失って、失って、失って
 あると思ったモノはもう既にナく

 本当に、私には何もなくなってしまった



the fools
3/Lost



 夢を、見ていた。

 何もない闇の中、私と一人の少年とも少女とも取れない中性的な、17程度の子供がぼんやりと浮かんでいる。私は、その子供のことをよく知っていた。それはもう、知りすぎるというほどに、知っていた。

「…お久しぶり、ノアーエイル」
 声をかければ、子供は振り向いた。子供の名はノアーエイル。神々からの第二の贈り物。すべての言葉の受け皿。私を絶望させるために神々が作ったモノ。私の翼。そして、私が自分の背から切り離したモノ。

「お久しぶりです、マスター」
 子供は私に声をかけてくる。…このやりとりも慣れたものだ。数年前から繰り返されている。こうやって数ヶ月に一回、ノアーエイルは私に語りかけてくる。私に絶望を教えるために。神々からの言葉を授けるために。

「…受信内容、二つ。受信します。」
 ノアーエイルは問答無用で神々の言葉を受信している。私は間髪入れずに口を開いた。

「受信拒否。」
 ピタリと、一瞬だけノアーエイルの動きが止まった。

 私から切り離したといっても、一応私の言うことは聞いてくれるらしい。ありがたいことだ。
 しかし、また行動が再開される。やはり一瞬だけらしい。ノアーエイルは私より神々を選ぶのはいつものことだ。
 それも当然のことといえる。神々はノアーエイルの創造主。ノアーエイルにとって何よりも優先するべき事。しかし、神々は一つ失敗したことがある。それは、ノアーエイルに自我を持たせたこと。だから、こんなこともできるのだ。

「受信拒否」
 もう一度私はそう言う。ノアーエイルはまた一瞬だけ動きが止まる。しかし、またすぐ再開される。

「受信します」
「受信拒否」
「受信します」
「受信拒否」
「受信します」
「受信拒否」
 何度かそんなやりとりがあった後、ノアーエイルの動きが止まった。今度は再開されず、じっと私を見つめている。

「…受信拒否。成功しました」
 ノアーエイルには自我がある。だからこそ、こちらの言うことに従わせることが出来る。ただし、その代わり、少しの間押し問答をしなければならないが。

「なぜ受信を拒否されるのですか?」
「私はもう絶望を味わいたくない。神からの言葉なんて全部絶望でしかなかった。だから私は拒否する。」

 何度も何度も繰り返された押し問答。一体何回繰り返せばいいのだろうか。神はノアーエイルに記憶装置をもたせなかったのか。そういうところは理解に苦しむ。本当に、何を考えているのやら。神も、ノアーエイルも、王子様も、私も。

「…受信します」
「ノアーエイル!」
 何を考えたのか、ノアーエイルは受信を再開した。いつもならここで受信が拒否されたままで終わるのに。このまま、夢から覚めるのに。

「何を考えているの? ノアーエイル」
 ノアーエイルは私の答えに軽くうなずいただけだった。…意味がわからない。どういうこと?

「説明しなさい、我が翼。早く!」

 受信の途中であるノアーエイルに説明させるということは危険極まりないこと。だから、受信拒否できると思ったけど、甘かったようだ。ノアーエイルはこちらを無視して受信をしている。
 この状態になってしまえば、ノアーエイルは誰の言うことだって聞きはしない。もちろん、創造主の神の言うことだろうが。

 私は軽くため息をつく。今まで大声で叫んでいたが、それも無駄になってしまったようだ。

「受信、完了しました」
 そうこうしている間に、ノアーエイルは受信を完了してしまったようだ。

 ひどく、面倒だ。これから神の恨みの言葉を聞かなければならないなんて、ひどく、憂鬱だ。まったく、なんて面倒。今すぐ夢から覚めてしまいたい。
 いえ、その前に尋ねなければならないことがある。一度受信拒否したものをなぜもう一度受信したのか、ノアーエイルの理解不能な行動。

「ノアーエイル、なぜ受信したの?」
 ノアーエイルは答えない。沈黙したままだ。しかし、その口が開かれる。そこからこぼれ出るのは私に対する説明なのか。それとも、神々の恨みつらみの呪いの言葉か。前者であったらまだマシだ。後者でないことを祈ろう。

「…この言葉は、神々からの言葉ではありません。」
 静かな透明な口調で、ノアーエイルはそう呟く。

 …神々からの言葉ではない? では誰?確かにノアーエイルは全ての言葉を受信することができるけど、ノアーエイルが受信しようとするのは神々の言葉だけ。神々でなければ、ノアーエイルにアクセスすることはできない。ノアーエイルに対して直接送信できるのは、神々だけ。
 地上のどこかに神がいる? いや、それはありえない。私が魔神を倒したときに、全て天上界に引っ込んだはずだ。空の上という優越感に浸れる場所へ。それに、ノアーエイル自身が神々からの言葉ではないといっている。

 だから違う。ノアーエイルは嘘をつかない。いや、嘘をつけないように創られている。私に対する全ての真実を、絶望に変えるために。そんな私の考えを読んだのだと思われるノアーエイルは、もう一言呟いた。

「この言葉は、王子のものです。」
 ノアーエイルは嘘をつかない。決して嘘はつかないはずだ。そう、創られたのだから。でも、この答えは何? こんな冗談、どこで覚えたのかしら?

「…それは、本当? ノアーエイル。確かにその言葉、王子のものなのね。」
 私の言葉にノアーエイルは静かにうなずいた。思わず、顔が引きつるのを感じた。…あぁ、だからあの王子は嫌いなんだ。


 私は神が嫌い。私に絶望を与えた神が嫌い。本能が拒否している。
 私は王子様が嫌い。私を見透かすあの瞳が嫌い。本能が拒否している。


 でも、あの王子が嫌いな理由を、私はよくわかっていなかったりする。なぜか、本能が拒否していたから。…でも、それは簡単なこと。わかりきっていたことなんだから。

 ノアーエイルに直接的にアクセスできるのは、神々だけ。ノアーエイルに対して直接送信できるのも、神々だけ。そして、今王子がノアーエイルにて私に言葉を語りかけてきた。


 それは、つまり。
 王子が神だということに、他ならないのだから。


「王子は神です。しかし、神ではありません。」

 また、ノアーエイルに考えを読まれた。もう慣れたものだ。仕方がない、この闇の中はノアーエイルの空間。いくら私が夢を見ているといっても、私の夢の世界をノアーエイルの世界に直結すれば、ノアーエイルの世界になる。
 …でも、その説明は何? 王子は神。でも、神ではない。どういうことよ、説明しなさい、ノアーエイル。

「王子は確かに神の血をひいています。彼の遠い祖先が、この世界の神とは異なる系統樹をもった神だからです。」
 異なる、系統樹。全くもって異質な、神。それが、あの王子様の祖先。

「そうです、そしてその異なる系統樹をもった神は、全てこの世界の神に破壊されました。彼らは別の世界の神が恐ろしかったのです。そして唯一残ったのが、この王子の祖先の神。彼は人間と共存することで生き残りました。
 王子は、その神の能力を色濃く宿しているのでしょう。この世界の神の能力ではありませんが、ひどく強い力をもっています。」
 それで?

「彼は、確かに神です。ですが、この世界の神ではない、という意味なのです。マスター」
 だから? だから、何?

「いえ、ですから…」
 だからと言って、あの王子様が神であるということには変わりないわ。

 神は嫌いよ。だから王子様も嫌い。どんな神であろうが、私には絶望しか与えてくれないもの。あの王子様だって、同じ事をするに決まってる。どんなに優しい人がいても、手の平を返したかのごとく、私を打ちのめすもの。
 もう、神も、人間も、誰も信じない。もちろんお前もよ、ノアーエイル。信じるのは自分だけ。…一応、お前の知識の部分も信じてあげる。でも、知識だけ。その精神までは信じない。わかったのなら、さっさとお行き。その言葉だけを私において。

「…了解しました、マスター」

 そう言って、ノアーエイルは消えていく。まるで闇に同化していくように。闇に溶けていった。そして、ノアーエイルがいた後には小さな明かりが一つ。それに、指先でほんの少しだけ触れる。何の言葉も聞こえてこない。
 …これは、あの王子様の悪戯? それとも、ノアーエイルの? そうしたら、ノアーエイルの言葉も嘘?

 そうすれば、か細い声が聞こえてきた。確かに、これはあの王子様の声。いえ、王子様の声だけじゃない。これは、会話?


『ロイ、全ての死者の記録をもってこい。今すぐにだ。』
『一体なんですか? 兄さん。突然。』
『いいから早く。嫌な予感がしてならないんだ』
『…了解しました。兄さんはこういう嫌な予感ほど当たるから嫌なんですよ。』


「…何の話? いったい、何時の……」

 これは、一体何時の話だろう。これは勘だけど、少なくとも私に会ってからだと思う。そうでなければ、こんな時間にノアーエイルがもってくるはずがない。もっと前の話だったら、もっと前に持ってくる。
 でも、これは一体何の話? 王子様は一体何を調べてるの? 死者の記録? …何だろう、この胸騒ぎ。嫌な、予感がする。


『持ってきましたよ、兄さん。』
『ありがとう。…セイシェル、アルフェリア、ティーア、ミア、ギル、フェイ、ソラリア…』


 王子様が紡いでいくのは私が冒険者だったときに仲良くしてもらった人ばかり。顔なじみの冒険者だったり、酒場のマスターだったり。私によく依頼してくれる人だったり、闘技場でライバルになった子だったり…。
 王子様が読み上げているのは、ここ数年の死者の記録を記した分厚い本。…嫌な予感が、する。


『どうして、ノワールさんに関係した人ばかりが死んでいるんだ…? しかも』


「イ、ヤ……」

 思わずあげた声は、悲鳴に近かった。その先は聞きたくない。もう絶望なんて知りたくない。もうイヤだ。悲しいことはもうたくさん。もう、迷惑かけたくなかったのに。
 どうして、私に関わった人ばかりが? これも、神々の陰謀?


『ノワールさんの父君までも、載っているなんて思わなかったな…』


「イヤだぁぁぁぁぁ!!」

 だから神様なんて嫌いだ。私に絶望ばかり教える。それは、この世界の神様も、しかり。そして、王子様も、また同じく。
 だから、世界なんて嫌いだ。どうして私ばかり。どうして、私にばかり絶望を教えるの?



 失って、失って、失って
 大切なものはもう全て失ってしまった
 もう、二度と、戻らないものばかり