分が付いた嘘が見破られたということに気付いていない。精神も、そういった動きは見せていない。
 コレは、ノアーエイルが私を離れたときに残していった置き土産。まったく、面倒なモノを残していったものね。

「嘘よ、王子様。あなたは嘘を付いている。何も用事がないなんて、嘘なんでしょう? 口で言っても無駄よ、あなたの心がそう言っているもの。」
 王子様は驚いた顔をしている。何故わかったのだろうかという、不思議そうな顔をしている。…今、王子様の心が確かに嘘だと認めてた。

「それで、何? あなたが嘘を付いてまで、私に会いに来る理由なんてないでしょう?」
 彼は軽く微笑った。何がおかしいのだろうか、私にはよくわからない。

 私が読めるのは心の大まかな動きだけ、細かいことまでは読めない。読むのはノアーエイルの役目だ。

 あれは神からの二つ目の贈り物。神が私に絶望を教えるためにくれた、すべての言葉の受け皿。あれは誰の言葉であろうが、どんな言葉であろうが、確かな感情を宿して私の心に言葉を伝えてくる。
 勿論良い言葉だけではない。優しい感情だけではなく、人間のドロドロとした欲望や、殺意さえ送られてくることもあった。

 …気持ち悪い。思い出すだけで吐き気がこみ上げてくる。でも、ここには王子様がいる。彼の前で吐くわけにはいかない。
 決して口を開かないように噛みしめる。酸っぱい胃液が口に広がったが、逆に飲み干した。…気持ち悪い。

 王子様が口を開く。彼の口からこぼれる言葉は何だろう。こぼれる感情は、何だろうか。
 わかっていることは、決して優しい感情なんかじゃないということ。

「確かに、僕がここに来たのは理由があってです。それは、あなたを閉じこめているこの宗教の方に依頼されてです。」

 …何故か、彼の口からこぼれ出たのはひどく優しい感情。こちらを気遣うような、穏やかなもの。
 驚いた。彼は聡明であるが故に、ひどく冷たい人間だったのに。身体が芯から凍り付いたような人間だったのに。何時の間にこんな、他人を気遣えるような人間になってしまったのか。数年の月日は大きいらしい。

 それにしても、彼は何と言った? 閉じこめている? この宗教の人が、私を? 人にはそう見えるのだろうか。
 いや、普通なら、私は聖女として祭り上げられているのだから、私が自分でここにいると思っているはずだ。
 なら、彼は一体――――?


「…お前、誰?」


 この人は一体誰だろう。


 私のことをわかっているなんて、そんな人どこにもいない。人なら、どこにもいない。
 でも、神ならいる。私が閉じこめられているのを知って、空で笑っている。彼がその使いならば、彼が知っているのもうなずける。


「あなたの知っての通り、この国の第一王子のシュバリエです。そんなことも忘れましたか? この数分間で忘れてしまうなんて、ボケましたか。」

 …この国の王子は意外と毒舌だったらしい。この分なら、弟王子もかなりの毒舌だと思ってもいいみたいだ。そんなことより、彼はまだ私の問に答えていない。私が聞きたいのはそんなことではない。

「そういう意味じゃないわ。お前は誰の使い? 国王? それとも、神? 神の使いだったら容赦せずにお前を殺すわ。一片の肉片も残さず、全部灰に帰してあげる。」
 言って、私は王子様を右手で指さす。彼が神の使いだったらすぐに攻撃できるように。一瞬で塵に帰してあげれるように。

「…何の話ですか?」

 しかし彼は、何がなんだかわからないみたいにそう言った。彼の心も混乱している。彼は誰の使いでもないらしい。私はため息を零した。勿論、安堵のため息だ。

 では、何故彼は私のことをわかっているのだろう。他人の事なんて誰もわからない。人間である限り、誰だって。そして、その中でも特に私のことは。
 私に対して神は防御壁を張っている。私を他人から隔離するために。だから、私の情報を誰も持っていない。私の情報を誰も持てない。人間では、到底不可能。では、目の前の彼は?

「お前は何故私の情報を持っているの? お前は何故私の現状を理解しているの? 答えなさい、王子様。お前が人間である限り、私の情報は誰も持てないはずよ。…それとも本当に、お前は神の使い?」

 まだ意味がよく分かっていないみたいだ。彼が神の使いではないということはハッキリしている。でも、それでも、追求しなければならない。
 それは、私にとって何よりも重要視されることなのだから。
 私は、もう二度と絶望にあいたくないから。

「答えなさい」
 もう一度、彼に追求の言葉をかける。彼は不思議そうな顔をしていたけど、すぐに微笑んで口を開く。

「まず第一に、僕は誰の使いでもありません。僕は自分の意思でここに来ました。第二に、僕があなたの現状を理解しているのは、全部僕の推測です。」
「推、測…? それは、一体…?」

 嘘だ。本当は分かっている。彼に説明を求めなくても、本当はいいんだ。でも、私はそれを口にする術を持っていない。だから、彼に説明を求めるんだ。

「それは、ですね。あなたが僕に似ているから。」

 からからと、足元が少しずつ崩れていく感じがする。何故だろう。何故彼と似ているということが、こんなにも嫌と感じているのだろう。
 わからない。よく、わからない。彼が冷たい人間だから? それとも、優しくなってしまった人間だから?

「…そう、わかったわ。それは別にいい。じゃあ、今日は何しに来たの?」

 こみ上げてくる嫌悪感をひたすらに隠しながら、私は王子様にそう言う。私の瞳は嫌悪感で染まってないだろうか。それが少し、不安だ。でも、なんだか本当に嫌だ。これは前にも感じたことがある。


 …あぁ、そうか。これは
 あのとき感じた嫌悪感だ。


 遠い遠い、どこかで、私がそう呟く。脳内のどこか。遠い遠い、遠い場所で、私はそう言っている。私の本能がそう言っている。

 …気持ち悪い。それにしても、本能から拒否するほど危険なこの人物は一体何なのだろうか。…考えている間にもどんどん気持ち悪くなってくる。あぁ、気持ち悪い。

 そんなことを考えているとは露知らず、王子様はにこにこと笑っている。どこか毒のある微笑みで。キレイだけど、どこか危険な微笑み。

「今日はですね、ある提案をしに来たんです。多分、ノワールさんも望んでいることだと思います。」
「何?」

 私が望んでいること。そんなものは誰にも分からないでしょう。それなのに、勝手にそんなことを言っている。私が望むことなんてもうない。だってもう、あきらめてしまったもの。


「ここから逃げませんか?」

 それは、遠い昔に私が望んだこと。そして、少し前にあきらめたこと。もう、無意味だとあきらめてしまったこと。


「…嫌よ。私はここから逃げない。」
 確かに、この王子と一緒にいれば、いとも容易くここから逃げれるだろう。でも、それは嫌だ。

「何故ですか?」
 王子はそう尋ねてくる。純粋に不思議そうに。彼の精神も困惑している。何故? そんなことは決まっている。だって――――


「だって、私、お前が嫌いだから」


 彼を見ると気持ち悪くなる。その純粋な瞳が私を責める。私の罪を、私の醜さを、そのすべてを曝け出してしまうから。
 そんな人間と一緒に逃げても何になるのだろうか。すぐに別れるに違いない。それに、何処に逃げるというのだろうか。私をかくまってくれる人間などはもう、いないのだから。もう誰にも、迷惑をかけたくないのだから。

「残念です。僕はあなたが好きですよ。」
 私を好きだという彼の瞳は純粋だ。純粋に、私を好きだといっている。それでも、それを信じるわけにはいかない。

「睦言なんて聞き飽きたわ。もうお行き。ここに用はないでしょう。」

 もう、私を利用するために紡がれる睦言なんて聞き飽きた。昔はノアーエイルがいたからすぐに分かってしまった。私はその睦言に酔うことが出来なかった。
 今はノアーエイルがいない。だからこそ、すべての睦言に心を動かされるわけにはいかない。

「はい、では交渉は決裂ですね。ならば今日はここまでです。それではまた明日、ノワールさん」

 王子様はそう言ってこちらに背を向ける。彼の精神が全然残念がっていないことから、彼はこの答えを予想していたらしい。流石、私が自分に似ていると言った人。本当にすべて、お見通しのようね。だから嫌いよ、この王子様。…気持ち悪い。
 私が何を考えているのかわかったように、王子様はすぐに扉の向こうへと去っていく。

「さようなら、王子様。もう二度と来ないで。」

 そんな王子様に私は指を下ろしてそう言い、去っていく彼に目もくれずにベッド脇にある窓の外を見ていた。
 そうして、邂逅は終わった。手に入れたものは、何もなかった。



 彼の夢は私の夢
 それでも、私は彼の手をとることが出来ない