Noble Wish
【 承 】 ‐虚実の真ん中で‐ 01. 昔からよく色々なものを食っていた。 植物だったり動物だったり人だったり妖怪だったり天使だったり精霊だったりもう本当に色んなもの。ありすぎてもう種類なんて覚えきれないくらい。食べた数なんて視認できる星よりも多いくらいに。 自分でも大した量と種類を食べているとは思う。だけどその中で一等面白い食べ物だったのは不死者だった。アレは面白かった。腕一本切り取っても簡単に生えてくるし、四肢を完璧に潰しても、殺すつもりで頭蓋骨を叩き潰しても絶対に死なない。眼球を潰しても鼓膜を破ってもいつの間にか再生しているし、八つ裂きにしてもまだ死なずに体が勝手に再生している。背骨を抜いてやったこともあるし内臓を引きずり出してやったこともあるし、その内臓を食ったこともあった。それでもいつの間にか再生していたのだ。やはり一回死んだというのが不死者 何だか見ていて面白くて何回も殺した。何回も食べた。丁度その不死者 元々生物を食べる度にこの身の力が強くなり、存在が強大になっていったこの体。だがその中でもその不死者 そうしていれば元は貧弱だったこの身はいつの間にか一族の誰よりも強大な存在になっており、今や神や領主を除いて考えれば今や殆どの者に打ち勝つことが出来るだろう。 だがそれでもまだ足りない。 強大な力を。強大な力を。領主にすら打ち勝つ強大な力を。 力が欲しい。 その為には、この二重存在 可愛らしい子兎。抵抗する術も知らず、何れはこの身に食われる存在。 ベッドの中で安らかなる夢を見ている己と同じ存在を食べることが出来るのだと考えればあまりの快楽に背筋が震える。 さてその血肉を啜るか、それとも魂を食らうか。どちらかを食らえば、もう片方は消滅してしまうという儚い存在である二重存在 ああ、彼女に安らかなる夢を。そしてこの身は力を手に入れる。 *** 閉じられたカーテンからうっすらと朝日が差し込んでくる。その光でリデルは目覚めた。そのまま上半身のみ体を起こし、瞼をこすりながら呟く。 「…朝」 朝にあまり良い印象はない。リデルにとって、朝は苦しみの始まりの一つでしかない。 それは朝だろうが昼だろうが夜だろうが、覚醒していようが眠っていようがまるで変わらないのだが、その中でも一等朝が苦手だった。 それは死という概念から逃れた今も変わらないらしい。汗のせいで体中にべっとりと張り付いたネグリジェが不快感をより一層煽ってくれる。 「そういえば、私は死んでいたわね」 今更ながらに呟いて、現在の状況を再確認する。 吸血王との邂逅を終え休息を求めたリデルに与えられた部屋は、リデルがこの城にやってきた当初に身支度を調える為に与えられた部屋だった。 調度がすべてリデルの生前の物であるこの部屋は、身支度を調えていたときから酷く安心できたのでこの部屋だったらいいという願望はあった。だが本当にこの部屋になるなんてリデルも思わなかったのだ。 今はそんな思考は後だ。張り付いたネグリジェが気持ち悪い。さっさとシャワーを浴びるが得策だろう。が、リデルがシャワーを浴びるために浴室に向かおうとしたその時、扉から数度軽いノックの音がした。 「――――はい」 「リデルー? 僕ー」 僕、なんて挨拶をする者はリデルの知人友人すべてを含めてあの男しかいない。 「入りなさい」 「うん、お邪魔しまーす」 リデルがそう言うや否や自動的に扉が開いて再び閉じた。中へ入ってきた者は何もないように見える、が。 「…さっさと実態を現しなさい、スマイル。私には見えていると言ったでしょう」 現にリデルにはスマイルがリデルの前にいるのがはっきり分かる。ついでに、スマイルがリデルに手を伸ばしているのも。 スマイルが渋々といった感じに姿を現して零した。 「なぁんでリデルには見えるかなぁ?」 「さあ、何故かしらね」 そんなことを言ってもリデルには分からないのだ。ただリデルには初めてであったときからスマイルがどこにいるかが感覚的に理解できた。知覚しているのではない、殆ど直感のようなソレで。 「だって何か特殊能力でもないのに僕の姿が見えたってリデルだけだよ? しかもリデルその頃人間だったし」 「私に言われても困るわ。それでどうしたの? スマイル。何か用があったからここまで来たのでしょう?」 リデルの言葉を聞いてようやく思い出したとばかりにスマイルは口を開いた。 「あー、うん。ソレなんだけどね、昨日ユーリと朝になったらまた話し合おうって言ったよね。それさ、ユーリに急な仕事が入ったみたいで無理になったみたい。で、代わりに僕が説明して来いってユーリが」 「成る程。領主というのは、忙しい仕事なのね」 領主、という仕事がどのようなものなのかは未だに見当が付かないが、リデルは昨日の吸血王の机の上の書類を思い出した。あれほどあるのだ、忙しくないわけがない。 「んー、確かに忙しいけど…ユーリ掛け持ちしてるしねぇ。自業自得だよねぇ」 「掛け持ち? 副業でもあるというの?」 リデルの問いにスマイルは躊躇いもなく頷いた。 「あるよー。ユーリが忙しいのに暇だって言い出して、今音楽バンドやってるんだ。バンドって分かる? リデル」 「…音楽、ということはオーケストラに似たようなものかしら」 良くも悪くも中世に生きたリデルの中では音楽に対してはその程度の知識しかなかった。 「かーなり違うけど…まいっか、いつか見せてあげるね」 「ええ、楽しみにしてるわ」 そのいつかが今の状態ではいつになるかは分からないが、いつか見ることが出来たのなら、とリデルは笑いながらそう思ったのだ。 「それにしてもさぁ、リデル」 「何かしら」 スマイルが己の体全体を舐めるように見てくる。スマイルのこのような眼差しは珍しいとリデルは訝しげにスマイルを見返した。それでもスマイルはリデルの体を舐めるように見て、そして何を思ったかリデルに近づいてきて耳元で囁いた。 「…そんな格好しないでよ、食べたくなる」 「…え?」 リデルが反応を見せるほんの少し後、スマイルはリデルの耳を柔らかく噛んだ。 「…スマイル」 そこでようやく己の姿に気付く。 リデルは生前から肩を出すタイプのネグリジェを愛用している。そしてそのネグリジェの下には何も着ない。着たとしてもショーツのみだ。殆ど下着と変わらない状態であろう。それが今、汗で張り付いて体のラインをぴっちりと浮かび上がらせ、形の良いバストや引き締まったウエスト、果ては白いショーツまで汗で濡らして隠そうとしている奥まで見えようとしていた。 スマイルの唇が徐々に耳から首筋へと下りてくる。片方の手は胸元から直接胸に進入しようとしているし、もう片方の手はネグリジェの裾を持ち上げて所々斑点がある太ももを軽く撫で上げた。 頬が羞恥で赤く染まり、確かな快楽が駆け巡る。ぞくりと背筋が震えた。それと同時に背筋から何かが抜け出ていく感覚がして、それが快楽を倍増させる。 唇から舌が出され、首筋を軟体生物のように縦横無尽に這う。その舌が、そしてスマイルの頭が胸に到達したところでリデルはようやく口を開いた。 「ッ…やめなさい、スマイル」 あくまでも平常を装ってはいるが、その声には明らかに今はまだ薄いが甘い――――確かな快楽が混ざっていた。 その声にスマイルの頭が上がる。顔にはうっすらと笑みが浮かべられていた。 「ねぇ、リデル」 顔は上げたが、それ以外の行為は止めようとしない。未だ太ももを撫で続ける手は止まることなく、胸に進入してきた手も表面を柔らかく撫で続けている。 「…何」 快楽に流されまいと目に力を入れる。そうでなければ、明らかなる快楽を見抜かれて続きをやられてしまう。リデルとしてはそれは避けたいところだった――――その理由が思いつかないとしても。 そんなリデルの視線をスマイルがどう受け止めたかは知らないが、スマイルはリデルをじっと見続けてリデルの耳元に顔を近づけた。 その時、 「ひぁ…!」 柔らかく胸を撫で続けていた手が快楽によって勃ち上がっていた胸の突起に触れたのだ。不意打ちのせいかあまりにも鋭敏に感じてしまった甘い痺れに上擦った声を上げる。 スマイルはと言うと、リデルの痴態を見せられて酷くご満悦とばかりに笑っていた。耳元に顔があるせいで、リデルにその顔は見ることは出来なかったが気配で分かる。 スマイルは上機嫌のまま問いかけてくる。 「僕の物に、ならない?」 それは甘美な誘惑。甘く蕩けかけている頭に思考能力は本来なら残されていない。 だがその言葉に、まるで冷水を掛けられたかのように今までの快楽がすっと消えた。 リデルは答えを返す。今までと同じ答えを。 「ならないわ。私は私の物よ、お前にはやらない」 それは何回も何十回も繰り返された言葉だ。何故ここまでスマイルを拒否するのかは分からなかったが、それでも拒否しなければならないとどこかが告げている。 「…そ、残念」 スマイルは心底残念そうな声を上げた。だがどこか安堵していると感じるのはリデルの気のせいだろうか。 リデルはスマイルがそう言った隙にスマイルの体を押し返し、スマイルの手の届かない場所まで飛び退く。スマイルに手を出されては困るのだ、この体は。 スマイルは自分の手の内から逃げ出してしまったリデルを不思議そうに見ている。 「続き、しないの?」 「お前は私の言葉を聞いていたのかしら? やめなさいと言ったでしょう、私は」 「僕にはもっとしてって聞こえたけど」 「その耳は飾り? いえ、そもそも脳がおかしいのね、一度死んで魂から変革してきなさいスマイル」 そのリデルの何気ない悪口雑言に、スマイルはリデルに近づこうとする足を止めて伏し目がちに微かに声を漏らした。 「…それが出来ればどんなに良かったんだろーね」 「――――え?」 呟かれた言葉は今は離れてしまったリデルの耳には届かず、スマイルは何でもないと首を振った。 「だってさぁ、リデルがあんなに可愛い声を出すからセーブが効かなくて」 「人のせいにするのは止めなさい」 「誘われて煽られたのならやらなきゃ男じゃないなって」 「誘ってもいないし煽ってもいないわ。正気に返りなさい、スマイル」 リデルがそう怒鳴ると、スマイルは頬に張り付いた笑みの種類を変えた。 「リデルのこと食べるつもりはないけど…不意打ちで甘く香ってきたら食べたくなっちゃうから、これからは僕の前でそーゆーことは控えてね」 変わった声色と雰囲気にリデルは訝しげにスマイルを見るも理解は出来なかった。 「…今更、それをお前が言うの?」 生前から何故かしらリデルの世話を続け、リデルの体など見飽きている筈のスマイルが。 「今更、だけどね」 呟くように囁くように、苦笑を口元に浮かべながらスマイルは笑った。 *** 「それで、どこまで話したっけ?」 リデルがシャワーを浴びてネグリジェから適当なドレスに着替えてからスマイルはようやく話を始めた。 「…どこまで?」 「僕ねぇ昨日話した場所忘れちゃったんだよねぇ。まージャンジャン聞いてよ答えるからさ」 この場に他の人間がいたのならば、その言葉に嘘くささを感じたのはきっとリデルだけではないだろう。 「…基本的には二重存在 「まあリデル混乱してたしねぇ。いきなり変なところに連れてかれていきなり認証をするぞーって言われていきなり二重存在 「その前の目覚めたばかりに頃は変な女に誘われたことだし」 リデルの昨日一日は多忙を極めすぎていた。これでは疲労もピークに達し混乱するのも致し方ないだろう。 そこでふと思い出す。二重存在 「スマイル、私の認証はどうだったの?」 「リデルの認証? 出来てるよ。問題だったのは成り立てのリデルに二重存在 「…そう、なの?」 では何故その場で吸血王は伝えてくれなかったのだろうか。 「うん、あーこれただの伝え忘れみたいだよォ? 心配させたならすまないってユーリからの伝言」 「…そう、分かったわ」 リデルは一応納得をした。スマイルの言葉ならば半信半疑で捉えなければならないが、吸血王の言葉なら全幅の信頼を寄せるだろう。彼はスマイルとは違って誠実だ。 「そういえば…あの女は何者か、お前は把握しているの?」 勿論、あの女というのは目覚めたリデルが最初に見た不死者 「んー僕はどっかの組織の人間で、その組織が世界に復讐しようって考えてるぐらいしか。多分ユーリもそうじゃないかな。僕はユーリの命令で満月の夜に色んな墓地を飛んで組織の輩を見つけたら即拿捕だし」 「…そう、吸血王もあまりよくは知らないのね」 「リデルが知りたいようなことは殆ど。あの女だって昨日初めて会ったしねぇ」 ではあの女については一端保留しておこう。次の質問を考えねばならないとリデルが思ったところでスマイルが口を開いた。 「あーそうだ、ユーリからもう一個伝言。吸血王って呼ぶの禁止だってー。ユーリって呼んでくれって言ってたけど」 「…ユーリ? 吸血王がそう呼べと?」 「そ、その吸血王が。尊称で呼ばれるのあんまり好きじゃないみたいだからねぇ、ユーリ」 「そう…なの?」 「そうなの。だからリデルも遠慮なく名前で呼んでやってよ」 珍しいタイプの人間だ。リデルはそう思う。だが領主というものは生まれながらに高貴であり王であることを定められた者たちだ。名などそう呼ばれたことがないからこそ、名を呼んでくれと求めるのではないのだろうか。 だがリデルにとってそれは酷く難しいことだった。 「…でも、下々の者が王の名を軽々しく口にしていいものではないわ」 リデルは貴族として生きてきた身だ。王の命令は絶対服従であるが王に対する礼儀もわきまえている。王の命令に絶対服従と言いたいが、礼儀も重んじるリデルにとっては二律背反の状況だ。 「別にユーリがいいって言ってるんだからいいんだって。リデルも次に会ったときくらいにでもユーリって呼んでよ」 「…善処するわ」 リデルにとっては厳しいことだが王の命令なのだから仕方がない。リデルは苦々しげな表情でぽつりと漏らした。 *** 燦々と朝日が差し込む中、陰鬱になる話ばかりを繰り返した後に、リデルは自分が朝食を取っていないことに気付いた。 「スマイル、お前朝食は取った?」 「ごはん? 食べてないけど、何で?」 スマイルはリデルの発言に首を傾げている。何でではないだろう。 「朝食を取るのは生物の摂理だと思うのだけれど、それは間違っているのかしら」 どんな生き物であれ生命活動を維持するために食事をするのは真理だ。だからこそリデルはそう言っているのだが、スマイルはまたもや首を傾げるのだ。 「って言っても、リデルもう死んでるし」 「それは人間としてでしょう。不死者 妖怪であろうが何であろうが生物であることには変わりない。ならば食事を取るべきだ。だがスマイルの返事は渋い。 「んー…でもリデルは食べない方がいいと思うんだけどなぁ」 「それは何故?」 今のところ体には何の不調も出ていないが、一体どういうことだろうか。 「リデルはまだ成り立てだから人間の部分が残ってるんだ、だからこっちの物を口に含んだら体がどんな拒絶反応示すか分かんないし」 「…へぇ、興味深いわね」 そんなことになっているとは驚きだ。一度自分の中身がどう変わっているのか見てみたいほどだ。 スマイルはそんなリデルの不穏な気配を悟ったのか抑えてとばかりに口を開く。 「リデル、止めてね」 「私はやらないわ。吸血王に教えてもらう程度でしょう。…そういえば吸血王は? 食事をお取りになられたの?」 「んー、多分食べてないよ。まーユーリにとってはご飯なんて無意味だし。僕にとってもだけどね」 「…吸血王は分かるけれど、お前が? 初耳ね」 吸血王…ユーリは分かる。彼は吸血鬼であり、吸血――――血こそが最も効率的な栄養摂取の方法であり食事方法なのだろう。だがスマイルはリデルの生前、リデルと共に食事を取ることも多々あった。それでも食事が必要ないと言えるのだろうか。 「それはリデルが一緒にいたから。ご飯は好きだし食べれるけど、生きていく上で必要かそうでないかで分けるなら必要ないに分類されるんだよねぇ。元々上位種は下位種と違って食事とか必要ないし」 「知らなかったわ」 初めて聞く事実にリデルはまじまじとスマイルを見る。スマイルはリデルを見下ろしてため息を吐いた。 「当たり前でしょ。そんなこと言ったらリデルは僕に食事を取る必要はないって言ってついでに自分もご飯食べないつもりだって言うのが目に見えてたから」 「…」 鋭い。 リデルは押し黙った。それが全くの真実だったからだ。 「僕はリデルが干からびて死ぬのなんて絶対に嫌だったからねぇ。知ってたでしょ、リデル」 「ええ…だからお前はよく食事を作っていたわね、私の分を」 「リデルだってまだ健康だったときは僕の分も一緒に作ってくれたよね」 ふと軽い懐古と郷愁の念が思い出された。スマイルと一緒にいた日々。過去の話。何故か今も続いている、未来へと続く話。 「スマイル、料理を作ってもいいかしら」 「リデルが食べなければいーよ」 その言葉にリデルは肯定の代わりに笑った。久々に、本当に久々に、自分から何かをしようと思った。 *** コンコンと二、三度軽いノックの音がした。 ユーリは延々と連なっている文字の羅列から顔を上げ、ちらりと視線を扉の方に向ける。そうすれば扉は主の意志を感じ取ったのか自動的に開いた。 そこに立っていたのは両手で何かが乗っているトレイを持ったスマイルだった。スマイルは扉が開ききると同時に中に滑り込み、ユーリの元に近づいてくる。 「やっほーユーリ。仕事はかどってるー?」 「…スマイルか。嫌味か、それは」 「んー、別に。全然?」 全然と言いながらも、あからさまに感じ取れる嫌味にユーリはため息を吐いた。口ではどうこう言っていながら、その感情を隠そうともしないのだ、この男は。 「それで、何の用だ。見ての通り私は仕事がまだ処理し切れていないのだが? お前のせいでな」 「あーそれはごめんねー。許さなくていいから頑張ってよ」 怒りを滲ませるユーリをスマイルは軽く受け流す。ユーリもそれを知っているからこそ口喧嘩はそこで終わる。 「仕事は増える一方だ。日々増え続けていく問題のせいで領主 「…分かってるよ、そんな簡単にできたらどれだけいいことか……」 「お前が何に対してその言葉を吐くのかは分かっている。だからこそ私は領主としてお前に言おう。『あの件』についてさっさと終わらせろ。組織は発見したと同時に壊滅させろ。この二つについての優先順位は同率だ」 「りょーかい…」 そこでユーリはようやくスマイルが手に持っている物に気付いた。 「スマイル、それは何だ?」 「料理。リデルが作ったからさ、ユーリにもお裾分けだって」 はい、とトレイを机に無造作に置くスマイル。いくつか書類を下敷きにしたが別に構いはしないだろう。そう重要な物でもあるまい。 ユーリは外見だけなら天下一品の品々を見てぽつりと漏らす。 「…食えるのか?」 今まで見た目だけなら美しい物を何度も見てきているユーリは今度もそうではないかと恐れていた。 「リデルの料理の腕はアッス君並だけど」 「…成る程。後で頂こう」 スマイルの返事に安心したように笑うユーリ。スマイルはそんなユーリを横目で見ながらトレイの上にあった、まだ湯気が立つ紅茶をカップに注いでユーリに渡した。 「そういえば、リデル・オルブライトは?」 「今は城中の掃除中。あんまりの汚さに俄然やる気が出たみたいだねぇ」 あの時のリデルの様子ったらなかったよとスマイルはけたけたと笑った。 「まぁ、今はアッシュが帰省中だから仕方がないだろう。あれが一人で家事をこなしていたからな」 「僕もそう言ったら『それは怠惰よ』って一蹴されたけど」 「…素晴らしいな」 「でしょ?」 ユーリは紅茶を口に含む。これはローズティーだろうか。確かこの城で自生してある薔薇でアッシュが紅茶を作っていたのを思い出した。作った人間でもないというのに高い香りと口当たりの良さを感じて、これを入れた人物の紅茶の技量を思い知った。 「良い娘だな」 「リデルだからね」 「…だが、だからこそ心苦しい、か」 ユーリがそう呟けば、スマイルは曖昧そうに笑った。 |