Noble Wish
【 起 】 ‐目覚め、再会、ところにより嘘‐ 01. 自分は一族の中で一番弱いと言われて育ってきた。 一族の中で一番弱くて、一番恥さらしなのだと。 でもそうして生まれてきても命は命。両親は生まれてきたばかりの自分が可愛かったようで、力が足りない子どもはすぐ殺さなければならないのに領主や族長に掛け合って命乞いをしたらしい。 そうすれば自分が生き残るのにたった一つの条件を与えられたのだ。 その条件が叶えられなければ、この身はいとも簡単に死んでしまうのだと。 ならば自分はそれを叶えなければならない。この身はまだ死にたくないのだから。 無駄に生きてきた生命だと思った。 昔から自分は弱くて命乞いまでして生まれたというエピソードのせいで一族の色んな人に苛められたり殺されかけたり色々とあった。 だけど、きっとこの命が生きるのは間違いではない。命が生きようと足掻くのは、きっと間違いではないのだ。 そうでなければ何も救われないだろう。 その為に、その為に――――この身は強くならねばならないのだ。 *** あぁそろそろか。ぼんやりとした頭でそう思ったリデルは瞼を上げた。 スマイルの目的地がどこかなど知りはしないが、リデルの考え通りならばもうそろそろ着いている頃だろう。スマイルはリデルに負担をかけない。あまり遠出はしないはずだ。何故だかは分からないが、スマイルはいつもリデルを気遣っていた。 辺りからは濃い闇の気配がする。光などどこにもない、闇の空間。リデルの部屋を出る前にスマイルに暖かな服装に着替えさせられたからか、寒さは感じなかったのが多少の幸いか。 辺りを確認すれば闇。深淵にも近い闇に満天の星がリデルを出迎えていた。リデルは息を飲む。スマイルはこれを見せたかったのか。だけどこの程度リデルの部屋からだって見ることができる。ならば何があるのだろうか。 巨大な大樹の幹を背もたれにして眠っていたリデルは辺りを見回した。忘れていた、そうだリデルをここまで連れてきたスマイルは一体どこにいるのか。 「……スマイル?」 寝起きだからか、それとも発作が起きた後だからか、発した声は酷く掠れていた。唇や咥内はパサパサに乾いていて、あまり口を動かすことができない程。辛うじて舌はそれなりに潤っているが、それもまた意味を成していない。 まるで、何年も声を出していないかのような錯覚。だが気にすることはない、発作の後はいつもこんなものだ。そんなどうでもいいことを気にすれば、きっとリデルは一日たりとも生きてはいけなかった。 「…スマイル」 先の掠れきった声では聞こえていないかもしれない。リデルはゆっくりと、一つ一つの音を丁寧に発音しながらもう一度名を呼んだ。スマイルはリデルを心配させない。だから名を呼んだら必ず声が返ってくる。 「…」 だが、リデルの予想を裏切って答えは返ってこなかった。静寂が空間を支配する。リデルは不可解げに眉根を寄せた。これは一体どういったことか。スマイルがリデルの傍を離れたことなど一度たりともないというのに。 「スマイル」 もう一度。 「スマイル」 もう一度。 だけど、声は返ってこない。リデルの光が見えない。 「……、スマイル」 最後に、掠れるような声で一言。だけど返事は返ってこない。静寂が辺りを包んで、漆黒の闇に音は溶けた。 リデルは立ち上がった。スマイルはここにはいない。ならばこんなところで座っていてもどうしようもならない。ならば動け。立ち上がれ。 微かに動かす度にギシギシと身体が軋みを上げる。冷や汗と同時に痛み。まるで何年も全ての筋肉を動かしていなかったかのような。 立ち上がるだけでも一苦労だ。悲鳴を上げる身体を精神力で押さえ込み、歯を食いしばって傾こうとする身体の体勢を保たせた。 視界に入った巨木の幹に、ふらつきながらも寄りかけてバランスをとる。うまくいかないが、この調子ならば立っているうちになんとかなるだろうと見当をつけたリデルはその背を幹に預けた。しっかりと大地に根を下ろす大樹の、ゴツゴツとした幹が多少痛い。だが、無様に倒れるよりか、いい。 喉を動かす。ひゅうひゅうと掠れた音が漏れた。確かに立っていればなんとかなるかもしれないが、これではあまり無茶は出来ないだろう。リデルは正確に判断した。これでも床に臥して数ヶ月も経つ。この程度は正確に把握できる。 だけど、動かなければ。リデルは無茶をしてでも動かなければ。スマイルがいない。リデルの光がない。暗闇の中、手探りで光を探すように、リデルはスマイルを探さなければならない。 リデルは、生きたくない。もう、生きていたくはない。生きることに疲れた。だからリデルを生かそうとするスマイルに関わるのは辛い。ならばスマイルに関わらなければいい。 そう思っていても、リデルはスマイルが何処かにいるということを把握していないと駄目なのだ。アレが何処かで生きていると言うことを確認しないと不安で仕方がない。だから、リデルはスマイルを探さなければ。 己の意志を明確に確認した。リデルは浅い息しか繰り返さない喉で、無理矢理大きく深呼吸を吸わせて前を見据える。幹に右手をやって、爪を立てながら身体を幹から離した。 身体の軋みなどもう知るものか。そんなものはどうでもいい。これが風前の灯火である己の命を消す行為だとしても、それがスマイルを探している最中ならばそれこそ幸せに死ねるだろう。 きっと、スマイルは悲しむだろうけど。 泣いてくれるかどうかは分からない。だけど、きっと悲しんでくれる。リデルが死んだら、スマイルはきっと悲しんでくれるだろう。それだけは確信を持って言える。だから、別にいい。リデルが死んでも、悲しんでくれれば別にいい。 ふと息をついたその時、ぐらりと大きく身体が傾いだ。先ほど同じく前屈みになる身体を精神力で押さえ込もうとしたが、流石に今回は無理だった。精神力ももう底をつきかけている。リデルはそのまま重力に従って前のめりに倒れようとした。 だが、いつまで経ってもあの鈍い衝撃がやってこない。体調が悪いときはろくに受け身も取れないのだから、あの鈍い衝撃は避けられないものなのに。 そう考えていれば、誰かがリデルの右腕を掴んでいることに気付いた。その腕のお陰で、リデルの身体は地面に着くことなく衝撃を感じることもなかったのだ。 もしかしてスマイルかも知れない。だけど、スマイルならば何故リデルに声を掛けないのか。もしかしたら別の人間かも知れない。様々な仮定がリデルの頭の中を駆けめぐるが、この腕の持ち主はリデルを助けてくれたのだ。礼を言わなければならない。それは人間としての最低限の礼儀だ。リデルは左腕を地面に付けて体制を整え、それからそのまま立ち上がって、リデルの腕を掴んでいる本人に礼を言う。 「助けてくださってありがとうございます。わたくしからは何のお礼もできませんが、せめて礼の言葉をお受け取り下さい」 その本人からするりと自らの腕を引き抜いて、そのままドレスの裾を摘んで一礼をする。 その時リデルは気付いた。この服は、あの時スマイルに着替えさせられたドレスではない。また別の、リデルの一番気に入っていたドレスではないか。しかも何故か泥だらけになって汚れている。これは一体どういうことだ。リデルは表情には出さないものも、内心では首を傾げていた。 いや、それよりも今は目の前の人間のことだ。リデルが礼を言ったのにも関わらず、相手は何一つ反応を返さない。リデルはその時初めて相手を見た。 漆黒に溶ける色をした、黒いフードとマントを被っているせいで相手が男か女かは分からない。だが、女性としては標準的な身長を持つリデルと同じような背の高さ。そしてマントから微かに覗く長い緩やかなウェーブのかかっている金の髪。その二つの点から、リデルは目の前の人間が女性ではないかと見当を付けていた。 ひゅ、と相手が息を呑む音がした。リデルは挨拶をしただけだというのに何か驚くようなことでもあったのか。 「…どうして、お前が、」 「え?」 驚愕に塗られた声にリデルは問い返す。それは一体どういうことかと。相手は己の反応を思い返したのか首を振った。気にするなということだろうか。 「…いいえ」 そして仕切り直しとばかりに一足遅れて、助けてくれた人間が声を放つ。 「同胞を助けるのは当然のことです。礼など要りません」 高い、ソプラノの声。これで目の前の人間が女性であることが確定した。しかし、女性の細腕で小柄とはいえ人間一人を支えられたものだと、リデルは感心する。だが、それ以上の強い疑問が蜘蛛のように脳裏に巣を作って離れない。 「…同胞?」 「はい、初めまして我らが新たなる同胞。我々は貴方がこちらの世界で新たに生を受けたことを歓迎します」 恭しく礼をする少女。リデルは眉をしかめた。女の言っていることが、リデルには砂粒ほども理解できない。我らが同胞? こちらの世界で新たに生を受けた? 何の話だ。リデルはまだ生きているというのに。女の言っていることは、リデルが既に死んでいると言うことを前提としている。リデルはまだ生きているのに。この身は未だ生命活動を続けているというのに。 「何のことをおっしゃっているのですか? まるでその言い様ではわたくしが既に死んでいるように聞こえるのですが」 「…もしや、ご存じないのですか?」 リデルの訝しげな言葉に女の方が疑問の声を上げる。 「ご存じない、とは何を?」 「貴方は既に死んでいます。それは確実に言えることです」 「――――!」 断言された言葉に驚愕を。だけどこの心は奇妙なまでに安堵していた。 リデルは死んだ。死んでいたのだ。 そういえば確かに違和感があった。眠りから目覚めたときにはまるで何年も動かしていなかったかのように軋む身体。何年も声を発していなかったかのように掠れる声。部屋から出たときとは違うドレス。泥だらけの服装。 そして、何よりも、スマイルがいない。リデルをここまで連れてきたスマイルが、何が何でもリデルから離れなかったスマイルが、いないのだ。それが何よりの証拠なのではないか。 そして、闇に紛れて分からないが、目を凝らせばよく見える。この木の周り、リデルを中央として、闇の中ぼんやりと浮かび上がる白い物――――墓石。 ここは、紛れもない墓地だ。墓地にリデルが泥だらけの格好でいる。それだけで、既に女の言っていることを証明しているのではないか。 「…成る程」 呟いた言葉が妙に空々しく聞こえた。どこか笑い声に近かったかもしれない。 死んだという事実を冷静に淡々と受け入れることの出来る自分が不思議だった。いや、不思議でもないのか。リデルは確かに死に執着していたのだから。 生に対して何の未練もなかった。未練がなかった筈だからこそ、スマイルが躍起になって呼び起こそうとするそれ。それを最後まで呼び起こす前にリデルは死に、そして今に至るというわけだ。 成る程、だからこそスマイルがいなかったのだ。可笑しいとは思っていた。スマイルは生きている間はリデルの傍を離れることはなかったから。 「…何故笑っているのですか? 貴方は」 「笑っている? 笑っているのですか? わたくしは」 確認するかのように問うと、小さく頷かれた。 「…笑うのは、嬉しいからです。多分わたくしは嬉しいのです」 それは恐らく、生から解放されたこと。病から解放されたこと。確かにこの身に未だ黒い斑点はあるが、それでも生から解放されたことはリデルにとっては喜ばしいことの一つだった。 スマイルと離れたことは確かに悲しむべきことだったのだがそれ以上に今の喜びの方が強かった。 リデルは笑顔のままで問う。女はそんなリデルを訝しんだようだった。 「申し訳ありませんが、何分目覚めたばかりで今一つ知識が不足しています。幾つか尋ねさせていただきますが、よろしいでしょうか」 「構いません。目覚めたばかりの貴方に突然このようなことを言って申し訳ありません。どうぞ、幾らでも。気が済むまで」 女からの了承は取れた。リデルは瞬時に脳内での質問事項を重要な物の順に並べ直し、女に問う。 「それではまず、こちらの世界、とはどこでしょうか。貴方の言い方からすれば、まるでここが人間の住む世界ではないかのようですが」 「その通り、ここは人間の住む世界ではありません。ここはメルヘン王国。人間以外の魔物が住む世界。闇に属する者が生まれ、領主と呼ばれる存在が統治する世界」 「では次です。同胞とは、どの様な意味でしょうか」 「そのままの意味です。貴方は一度人として死に、我らと同じ種族に再び生を受けました。故に同胞。我らが迎え入れるのも道理でしょう」 「その種族とは?」 「不死者。ゾンビやグールとも呼ばれる存在ですが、総称としてアンデッドと呼びます。不死者の中には階級があり、下位の餓鬼 成る程。リデルはひっそりと息をついた。女が言っていることが正しいならば、リデルは既に死んで不死者として生き返り、今はこのメルヘン王国という場所にいることになる。それに女が迎えに来たと言っていたということは、リデルが不死者として目覚めたのも数秒前ということだ。しかしリデルはイギリスで生を受け、イギリスの土で死んだ筈なのだがそこは何らかのカラクリがあるのだと仮定する。 そして女は何かの組織に属しているようだ。種族全体がリデルを迎え入れるのならば、『不死者 しかし何かが引っかかる。女の言葉にリデルの脳が引っかかりを覚えた。 『僕の故郷はねェ、メルヘン王国って言って僕みたいな存在がうようよしてるトコなんだよ』 スマイルの声が、リデルの脳裏に蘇る。そうだ、スマイルはそう言っていた。ここはスマイルの故郷か。 動けないリデルとの話の種に、スマイルはよく故郷の話を選んだ。そのせいかリデルは妙にこのメルヘン王国について詳しくなってしまったのだ。その知識は未だリデルの頭の中に眠っている。役に立つ日が来るとは思いもしなかったが。 「故に我らは貴女を歓迎します、我が同胞。貴女のその様子からして、貴女ではない他者が貴女を不死者としたのは明確ですが、貴女がこちらの土地に埋められていたということは我らの中の誰かが貴女を不死者にしたということ。ならばその責任として、貴女を我らに迎え入れましょう。貴女に生きる術をお教えします」 女がリデルに手を差し伸べる。しなやかでたおやかな、きめの細かい白い女の指。リデルが考えている最中だというのに、女はリデルの質問が終わったものだと思いこんでしまったようだ。 女の白い指を冷めた眼差しで見ながら、リデルは最後の質問を口にする。 「最後に、一つ問います。何故あなた方は不死者 ――――何らかの理由があるのでしょう。その理由を、お教え下さい」 臆すことなく、怯えることなく、戸惑うことなくリデルは問う。だが女も怯まない。まるで答えを用意してきたかのように、女は淀みなく答えた。 「それは階級の高い者達のことです。不死者 「――――成る程。己の位が低いのだと、そう言うのですね。あなた方は」 その声をリデルが遮った。透徹で冷徹な、心の臓から魂の淵まで凍ってしまいそうな程の声音。女が訝しげに顔を上げた。リデルを侮っていたのか。ならば余計に不可能だ。リデルはこの女に着いていくことはできない。 「…?」 女の困惑した表情。リデルが何を言っているのか理解できていない顔。 卑屈な言葉は要らない。卑屈な根性は要らない。 リデルは生前のことを思い出す。弱者だろうがなんだ。たった一人で生き抜くことなんて簡単だろう。そうでなければリデルの生前の生活は一体何なのだ。リデルの傍には誰もいなかった。 …そして、そこに入り込んできたのがスマイルだった。彼は最初からそこにいるかのように、当たり前のようにリデルの傍に入り込んできたのだ。 それに加えて、何故女は組織に属している? 組織という物は何らかの理由があり、それに同意する人間が集まって初めて組織と言えるのだ。何故それを己が弱者と言うことで偽るのだ。何故加わってくれと頼んでいるにも関わらずに自ら偽るのだ。それでは信頼など得られるはずがないだろう。 リデルは目を細めた。睨みつける。静かに、視線だけで相手を射殺すように。 ――――挑発を。 侮ってもらっては困る。この程度の嘘など見抜けずに貴族などやっていられるか。これはリデルを侮ってもらった礼だ。 「ならば、わたくしはあなた方に迎え入れられることを拒否しましょう。位が低い? だから群れて生きる? その程度のことで群れて生きるなど愚の骨頂。自らが弱者であるとさらけ出しているようなものではないですか。位が低かろうと何だろうと、堂々と一人で生き抜けばいい。その程度のことで群れて生きることなど、わたくしの矜持が認めません。 故にわたくし、リデル・オルブライトはあなた方に迎え入れられることなく離反し弓を引きましょう」 そしてリデルはスマイルを探す。リデルの光を探すのだ。闇を生き抜く者は特殊な力を持つ。そう簡単に他者からの攻撃では死なないし、寿命で死ぬことは滅多にないとスマイル自身が言っていた。 ならば、リデルはスマイルを探す。リデルが死んでから何年経っているかは分からないが、スマイルが生きている可能性がある。だからリデルはスマイルを探すのだ。 「――――正気ですか、貴女は。貴女が我らに敵対しても、何一つ得るものなどないというのに」 「確かに得るものなどないでしょう。ですが、それでも構いません。わたくしは誰よりも何よりも、わたくしの誇りを選びます」 決して引くことはないのだとこちらの意志を明確にリデルは主張する。女は突如として手のひらを返したかのようなリデルの様子に戸惑っている。それも当然のことだろう、先ほどまでの笑顔は偽りだったのかと思ってしまうほどの手のひらの返しようだ。これで戸惑わない方が可笑しい。 そしてリデルは本題を切り出した。 「ですから、あなた方の本来のお教え下さい。上辺だけの建前は必要ありません。その程度見抜く術など理解しております。わたくしは真実を聞き、それによりわたくしの価値観であなた方に組するか判断しましょう」 リデルはドレスの裾を摘んで優雅に礼をしてかしずいた。これがリデルにできる最大限の譲歩だ。本来ならばもっと嘘をついて騙せばいい、偽りを口にすればいい。だが悲しいことにリデルは誠実な人間だった。嘘をつくことはできなかったのだ。 女は見透かすような視線をリデルに向けた。リデルはそれに真っ向から対する。リデルの目に偽りはないのだから幾らでも見ればいい。リデルからは何も出てこない。 女は視線を逸らしてこれ見よがしにため息をついた。 「…貴女に偽りを貫くことはできないようですね、ミスオルブライト。所詮新参者の小娘と侮って偽りを吐きましたが、どうやら貴女は違うようです。…貴女という人間を見くびっていたことを、ここに謝罪します。 いいでしょう、わたくしはわたくしの独断で貴女に我らの目的をお話しましょう」 女が頭を下げ、リデルは無言で続きを促した。女もそれを承知でリデルを見ることなく言葉を紡ぐ。 「我らの目的は端的に言うならば復讐です、ミスオルブライト。古くからの怨恨が降り積もり、我らは復讐をすることに決したのです。誰に、ということは今は言うことが叶いませんが、こちらの――――メルヘン王国の者には一切関係のないことなので、貴女が我らに関わらなかった場合も、貴女に被害は一つたりともございませんのでご安心下さい。 我らその為に我らは力を欲します。様々な種族の者が我らの元に集まってはおりますが、それでも戦力が足りないことは明白。未曾有の力を有しても尚、我らは力が欲しい。そこで我らが目をつけたのは貴女です、ミスオルブライト。我ら不死者 「…復讐、ですか」 「ええ、貴女にはありませんか? ミスオルブライト。誰かに復讐したいと、誰かが憎いと、本当に心からそう思うことが」 「ございません」 きっぱりとはっきりと明確に言い切る。女は驚きに目を見開いた。だが本当にリデルにはないのだ。憎悪も嫌悪も復讐心も、リデルの心には何もない。他者に復讐しようなど思ったことなどない。リデルの胸にはぽっかりと穴が開いていて、憎悪も復讐も胸を通り過ぎてしまうのだ。リデルは聖人ではない。ただ、リデルの胸には何も残らないだけ。遠い遠い昔から、リデルは全てを諦めていたから。 父母や兄弟との思い出。屋敷での日々。貴族の子たちとの優雅な晩餐会。かかった病。隔離され捨てられたということ。その全てがリデルにはどうでもいい。病にかかった者を隔離することは当然のことであるし、自分が病にかかりたくなければその者と関わらないことが無難だ。それも全てリデルには分かっている。 だからリデルにはどうでもいい。彼らは人間や生命にとって当然のことをしたというのに、何故恨まなければならないのか。 …それよりも今、風穴が開いたリデルの胸に残っているのは、他の何者でもなくスマイルのことだった。父母や兄弟、貴族の子と過ごした時間よりあまりにも少ない。時間に換算すれば半年程にしか満たないだろう。それでも、リデルの胸に残っているのはスマイルのことなのだ。 光。 リデルの、光。 その存在のことを考えれば、リデルの胸は暖かくなる。冷えた空気しか流し込まないリデルの胸がほんのりと暖かくなるのだ。 「わたくしは、復讐心など欠片もございません。ですがわたくしは聖人ではございません。ただ、わたくしの心を占めているのは諦観の念だけなのです。残念なことに、それより他はございません。わたくしにあなた方の話を理解しろというのも無理な話。 故に、お帰り下さい。わたくしは、あなた方に組すことはできない」 強い情熱は、確かにリデルにもあるのかもしれない。ただ他者を憎むという感情が欠如しているリデルには、彼らに組することはできない。リデルはきっと、己の意志がなければ誰一人として傷つけることはできないだろう。 そんなリデルが、自らの意志でもないのに復讐の手助けをする? …無理な話だ。 眉をひそめて口を開く女。彼女としてはイエスを期待していたのだろうが、リデルは彼女を拒否する。 「…ですが――――ッ!」 なおも言い募ろうとした女に向かって、リデルの頭上から銀の閃光を放ちながら闇を切ってナイフが落ちた。女の顔色が変わる。それと同時に、リデルの頭上――――ナイフが飛んできた方向から一つの声が降りてきた。 「しつこいよ、君」 それは、リデルにとって聞き覚えのある声だった。 ザン、と木の葉をまき散らす音をたてて己の存在を誇示しながら、リデルの頭上の木からまるでリデルを庇うかのように何者かが降りてくる。それはリデルの目の前に降り立って、その高い身長でリデルの視界を遮った。リデルは目をみはる。 青い髪、青い肌。身に纏うコートは茶色で、おそらく正面からきちんと見ればリデルの予想通りに十字架が刻まれているだろう。 そして、体中の至るところに巻かれている、包帯。 それさえあれば分かる。それだけで分かる。リデルの目の前のこの長身の包帯男。この男は――――、 「――――スマイル」 「やぁリデル、お久しぶり」 スマイルはいつもの軽口のような口調で、リデルに手を上げて笑った。 リデルは、リデルの光を見つけた。 |