Noble Wish
【 転 】
‐you know.‐


03.

Code光槍Photon Lance
私は無敵の盾を持つI have the shield of Aegis.
 スマイルの術式によって虚空より空間に無数もの光の槍が生み出される。光の槍は術者の思考を読んだのか直線的にシャリエに向かってくる。シャリエもドレスとは思えないほどの万全たる体裁きで光の槍を回避する が、それでも回避しきれないものはあらかじめ編んでおいた術式を活用してリデルの体に当たるのを防ぐ。
 シャリエの術式はどうやら透明な膜を生み出すことらしい。それがリデルの体を守り、スマイルの術を消し去っていた。
 スマイルもシャリエもまるで息をするかのように容易く術式を編んでいく。あまりの自然さ、そして滑らかさにリデルは思わず言葉を失った。
 そこで再びシャリエの詰問が始まった。
「リデル・オルブライトは幼い頃から孤独だった。それは物理的な孤独ではなく精神的な孤独であり、彼女心はいつだって乾ききっていた。
 それを貴方は知っていた。知らなかったとは言えないでしょう、貴方はリデル・オルブライトが貴方の二重存在ダブルとして生まれた頃からずっと彼女を見ていた。何れ食らってやろうと見ていたでしょう、スマイル。それを私は知っている」
Code消去Erase
 スマイルは答えず、シャリエが生み出した絶対の盾を消去する。絶対の盾は主を何者からの攻撃からも防ぐが、自身に対する術には紙のように脆い。
「だからこそ貴方はそれを利用して、リデルのその孤独につけ込んだのでしょう? リデル・オルブライトは己を理解してくれる人間に飢えていた。彼女の価値観は当時の貴族からは決して理解されるものではなかったから。
 貴方はそれを利用した。彼女に愛情を与えて刷り込んだの」
 まるで雛が生まれて初めて見るものを、同じ形をした者でもないのに親だと認識するように。
 そうやって、スマイルもリデルに愛情を刷り込んだのだろうか。リデルに愛情を刷り込むためにわざとリデルの意見に同意した? リデルの中で疑問がする。…それは本当に?
 答えを持っているのはスマイルだけだ。そのスマイルは沈黙を保っている。
Code篝火Fire
 足下から火柱が立ち上がろうとしている。シャリエはそれを察知してすぐさま脳内に構築してあった術式を解放する。
私は貴方を凍結するI freeze you.
 立ち上がろうとしていた火柱をすぐさま凍結させたシャリエは言葉を続ける。
「その目論見は見事成功する。彼女は貴方を愛し貴方を光だと言った。…だけど貴方の誤算はこれから。彼女が貴方を愛したように、貴方も彼女を愛してしまったこと。でも貴方は二重存在ダブルを食らわなければならないという血の契約が貴方の生まれる前から為されている。それは領主も御存知でしょう」
 シャリエはようやくユーリに視線を向けた。ユーリは二人の戦いを手出しもせずに見届けている。ユーリは頷いた。
「その通りだ。それは一族の中で最も弱く生まれた者。本来ならば死ななければならなかった者を無理矢理生かし続けている代償だな」
 当然のように、領主であるユーリは答えた。リデルはそんな話を知らない。当然だ。リデルこそがスマイルの二重存在ダブルなのだから。誰が獲物に好きこのんでそんな話をするのだろうか。
「そこで貴方は一つの賭に出る。貴方はリデル・オルブライトに近付く前に丁度一人の不死者アンデッドを食らっており、その特性をよく理解していた」
「そう、それが君だよ。シャリエ・オルブライト」
 スマイルは皮肉そうに斜に構えた態度で口を開く。その口元には、やはり皮肉そうな笑みが浮かべられていた。
 シャリエは肯定も否定もせずに話を続ける。だからこそまた、それが沈黙と同じように答えを浮き彫りにさせるのだ。
不死者アンデッドは一度死んだ故に死という概念が消え去っている。…故に、貴方はこの子を完璧に不死者アンデッドにした後に食らうつもりだったのでしょう? 今この子が目覚めたのにもかかわらず食らおうとしていないのはこの子が未だ人間の側に近い存在だから。今食われたら容易くその存在を消してしまうことでしょうよ。
 …ああ、でも手を出そうとはしていたようね。魂の量がほんの少し減っている。可哀想に、まだ完璧に不死者アンデッドになっていないのに。この魂の量はもう二度と戻らないわよ」
 くつりくつりとシャリエは笑う。どこかに優しさを滲ませて、慈しむように。
 …ああ、そういう意味があったのか。あの時のスマイルの口付けと性急な性交、それからその後の言葉に訳が分からず混乱していたがそんな意味があったとは。
 こうやってシャリエが暴いてくれるまでリデルは何も知らなかった。…恐らく、知る必要もなかったことのだ。
「そして貴方はこの子を自らの手で殺して、この子の血族の誰一人に知らせることなくメルヘン王国のあの墓地に埋めた…。そして数百年が経過する。ここからが私の出番ね」
 シャリエは内側にいるリデルに確認するかのように大仰な仕草で言う。リデルはその意図に気付いて頷いた。
 そう、ここからは恐らくリデルが目覚めた後のお話。
「この子が目覚める少し前に、領主から私の元に依頼がやってきた。依頼内容は、これから一人の不死者アンデッドが目覚める。その不死者アンデッドを狙う組織の一員である振り・・をしてくれ、と。勿論そんな組織はこの世にはない」
 ゆるりとシャリエの視線がユーリに向けられる。ユーリは何も言うことなく視線をあらぬ方向へ向けるばかりだ。だが彼は彼なりに必死だったのだと、リデルは知っている。ほんの少ししか関わることは出来なかったが、彼はスマイルとはいい友人だった。
「いざ本人を見てみれば、その娘が私の二重存在ダブルであることは間違いなかった。そしてスマイル、貴方の二重存在ダブルでもあることはすぐに理解できたわ――――私たち三人は、同じ二重存在ダブルであるのだから。
 でも二重存在ダブル二重存在ダブルを食らう。それが道理であり、それ以上に貴方は二重存在ダブルを食らわなければ死しか待っていなかった。
 でも最初から敵役として姿を現した私の前に、お姫様を助ける役として同じ二重存在ダブルである貴方がやってくるなんて、それはなんて喜劇なのだと。そして何て茶番劇なのだと。
 …そして、そこからはお前の知る通り」
 だが今言ったことがすべての真実なのだとシャリエは言う。誰に語りかけるわけでもなく、ただ己の内側にいるリデルに語りかける。
 何も知らなかったリデル。自分の裏でこんなことが繰り広げられているとは思いもしなかった世間知らずのお姫様。それがリデル・オルブライトの正体だ。
『…まだまだ、ということなのかしらね。私も』
「そうでもないとは思うけれど? 普通の人間はまず何かを隠されていることに気付かないわ。余程敏くはない限り、ね?」
 リデルを慰めるようにシャリエは笑った。だがそれではリデルを慰めたことにはならない。
「…それで? 言いたいこと、それだけで終わり?」
「ええ、終りね」
 先ほどから何を言っても変わらない表情のスマイルに、リデルとまるで同じ表情をしたシャリエが頷いた。
「じゃあそろそろ終わらないと。僕が勝ったらまた地獄を見せるような陵辱をしてあげるよ。甘く甘く溶かして、精神を壊してやる」
「…この体はリデルのものなのに?」
 同じ容姿をしていても、シャリエとリデルの髪の色や瞳の色は決定的なまでに違う。そしてそれ以上に、その肌にはリデル・オルブライトである黒い斑点があった。
「…だから皮肉なんじゃないか」
 そう言ってスマイルは、一瞬だけあの泣き出しそうな瞳に戻った。
Code光槍Photon Lance
 Code旋風Whirl
 Code消去Erase
 CodeVortex
 Code煉獄Purgatory
 Code絶対守護Aegis
 …装填Set完了All Green
「…私は無敵の盾を持つI have the shield of Aegis.
 互いに戦いは止まらない。シャリエがスマイルの抱いている勘違いを止めない限り、戦いは終わることはないだろう。
 だが何故、スマイルはリデルがここにいるのだと気付かないのだろうか。
  ――――それはシャリエがリデルの存在を巧妙に隠しているからだ。
 何故ユーリは、この二人の戦いに口を出そうとしないのか。
  ――――それはこの戦いが二重存在ダブル同士の戦いであると理解しているからだ。
 戦闘は、どちらともなく開始された。
Code光槍Photon Lance
私は貴方を凍結するI freeze you.
 スマイルが光で為された槍を虚空から生み出しシャリエへと撃つ。シャリエは凍結の名を為す術で大多数の槍の内何本かを元素へ返し無効化するが、それでも襲いかかってくる槍の数はそう変わりはしない。
 それをシャリエは既に慣れたように回避していく。今度は盾に頼る必要もないようだ。足に狙いを定めるそれも、肩に狙いを定めるそれも関係なく、体を反らして微妙に狙いを外させて簡単に回避していく。
 ――――シャリエは、リデルがつけ込まれたのだと言っていた。それは一体何に? スマイルの与えた愛情に?
 …本当に?
Code旋風Whirl
 シャリエが回避している最中に、スマイルは新たな術を紡ぎ出した。発生する鎌鼬。だがそれすらも光の槍から回避できるシャリエには容易いのか、あっさりとすべてを回避しきった。
 その時、リデルの知った感覚が周囲を満たした。ぞくりと肌が泡立つ。ずきずきと頭が痛む。巨大な力を前に平伏せと言わんばかりの、そう、この感覚は――――
 スマイルを取り囲んで青紫の陣が浮かび上がる。スマイルの感情に左右されてか、以前見たそれよりもどこかしら無機的だった。
 ――――…本当に、本当にそうなのだろうか。スマイルはリデルにつけ込むためだけにリデルに愛情を与えたのだろうか。スマイルがそんな面倒なことをするだろうか。あのやらなくていいと思ったことはとことんやらない面倒くさがりのスマイルが。ただ己を食らうためだけに獲物に愛情を与えるか?
CodeVortex
 先ほどの鎌鼬は囮か。まるで竜巻に巻き込まれたかのような暴風がこの部屋一帯に巻き起こる。現在は精神だけの存在であるリデルにはその凄まじさは視覚でしか捉えることは出来なかったが、石畳の石が浮き上がったことからかなりの激しい疾風だということが理解できた。
 ――――それは否だろう。スマイルはそれを獲物や敵だと認識した途端に何の慈悲も与えずに牙を剥く攻撃的な性格をしている。リデルを初めから獲物だと認識していたのならば、愛情など与えない。
 シャリエを取り囲むように守る盾がキシキシと軋みを上げていた。あまりの過負荷に術が限界を突破しようとしている。このままではそう遠くないうちに破壊されてしまうのが目に見えている。シャリエの額に初めて玉のような汗が浮かんだ。
 地脈から力を引き上げる。引き上げた力をそのまま、盾に対する補助に使おうと術式を発しようとしたところ――――
Code消去Erase
 無慈悲なるスマイルの術。
 その盾そのものが掻き消されてしまったせいで地脈から引き上げた力が行き場をなくして暴れ回っている。
まだ加工されていない純粋な力でもう一度盾を作り上げるべきかとシャリエが一瞬だけ思考したその一瞬。
 それすらも隙として捉えたのか、スマイルは未だ消すことなく周囲に存在させていた陣を青白く光らせた。
Code:」
 これが最後と言わんばかりの。
 無慈悲で、残酷で、そして何よりも冷酷で。
 だけどその正体は泣いている迷子の子どもだ。
 シャリエの表情が強張った。盾もないこの状況。スマイルはリデルがこの体の中にいることに気付くことなく、スマイルは確実にシャリエを殺すつもりで術を走らせている。
 これでは死ぬ。確実に死ぬ。一度死んだこの身には死という概念はない。四肢をもがれてもいい。頭を叩き潰されてもいい。内臓を引き出されたって構わない。脳を食われても問題はない。だがこれは無理だ。そもそも存在ができない。不死者はその存在がひとかけらでも世界に残っている限り再生を続ける。だがそのひとかけらでも残さないとばかりに消去されてしまったら――――
 存在そのものの消去は死とは呼ばない。
煉獄Purgatory
 最後のひとかけらが世界に向けて放たれた。
 術式が完成する。
 ああ、ほら――――やっぱり子どもではないか。
 子どもで。面倒くさがりで。本当ならばやらなければならないことを一時の激情に任せてすっぱりと消し去って。後で後悔するのは分かっていても止められなくて。
 ばかなこどもがここにいるのだ。そしてそれがスマイルなのだ。
「スマイル」
 世界がスマイルの願いを叶えるその一瞬の差に、リデルは口を開いた。シャリエではなく、この体の持ち主であるリデルが口を開いた。
 今この瞬間だけ、この場に立つのはシャリエ・オルブライトではなくリデル・オルブライトになる。
「…お前がリデル・オルブライトを愛したのは本当?」
 問いかける。スマイルは一瞬だけリデルに視線を向けると、リデルを視線から外した。
「…信じるかどうかは君次第だけど」
 たった一言。返された言葉はそれ以上続かなかったけれど。
 ――――続く言葉をリデルは知っている。
 リデルと初めて会ったときにスマイルにどのような心境の変化があったかは分からない。だがスマイルは頭ではリデルが獲物だと認識していながら、本能から認識することは出来なかったのだ。
 何れ食らうものだと理解していても――――それでも、スマイルがリデルを何の打算もなく愛したのは本当なのだろう。
 ああ、ならば。
 それが分かっただけでもリデルには十分だ。それだけでこの心は隅々まで満たされた。
 リデルは主導権をシャリエに明け渡す。シャリエはその主導権を無我夢中で受け取り、リデルがスマイルと会話をしていた一瞬の間で作り上げた術式を引き上げた力に叩きつけた。
世界Olympus!/沈黙Medusa!/眠りHypnos!」
 先ほどまでのはリデル・オルブライトとしての術式。これこそがシャリエ・オルブライトの術式だ。
 瞬間、スマイルの陣が淡く光を放つ。虚空から地獄の門が開かれようとしていた。いいや、それは地獄ではなく――――煉獄の門か。
 リデルに目がけて炎が降る。スマイルの隣を擦り抜けてリデルに向かう、青白い炎はその名の通り煉獄の炎。この身のひとかけらも残さず魂すらも浄化し尽くす、その名の通りの炎。
 それがリデルの目前で止まっていた。ギシギシと軋みを上げながら、それでも術は己の主を守ろうと必死になっている。
 これもいずれは破られる。それも分かり切った結果だ。ならば次なる盾が必要だ。
 もう一度地脈から力を引き上げる。ここならば地脈の枯渇など心配する必要はない。ここはこの一帯で最も力の強い地脈の上に立つ城。ここならば何一つ気にする必要などなく、どんどん引き上げることが出来る。
 眼前に浮かぶ光球。偶然リデルが作り出した光球とは比較にならないほど巨大なそれにシャリエは触れ、そしてスマイルと同じように陣を浮かび上がらせた。互いが互いの陣を見る。それは色さえ違えども――――照らし合わせたかのように同じ形をしていた。
 そしてシャリエは術式を紡ぐ。先ほどのそれと同系統でありながら、強さが格段に違う術式を。
世界Olympus!/眠りHypnos!/Thanatos!」
 すべてを眠らせ行動を遅らせ、そしてその間にすべての術式を停止させる術を。
 パキンと一際軽い音がした。
 そして世界を正視する。するとそこには術の気配など何もなかった。スマイルの生み出した暴風も煉獄の炎も、シャリエが生み出した盾の気配も、そして引き上げられた地脈の気配も――――何も、なかった。
「…あのさぁ」
 何もなくなったからか、スマイルは自ら口を開いた。シャリエは興味深そうにスマイルを見る。
「君、何で防御しかしてないの?」
 確かにそうだ。リデルもそれについては疑問を抱いていた。シャリエは優秀な術者だ。防御や補助専門ではなく、攻撃関連の術だって可能だろう。だが今回は彼女は攻撃関連のものを何一つとして使っていない。それは一体どういうことか。
「それは、とても簡単なこと」
 シャリエはスマイルにだけではなくリデルにも聞かせるように答えた。ならばリデルが聞かないわけにはいくまい。
 シャリエはリデルがそんな態度を取ったのを確認して続けた。
「貴方が傷つけば、この子が悲しむからよ」
「――――え?」
 シャリエが何を言おうとしたのかスマイルはその言葉だけで理解したのか。思い当たった事実に間の抜けた声が聞こえて。
 そしてそんな大きな隙を逃すシャリエでもなく。
私は黒い水となるI am the shadow.
 リデルがメルヘン王国にやってきてから一番最初に見た術をシャリエは構成し、その身を水と変えてリデルの影を渡る。そして出現した場所といえば――――
私は黒い刃を持つI have the shadow lance.
 影を渡りスマイルの背後へと出現し、シャリエは術式を構成する。その手に握られているのは影で構成されたナイフ。それはあの墓地で再会したときにスマイルが持っていたナイフに似ていた。
王手チェックメイト
 シャリエは黒塗りの刃をゆっくりとスマイルの首筋に持って行く。スマイルも逃げるということはしない。影渡りをされて時点でその影は影縫いをされる――――リデルが目覚めたときにスマイルがシャリエに使った手のように。
「…逃げないのね」
「逃げられないし」
 それは物理的な意味ではない精神的な意味だ。…いや、確かに物理的な意味も含まれているのだが、それはスマイルが自身の身を案じてのことではない。
 先ほどのシャリエの言葉を正確に把握したスマイルにとっては、ここで術などを使って抜け出すことは自殺行為にも等しい。それではスマイルの体だけではなくリデルの体も傷ついてしまうだろう。
 それをシャリエは計算していた。スマイルこの件について葛藤することも予想に含めてあの言葉を言ったのだ。
 そしてそれの効果は言わずもがな。折り紙付きと言っていいほどの覿面さ。ああ、本当に――――スマイルはリデル・オルブライトを愛していたのだ。
「…愚かね、貴方たちは」
 その愚かの中には勿論リデルも含まれている。
「そして、ならばこそ――――私がやらなければならないことも分かるでしょう? この子が平穏に暮らしていくために最も必要なこと」
「分かってるよ」
 スマイルは笑っていた。酷く満足そうに笑っていた。笑っている? 笑っている。それは何故。
 リデルが平穏に暮らすために必要なこと。必要なこと? それは本当に必要なことなのか?
 シャリエにリデルが食われたと思ったスマイルがシャリエを食らおうと殺し合いを始めたように、リデルが平穏に暮らすためにはスマイルを殺さなければならないのか。それが本当に必要なことなのか。
 リデルが、平穏に暮らすこと。それはスマイルの望みか。だがリデルの望みではない。リデルの望みはこれからもスマイルと共にいることだ。リデルはスマイルと生きることを既に決めている。
 確かにリデルの傍にスマイルがいれば、リデルはいつ食われてもおかしくないだろう。それがスマイルの血の誓約だ。彼は己の二重存在ダブルを食らわなければ生きていくことの出来ない存在だ。
 だがそれでもリデルはスマイルの傍にいたかった。どれだけ危険な目にあっても、食われそうになっても、実際に食われてしまっても。それでもスマイルの傍にいたいのだ。
 シャリエの刃が徐々にスマイルの首筋に食い込んでいく。ナイフに赤い血が伝って流れていく。それを見て、リデルの中で何かが切れた。
私は私の影を射すI stop my movement.
 初めて、強い意志を持ってリデル・・・が術式を解放した。そうすると世界は簡単に答えてくれる。こんな風に強い願いが術式には一番必要なものだったのか。リデルは今更ながらにそれを実感する。
 ピタリと石像のようにシャリエの動きが止まる。スマイルの首を刈ろうとするナイフの動きも止まり、リデルは思わず安堵の息を吐いた。
『…リデル』
 己の内側から、己の名を呼ぶ声がする。
「…ごめんなさい、シャリエ」
 小さく悔恨を込めて呟いた。だけど不思議と後悔はなかった。
 ――――この身に、スマイルを殺すことなど出来はしないのだ。
 そしてリデルがスマイル殺せなく、シャリエがスマイルを殺そうとするならば答えは一つしかなかった。
 リデルは瞼を下ろした。己の中に潜っていくのは、酷く容易いことだった。




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