何のために
どういう理由で
僕らは殺し合わなければならないのだろう

少なくとも
僕に
殺意は
なかった


例え
彼女に殺意があったとしても



the fools
4/Murderous Intent



「こんにちは、王子様」

 目の前にいる彼女は昨日の冷たさが嘘のような上機嫌で、僕にそう言った。その証明に彼女は僕に向かって微笑んでいる。

 一体、彼女のこの機嫌のよさは一体何なのだろうか。以前の機嫌がいいときと同じくらいだ。昔に戻ったと思えば気が楽なのだが、彼女に限ってそれはない。確かに彼女は上機嫌だが、彼女の瞳にはまだ絶望がある。

「ところでね、王子様。私、あなたにお願いがあるの」
「なんですか? ノワールさん」

 嫌な予感がする。とてつもなく嫌な予感。ともすれば生死に関わってしまうような危険が、彼女から感じられる。彼女は昔と同じように陽気に微笑んでいる。

 しかし、そこから感じるのは確かな殺意。僕も微笑んで返したが、僕の焦りは間違いなく彼女に伝わっていることだろう。
 今の僕ではポーカーフェイスもまともに取り繕えない。僕はただ彼女に会いに来たのに、こんな面倒なことになっているとは思ってもみなかった。

 何があったのかはしらない。僕が知らないことを彼女は知っているのだろう。例えば、彼女が僕を殺そうとする理由とか。
 取りあえず、僕に分かっているのは彼女が僕を殺そうとしているということだけだ。そんな時、彼女はその笑みをもっと深くして、その口を開いた。

「死んで」
 それと同時に、彼女はベッドの隣のチェストの上に置いてあったナイフを抜いて斬りかかってくる。

「チィ――――ッ!」
 彼女の踏み込みはまだ―――浅い! かわせる! 彼女のナイフは上からのものだ。一歩左にステップを踏む。余裕で避けれた。

 だが目の前には彼女の左手と、その左手に握られているもう一本のナイフ。
 このままではナイフは加速をつけ、頭蓋骨を破壊し、脳を破壊し、血と脳漿をぶちまけて僕は死ぬだろう。


それは、イヤなこと。
とてもとても、イヤなこと。
僕はまだ死にたくなんか、ないんだ。


ギィィィィィィンッ!!


 鋭い、金属音がこの部屋へと響いていく。それは、僕の腰にぶら下がっていた剣と彼女のナイフが合わさった音。即死の可能性は免れたらしい。

 なら次は一体何をすればいいのか。僕は死にたくない。だってそれは終わりだ。僕は終わりたくなんかない。でも彼女も殺したくない。彼女は優しい人だから。彼女は僕と似ているから。でも、彼女を殺さなければ僕が殺される。殺さなきゃ、殺される。それは、万国共通の考え方だ。

 殺す、殺される。僕は死にたくない、だけど彼女を殺したくない。なら、簡単だ。彼女に勝つけど殺さなきゃいい。
 幸い、彼女は僕に殺意を持っているけど、僕は彼女に殺意を持っていないから。
 でも、僕は彼女を殺さずに勝てるのだろうか。彼女は強い。彼女は魔神とはいえども神を殺した。

「――――何を、弱気になっているんだ、シュバリエ。『騎士』の名が泣くぞ」

 そう、弱気になるな。弱気になったら負けだ。弱気になったら確実に死ぬ。彼女の斬撃はこちらの急所を確実に捉えている。
 弱気になったら――――攻撃を一つでもかわせなかったら、僕は完璧に死ぬだろう。そんなの、イヤだ。

 しかし、彼女は女性の細腕のくせに一つ一つの攻撃が重いから、攻撃をあまり受け止めてもいられない。
 受け止め続けていたら、腕がしびれてしばらくは剣がもてなくなるだろう。さすが、としか言いようがない。
 だが、それは彼女が魔神を倒した聖女だからと言えばいいのか、彼女自身がすごいと言えばいいのか、わからなかった。

 しかし、予想外の出来事がある。彼女は僕の予想通りの行動をとる。だから行動が避けやすいのは僥倖だ。
 それが唯一の勝機というべきか。だが、彼女はまだ本気を出していない。僕の本分はこの剣だが、彼女の本分は魔法だ。彼女の魔法は唯一の未知数。

 この世界にはない、彼女一人が持っている数々の封印指定の魔法。多分、それを使われたら僕は跡形もなく消え去るだろう。
 一瞬にして塵とかし、空気となって溶けてしまうに違いない。そう、それに対する対処も簡単。魔法を使わせる前に、こちらが倒してしまえばいい。


「アハハハハハハハハハハッ!」
 突然、彼女が笑い出した。まるでこちらの考えを読んだかのように。僕の愚かな考えに対する嘲笑だろう、これは。


「そうねそうなのそうなのね……!! そんなにお望みなら使ってあげるわ、私の魔法…!」
 彼女は狂ったように笑い続けている。むしろもう狂っているのかもしれない。彼女の瞳にはもう、僕が映っていない。彼女の瞳は絶望で真っ暗だ。

 そんなにも僕を憎むのなら、僕がなにかをやったんだろう。殺されるようなことくらいは。しかし、まずいことになってしまったようだ。
 しかも、どうやら挑発してしまった結果になってしまった。彼女は今から思いっきり魔法を使うことだろう。僕は一瞬にして消え去ること間違いなし。さっさと切り捨ててしまおうか。

「お前の考えることなんて、全部お見通し」

 声が聞こえる。彼女の声。目の前に広がるのは黒。彼女の黒。髪の色。目の前が真っ黒になる。目隠し。髪の中からナイフが一本飛び出してくる。目、目を狙っている。
 目は急所の一つ。彼女は脳を狙っている。目から脳を貫くことを狙っている。一撃で確実に殺すつもりだ。

「バイバイ」
 笑っている。彼女はやわらかく笑っている。見えはしないけど、確実にやさしく、とてもうれしそうに笑っている。ナイフが目の前に迫っている。

 確実に、ゆっくりと、僕に死を与えるために。もうこの距離からじゃ避けられない。僕は何度、死ねばいいんだろう。ぐしゃりと、嫌な音がした。

 彼女のナイフが僕の目をつぶした音だ。ナイフはもう脳に到達しているだろう。だってもう手首で目がこじ開けられてる。
 ナイフは僕の頭蓋骨のこめかみの部分を簡単に切り裂いていく。普通の人間ならもう死んでいるだろう。でもそれだけじゃ許してくれないらしい。
 彼女はナイフをそのまま唯一無事な僕の目のほうに向かって突き出してもう一つの目を出口としてナイフを腕をそこから突き出した。

 その部分の頭蓋骨と脳は壊滅的に破壊されている。今度は治るのに何時間かかるんだろう。
 いつもならこれくらいで死んで…いや、気絶しているのに、今回は気絶しないらしい。それだけ生き地獄が続くけど、本当に死ぬよりかはマシだ。

 支えとなるものを失ったせいで、体は自動的にその場に倒れこんだ。もう彼女も終わるだろう。でも、これでも許してくれなかったらしい。


「すべてを浄化する煉獄の炎よ、我らが元に舞い降りよ!!」


 僕にはもう見る力は残っていない。でも、気配で分かる。空間が割れている。そこから何かが出ようとしている。熱い、灼熱の炎。煉獄の、炎。


 ――――死。


 絶対的な死。圧倒的な死。今まで死ななかった僕も、今回ばかりは確実に死ぬだろう。
 嫌だ、それは嫌だ、それは怖い、死ぬのは怖い、死は終焉、死は終わり、死は何も生み出さない。
 何もない何もない何もない何もない何もない何もない何もない何もない何もない何もない――――――


 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死


――――死。


「塵すら残さず殺してあげる。避けなさいよ神様ァァッッ!!」
 どうしてだろう。何故か、その言葉がまるで縋るような、祈るような悲鳴に聞こえたのは、気のせいだったのか。


「パーガタリアル・フレイム!!」


 煉獄の炎が僕に襲い掛かる。でも僕は何も出来ない。僕はなにかをすることが出来ない。だって僕には何も見えないから。悲しいことに、何にも。
 でも、何が悲しいんだろう。死ぬこと? 死ぬことが悲しい? それは少し違うと思う。じゃあ何が悲しいんだろうか、見えないこと? それも違うと思う。


「アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 そうだ、笑っていることだ。彼女が笑っていること。僕を殺そうとしている彼女がそこでのうのうと笑っていること。それが悲しい。それが悔しい。
 もう僕の頭に脳はないのに頭痛がする。頭が痛い。殺さなきゃ。あれを殺さなきゃ。殺さなきゃ殺される。殺されるんだ。

 完璧に、この身体を消滅させられて再生さえ出来なくなる。殺さなきゃ。幸いなことに、アレはもう僕を二回も殺している。なら、僕もアレを殺したって構わないはずだ。

 炎が僕に近づいてくる。僕の身体は焼かれている。痛覚がもうないから分からない。もう脳がないんだ。当たり前だろう。


 僕が感じているのは神経における感覚なんかじゃない。僕自身の能力によるモノだ。僕の四肢は焼かれている。それはもがれていると感覚に近い。
 何らかの獣にもがれている感じ。もう少しでこの胴体はなくなるだろう。いや、胴体の半分はもう終わっている。もう…終わり。
 終わる終わる終わる終わる終わる終わる終わる終わる終わる終わる終わる、終わり。


 ―――――終焉。幕引き。


 僕の意識は闇に包まれた。
 …と、思われたが。どこからか声が聞こえてきた。


『そこで終わるの? 神様なのに?』

 誰ですか、あなた。しかも、僕が神様だって? ノワールさんも言ってましたけど、何の話ですか?

『私? 私はあなた。神様の部分のあなた。それで、お前は神様なの。ま、この世界の神様じゃないけどね。この世界とは全く異なる亜種の神様。』

 そうですか。

『…驚かないのね。』

 この程度で驚いてどうするんですか。僕が今までの中で一番驚いたことは、自分が何回やっても死ななかったことです。それではさようなら。僕はこれから死にますので。

『そういうわけにはいかないわ。私生きたいもの。お前に死なれたら困るの。一応、肉体の主導権はお前にあるんだから。』

 …我が儘な人ですね。

『勿論。で? どうせなら、力貸してあげるけど? どうするの?』

 別にこのまま死んでもいいんですけど。

『それは私がイヤなの。で? 私は死にたくない。お前は? 死にたい? 死にたくない?』

 死にたくないに決まってるでしょう。

『なら決まりね。実は言うと、今、お前の身体は再生中だったりするのよ。』

 亜空間にでも閉じこめてるんですか。

『流石ね。その通りよ。もうすぐ終わるわ。お行き、殺してきなさい。』

 …まぁ、言われるまでもなく殺してくるつもりだったので。行きますけどね。

『じゃ、行ってらっしゃ〜い。あの神殺し、ちゃんと殺してきなさいよ〜。』


 最後の一言が異常に気になったけど、彼女の言葉はあまり追求しなかった。…でも、そういう考えもあるのか。
 地上では聖女として崇められている彼女も、同じ神となっては同胞殺しの危険な下級動物となってしまう。

 しかしまぁ、何となく彼女があそこまで絶望に染まってしまった理由が分かってしまった。多分彼女は信じていた神々によほど手酷い方法で裏切られたのだろう。
 そうでもなければ人間あそこまで変わりはしない。あまりにも愚かだ。今まで使役するだけ使役して、危険になったら排除する。愚かすぎて反吐が出る。

 そうだ。彼女を殺し終わったら、いい提案をしてみよう。ひどく楽しい提案だ。これなら彼女ものってくれるはずだ。


 そうして、僕は瞳を開けた。目の前には、確かに彼女がいた。

 笑っている。まだ彼女は笑っている。穏やかに。柔らかに。ひどく楽しそうに。何が楽しいんだろうか。僕が生きていることだろうか? いや、それは絶対に違う。
 何故殺した相手の安否を気遣わなければならないのか。いや、普通はまず驚くべきなのだろう。自分が殺した相手が無傷でそこにいるんだから。

「アハハハハハハハハッッ!! やったわね神様、覚醒おめでとう! これでやっと本気の殺し合いが出来るわっ!!」

 全く、なにがおめでたいのやら。そんなに本気の殺し合いがしたいほど血に飢えているわけでもないのに。

「行くわよ、神様ァッッ!!」

 彼女は僕に向かってくる。両手にナイフを携えて。だが僕には獲物がない。ついさっきの魔法のせいで溶けてしまったようだ。でも、獲物は不要だ。

 必要なのはこの手のみ。そう、この手だけ。この手が僕の知っている名かでの一番の武器。彼女は非常に早くこちらに向かってくる。その姿は疾風迅雷に相応しい。
 しかし、この僕に勝てるわけがない。人間である彼女が神の力を有する僕に勝てるわけがない。例え、彼女が神殺しであろうとも。

 バキバキと手が鳴っている。イヤな音だ。まるで大地が割れているような音。自分の右手が硬質化されているのがわかる。でも、とても気持ちがいい。
 この感覚を僕は知っている。とても懐かしい。いや、そんなことはどうでもいい。そうだ、後から考えればいい。今は、目の前の敵を倒せばいい。


 集中しろ集中しろ集中しろ集中しろ――――見えた。


「さようなら、ノワールさん」

 そういった僕の手には確かに彼女の頭を掴んでいた。彼女は足掻くこともせず僕の手の中にいた。どうやら諦めているようだった。足掻くこともしないなんてつまらない。

 僕は当然の如く、その頭を握りつぶした。ぐしゃりとイヤな音がして、血と脳漿と脳味噌が飛び散った。彼女の長い黒髪も緋色で染まっている。

 でも、この程度じゃ彼女は終わらないだろう。僕と同じく。彼女も多分、肉体をすべて滅ぼさなければ死なないはずだ。右手が掴んでいた彼女を離して床に放り捨てる。
 そしてそのまま彼女に馬乗りになった。想像していたとおり、数秒としない間に彼女の頭部の再生が始まった。この分なら、再生するのには十秒程度だ。

 あぁ、ほら。もう顔は治っている。これで彼女とも話が出来そうだ。

「どうもこんにちは、お元気ですか?」
 ついさっき自分が殺した相手に元気ですか、はないと思ったが、それでも話を切り出すにはこれが一番だろう。

「…殺しなさい」
 完璧に再生された彼女の口からこぼれたのは誰に向けられているのかが呪いの言葉。それは多分自分に対してだろう。

「殺しなさい殺しなさい殺しなさい…! 神であるお前が私を殺しなさい…ッ! 殺しなさい殺しなさい殺しなさいさっさと殺せェェェェッッ!!」
「それではお望み通り。」

 彼女の首を潰す。あっさりと潰れた。首は意外と脆いからすぐに潰れる。首には頸動脈があるから大量の鮮血が出た。
 普通の人間ではこれで死んでいるから、これで充分だろう。彼女に普通の人間の概念が通用すれば、だが。
 そんな彼女を見てうまくいったかわからないが、柔らかく微笑んで僕は言う。

「落ち着きましたか? ノワールさん。僕から提案があるんですが、どうです?」
 完璧に首の部分が再生した彼女はひどく堅い無表情で口を開く。

「…落ち着いたわ。どうもありがとう。言っておくけど、神であるお前と一緒に外に出ようなんて気は全くないから。」
 どうやら先手を取られてしまったらしい。少し面倒になってしまうが彼女の言葉を無視して言葉を紡ぐ。

「僕と一緒に神殺しの旅に出ませんか?」
「…は?」
 少し放心していた彼女がようやく、といった様子で呟く。しかし、その表情をほんの少しの間だけ、すぐに怪訝な表情へと変わる。

「何? 同情? そんなモノいらないわよ。」
「はい、同情です。それ以上にこの世界の神があまりにも愚かだったもので。取りあえずぶちのめしてやろうって思ったんです。」
 その言葉を言った途端、彼女が突然上にいる僕を殴り倒して立ち上がる。痛い。一体何なのだろう。


「お前がそんな話をしているせいで、面白いモノが来たわ。」

 彼女は虚空を見つめている。いや、虚空というよりかは自分の真上を言った方が正しいか。そこに面白いモノがいるらしい。
 僕もそれが一体何なのかは見当が付いている。付いていなければおかしいのだ。そんな話をしているせいで、ということは。


「来たわよっ!!」


 そこに神がいるということだ―――――。


 彼女の言葉と同時に、天井が崩れ落ちた。