Noble Wish
【 承 】 ‐虚実の真ん中で‐ 02. 「リデルー、掃除終わったー?」 長い石造りの階段の上からスマイルの声が反響してリデルの耳まで届いた。その声の後からいくつも反響する靴音が聞こえる。どうやらリデルの元まで下りてきているようだ。 「ええ、大抵のところは。後はこの扉の向こう側だけよ」 長い長い石造りの階段を下りきった先にある、石造りの扉の先。どうやら鍵がかかっているらしく、リデルはそこには入れなかった。そこに何があるのか知らないが、別に恐れるようなものではないのだろうと思っている。 ここは酷く落ち着き、同時に何故かこの身はこの場所を酷く恐れていた。何があるのかは分からないが、ここには何かがあるのだということを理解していた。 靴音が止んでいたと思ったら、スマイルはいつの間にか階段の一番下まで下りきっていた。そして扉の前に立つリデルを見て悪戯めいた顔になる。 「あ、リデルそこにいたんだ。じゃあちょーどいいや。今からその中はいるよ」 「え?」 「じゃ、リデル下がって」 スマイルはこちらに近づいてきて扉の目の前にいたリデルを下がらせ、リデルのいた位置にスマイルが立つ。 「スマイル、何を…」 するつもり、とリデルが最後まで言葉を紡ぐ前にスマイルを中心としてその周囲の中空に青白い陣が出現する。円形に複雑な、無機的でありながら有機的、幾何学的でありながら非幾何学的であるという同一でありながら相反する、それでいて同一な奇妙な円を描いている陣。 ぞくりと肌が泡だった。ずきずきと頭が痛む。あれは何だ。スマイルから強大な力を感じる。昨日の女の時と、そして認証の時の同じほど強大な力。あれは何だ。何のためにある。昨日の認証の時には存在しなかった。 スマイルはリデルが訝しげにそれを見ているのに気付いたのか、振り返って苦笑を浮かべた。 「ここの鍵はさぁ、ちょっと面倒でねェ。いるんだよ、これ。脳内で組み立てる術式だけじゃ足りないから」 これ、というのはこの陣のことか。言葉だけで発する術だけでは足りないから、これが、この魔法陣が必要ということか。 スマイルはそれだけを言うともう一度扉に向かい合う。呼吸の音すら聞こえてきそうな静寂の中、スマイルがその言葉を紡いだ。 「鍵:解錠 言葉が音となって世界に流れた頃、スマイルの周りを囲っている陣から圧倒的なほどの力が流出された。 力は扉を浸食していき、扉を覆っていた力をすべて霧散させた。それを見届けて、スマイルは振り返ってリデルに手袋をつけた手を差し伸べてくる。 「…スマイル」 「じゃあ行こっか、リデル」 それはあまりにも無邪気な表情だったので、問うべきことも問おうとせずにリデルはスマイルの手を取って扉の中へと入った。 扉の中はやはり先ほどの階段や扉と同じように石造りの広間だった。広大な空間を、一定間隔に置かれている巨大な石造りの柱が支えている。 酷く、落ち着く。だけどそれ故に、酷く怖い。それがリデルがこの部屋に入って第一に感じたことだった。 「この部屋がなんだというの、スマイル」 リデルは己の手を引っ張ってこの部屋に入っていたスマイルに対して問いかける。スマイルは特に感慨もなさげに辺りを見回して、それからリデルを覗き込んだ。 「ねぇリデル、この部屋どう思う?」 「どう…って?」 「別に? 怖いとか、落ち着くとか、嫌いだとか。そんな感じのこと。で、どう思った?」 それは先ほど感じた通りだ。酷く落ち着く気分になり、同時に酷く恐ろしく思う。だが、 「…別に」 リデルは己を偽る。それがどのような理由かなど知らずに。 「ふぅん。まあいいや。で、リデル。この部屋が何の部屋か分かる?」 「…私には分からないわ。一体何の部屋?」 ただただ広い柱だけがある広間。地下にあるこの部屋には窓もなければ光もない。今ここにある光源は、いつの間にかスマイルが出していた光球一つであった。 「ここは何の部屋でもないよ。でもこの城のどんな部屋より重要で、特殊だ」 「…それは、吸血王の執務室よりも?」 「ユーリの執務室なんて比べものにならないくらいだよ」 何の部屋でもない、だけど重要な部屋。それは一体使い道があるのか、リデルにはさっぱり分からない。だがあそこまでの鍵を掛けられている部屋だ。何かあるはず。 答えを模索していれば、スマイルが先に答えを出した。 「この城の地下にはね、ちょうど地脈が流れてるんだ」 「地脈?」 また新たなる単語だ。リデルは首を傾げた。 「地脈っていうのは、その一帯の力の源が流れてる川みたいな物かな。魔力っていうのはまず原初の力があって、それを加工して術として世界に干渉する仕組みになっているんだから。その原初の力が流れているのがこの地脈。 地脈は色んなところに流れてて、その一帯の領主はその一帯の一番大きなその地脈の上に城を建てなきゃいけないことになってる。地脈を悪用されたらマズいしね」 「それで、その地脈がどうかしたの?」 今の話を聞いていても、別にリデルには何ら関係のないことに思えるのだが。違うのだろうか。 スマイルはリデルを見下ろして、まるで出来の悪い生徒を見るかのような眼差しで言った。 「地脈っていうのは魔力の前の姿の力が集まった場所だって言うのは分かったよね」 「ええ、それは分かっているわ」 「だから、ここでリデルに戦う術を教えようかなって。昨日ユーリとそういう話したでしょ?」 確かにした。したのだが、何故ここでなのだ? 「ここはこの城で最も重要な場所なのでしょう? そこで戦闘訓練をしても…」 「いーの、確かに他の連中とならやらないけど、リデルはここが一番適してるんだから」 「…どういうこと?」 訝しげにリデルが見れば、スマイルは口元だけを歪めて笑んだ。 「それはリデルの種族が関係してるよ。リデルは自分が不死者 「ええ、勿論」 昨日さんざん言われたことだ。忘れるわけにはいかない。 「不死者 「…何故体術では駄目なのかしら」 「別に体術でもいいけど。不死者 スマイルの説明を聞きながら適当な相槌を打つ。その裏で、リデルは一つの記憶を思い出していた。 昨夜スマイルと戦ったあの女。あの女が最後に放とうとしていた一撃。あれに当たれば確実に死ぬであろうと本能が警告を出した、あの光。 「もしかして、あれが…?」 「…リデルが何を思い返しているのかは分からないけど、多分ソレが正解。あれが不死者 それは一度死んだというレイズの特性故か。 「ま、僕も死ぬまではしないけど大怪我しそうだねぇ」 飄々としているスマイルに、リデルは多少心配そうに声を掛けた。 「…お前、大怪我を負うのなら止めたらどうなの? それの使い方も学ぶのでしょう?」 「いーよ、だってリデルのためだから」 そう言ってスマイルは笑うのだ。リデルは何故か苛々している。 「言ったでしょう。私のお前の価値は決して等価値ではないと」 昨夜再会したときの言葉を繰り返す。語調は何故だか怒りに満ちている。 「そりゃそうだよ。僕らの命の価値は決して等価値なんかじゃない。互いが互いを優位だと思い合ってる輩が等価値なわけないじゃない」 そしてまた、スマイルも何故か苛立っていた。表情は強ばり、多少ながらも気配に怒りが混じっている。 「…何を苛立っているの?」 「多分、リデルと一緒の理由」 それは、リデルはスマイルが傷つくのを厭っているように。スマイルもリデルが傷つくのを厭っているということか。 いや、どちらかというよりも―――― 「何故怒るのかしらね、お前が」 「リデルが死ぬのは御免だからだよ。あの時のように策も持たずに敵の懐に飛び込むような自殺行為はもう二度とやって欲しくないしね」 「…あれは自殺行為かしら」 「僕からしてみればよっぽど」 リデルからしてみれば勝算はあったのだが、あの程度の勝算ではスマイルの持つ合格ラインには届かないということか。 「私が死ぬのは嫌なの?」 「何回言わせれば済む気?」 成る程。リデルはスマイルを見上げて頷いた。 「分かったわ、受けましょう。お前が私を死なせたくないというのならば、私はその為に術の扱い方を学びましょう」 もう一度力強く頷いてやれば、スマイルが安心したように笑った。 *** スマイルからの説明を要点ずつ纏めていけば、術の構成とはたった一つの法則から成り立っているらしい。 難しいことも何一つ要らない。ただ本人の『世界に対して何をして欲しいのか』という強い意志があれば、後は世界が勝手にやってくれる…らしい。 ただしそれも限度があり、世界に対する欲求が大きければ大きいほど失敗する可能性は高くなり、位に応じて高度な物になるにつれて先ほどのスマイルのように陣が必要になってくる。 では何故スマイルやユーリのような呪文が必要なのか。その答えは「面倒だから」らしい。リデルもこれを聞いたときには目を細めたが、それもまた事実であることは確かなようだ。脳内に強いイメージを持って術を行使する。それはいいがそれだと間に合わないときもある。その為に簡易的に呪文を作り出して、そこに己のイメージと世界の手順を書き写しておく。それを呟くことで世界に干渉させるのだと。 とはいえ、それも眉唾物だ。スマイルが嘘を吐いている可能性だって捨てきれない。 それに簡単だとスマイルは言うが、リデルにはそれが簡単だとは思えない。世界に対する強い意志、なんてまずリデルは持っていないことに加え、スマイルが説明したのは実践のやり方のみだ。まず理論を説明して貰わないと話にはならない。 「じゃ、聞くよりもやってみた方が早いからやってみよーか」 いつものどことなく間延びした口調でスマイルはとんでもないことを言い出した。 「…スマイル、正気?」 「正気も正気。いつだって大マジだよー? 僕」 そうは見えないから困るのだが。リデルは心の底からそう思った。 「じゃあまず…何からすればいいかなぁ。初心者用って何かあったっけ」 悩んでいるスマイルにリデルは思わず問いかける。 「お前は昔は何をやっていたの?」 「んー、僕は生まれながらの妖怪だからねぇ。術の構成なんて息をするくらいに自然すぎて覚えてないよ」 その言葉でほんの少し、リデルは凍った。 「…生まれながらの妖怪は殆どがそうなの?」 「まあ大抵は。しかも術って言うのは自然の力を借りてやってるからねぇ。子どもの頃は他愛のない欲求が多いから、それが殆ど訓練代わりになってたんだよ。例えば空を飛びたいって思ったら風の力を利用して飛んでたし。どっちかってゆーと自然の方が勝手に力を貸してくれてたようなもんだからねぇ」 「…自然が勝手に……?」 そこに、何とはなしに引っかかりを感じた。 「そう、少なくともメルヘン王国にいる間は確実に。メルヘン王国の住人であるという認証を行われた子どもは、自然の方から勝手に寄ってくるよ。何か色々と誓約があるみたいだしねぇ」 スマイルは興味なさげに呟いた。 「…だからあんなに躍起になって私に認証を受けさせようとしたの?」 この身を狙う輩から身を守る術を与えるために。 だがスマイルは首を振ったのだ。 「違うよ。それは違う。リデルはこの世界の摂理って物を理解してないからそんなことを言えるんだろうけど、認証っていうのは物凄く大事なことなんだよ」 「例えば?」 「…例えば、魔として生まれたというのに認証を受けなかった場合。その者は魂から分解され、死すらも感じぬ内に消去される」 それはもしかすると、体が内側から砂と化してしまうようなあの感覚のことだろうか。そうだとすると―――― 「…意外と危なかったのね、私は」 感慨深げにリデルは呟いた。何故だか分からないが、心底感動している。 「そんなことで感動しないでよ…相変わらずだねェ、リデル」 何が相変わらずだというのか。感動するときは己の生死に関わるときだということがだろうか。確かにそれだったならば真実だ。 昔から関心があることはそれしかなかった。それ以外はどうでもよかったのかもしれない。病に罹ってから、それは拍車を掛けた。 知識を集めることは好きだ。食事を作ることや掃除をすること、家事の全般も好きだと言える。美しい物を見るのだって好きだ。だが何故だか興味関心を引くのは己の生死のみなのだ。 「…ま、僕はリデルが今もこれからも何があっても生きてくれるならそれでいいけど。 じゃ、始めようかリデル。リデルは今何が欲しい?」 「私の欲しい物…?」 「そう、リデルは何をしたい?」 「私のしたいこと…」 何かあっただろうか。 欲しい物。したいこと。それはリデルにはとんと縁のなかった物だ。今更そんなことを言われてしまっても、戸惑うだけになってしまう。 いつまで経っても答えを見出さないリデルにスマイルは呆れたように呟いた。 「相変わらず欲がないねぇ、リデル」 「…思いつかないのよ」 あの屋敷ですべてを諦め、ただこの身に死が訪れるのを静かに待っていた日々。それを受け入れていたリデルにとっては既に欲など殆ど残っていない。 けれど何が欲しいと言われれば、たった一つだけ―――― 「書を読みたいわ」 昔からこれだけは変わることはなかった。知識を集めるのが好きで、あの屋敷で様々な本を読んだ物だ。 スマイルはリデルの返事を反芻し、多少考え込むように言った。 「本が読みたい? んー、じゃあ風属性でいいかな…。この城色々あるし」 「何のことかしら」 恐らくは術の構成のことを言っているのだろうが、素人であるリデルにはさっぱりだ。 「無から有は作り出せないってこと。いくら本を読みたいって言っても、本を自分で作り出すわけにはいかない。だから元々ある本をそこらから持ってくるっていう構造かな、これは」 「…構造」 「うん、こんな風に考えるのが術式の構造。こういう風に考えて、ちょっとどっかから力を吸い上げて息を吹き込んでやればすぐに術として世界に干渉できるようになる」 息を吹き込んでやれば、とスマイルは言った。だがリデルはその方法も知らないのだ。 「…スマイル、私は力の引き上げ方も知らないのだけど?」 「だいじょーぶ。リデルなら簡単にできるようになる」 その無意味な信頼は一体何なのか。こちらとしては素人なのだから信頼されても困る。 「ま、その為にここに連れてきたんだけどね。言ったでしょ、ここはリデルにとって一番適してる。地脈のすぐ上で不死者 「…どういうこと、かしら」 スマイルだけ納得されてもこちらとしては困るのだが。何が何だか理解できない。 「だから、すぐ分かるって。じゃあリデル、始めるよ。まずは瞼を下ろして自分の中を空っぽにして」 「空っぽにする…」 スマイルの言うとおりに瞼を下ろした。精神集中をさせやすくするためのものだろう。 精神を透明にさせる。自分の純度を上げる。 …どこからか耳鳴りがする。それはとても五月蠅くて、だけどいつまでも聞いていたい音色だった。 幸いなことに精神を透明にさせるのは慣れている。昔あの屋敷で生活したことがこれほどまでに役に立つとは自分でも思っていなかった。 死を思い、生を思う。これだけで、自分の中はとても空っぽになる。 「それから、周囲の気配を感じ取って。視覚を放棄し、聴覚を放棄し、ただ感覚だけに頼って。僕を初めて捕まえたときのように」 スマイルの声。 耳鳴りと、どこか風の声。 何だかよく分からないが言うとおりにするのが一番良いと思って初めから放棄していた視覚に加え聴覚も放棄した。 それでも耳鳴りは止まない。聴覚を放棄している筈だというのに、放棄し切れていないのだろうかと考えたがこれは違う。恐らくこれは聴覚で感じ取っている物ではなく、脳が直接感じ取っている物だ。 『感じ取って』 スマイルがそう言うのが聞こえた気がした。 スマイルの言葉の通り、リデルは周囲の気配を感じ取る。自分。自分は感じ取れない。今は空っぽなただの器だからだ。精神という物を失っている。目の前にはスマイルの気配。スマイルは空っぽにしていないのか、その気配がよく分かった。 この場にいるのはこの二人のみだ。生物として存在しているのは、己とスマイルのみ。いや、生物として存在しているのはスマイルのみと言った方が正しいだろう。今のリデルは生物として存在はしていないのだから。 そして今度は生物ではなく空間を見る。目を閉じたまま、視覚と聴覚を放棄し感覚だけで物を見る。 …なにか……いる。 何かがいる、とリデルは感じ取った。 いる、というのも少しおかしな表現かもしれない。それは生物として生きてはいない。そもそも生物ではない。生物ではないが、そこに何かがいるということだけは感じ取れた。 だがそこまでだ。今のリデルでは『何かがいる』ということは感じ取れても、それが何か、ということまでは感じ取れない。 ならば、もっと感覚を鋭敏にすればいい。 それが一体何なのか、そうして見極めればいいのだ。 ざらりと何かが頬を撫でた。石造りの床の、石と石の間から湧き出てくる何か。それを確かめようと、リデルは五感のすべてを放棄して―――― 何かを掴んだ/掴まれた/様な気がした。 ガチリと脳のどこかで何かのピースが填め込まれたような感覚がして、リデルはようやく瞼を上げて五感を取り戻した。 何か、重要な部品が脳に填め込まれたような感覚と、同時に何かが形になったような感覚。一体あれは何だったのだろうか。それにスマイルにはまだ目を開けてもいいとは言われなかった。それなのに目を開けても大丈夫だっただろうかとリデルはスマイルを視界に入れた。 「…スマイル?」 譫言のようにリデルは呟いた。スマイルがリデルを――――正確にはリデルの目の前にある物を見詰めて驚愕の表情を浮かべている。 一体どうしたことか、これは。スマイルは元々大きく表情を変えたりはしない。特に驚愕などリデルは今まで見たこともない。 スマイルはリデルが呼びかけたにもかかわらず、リデルの目前にある何かを凝視し続けたままだ。そしてシャリエと顔を歪め、その顔を隠すかのように右手で顔を覆った。 「…やっぱ、リデルって不死者 「何の話?」 「本当に分かってないの? それ。それとも見る気がない?」 スマイルが、リデルの目前で中空に浮かんでいるそれを顔を覆っている片手とは逆の手で指さした。 ――――それは光で構成された球体だった。 見かけだけならばスマイルが作り出した光球に似ているだろう。だが似ているのは見かけだけで、その質はまるで違っていた。 スマイルの作り出した光球は、この暗闇しかない空間に灯りをもたらすためのそれでありそれ以外の機能はない。だがリデルの作り出した光球は、ただ灯りをもたらすための物ではない。それは明らかに光球として活用するには分不相応な程の膨大なる質量を持っていた。 「これ…は……」 まるでそれは、あの女が使っていたあの膨大なる質量を持った光のようだった。 「それでせーかい。これ、あの女が使っていたのと同じだよ。規模は大分違うけど」 質や構成方法だけで言うなら全く同じだとスマイルは笑いながら言う。何が楽しいのかリデルには分からないが、とても楽しそうに嬉しそうに笑いながら言う。 リデルは不審そうにスマイルを見た。何が楽しいのか、何が悲しいのか、リデルにはスマイルのことが何一つ読めない。先ほどのあの悲しげな顔はいったい何だったのか。 「…何故私がそれを扱えるの? 答えなさい、スマイル」 「それが不死者 リデルの質問が終わるとまるで間髪を入れずにスマイルは答えた。 「不死者 「だからそれで合ってるんだってば。そんな小さい光の玉でも、誰かに当たれば確実に死ぬよ。――――僕とかユーリは死なないけど」 それは恐らく自分たちが上位種だからだと言うことだろう。 「でも、怪我は負うのでしょう?」 「そりゃ勿論。それで傷つかないのは創造主くらいしかいないよ」 それがたった一つの答えだ。 それはリデルがスマイルを傷つけることが出来るということ。 「…それで、これは一体何なの? 私は何かを掴んだとしか感覚的にはないのだけれど」 「地脈」 「え?」 「だから地脈。原初の力の固まり。普通はその地脈の力を加工して術を行うんだけど、不死者 「…基本的には攻撃用。時としては巨大な力の貯蔵庫、と言ったところかしら」 「せいかーい」 相変わらずの皮肉気な口調にリデルは頭を抱えそうになる。 「…それで、何故それが不死者 「正確な理由は知らないけど、推論なら出来るよ。不死者 「成る程…だからこそ、不死者 「そ、まあこれでリデルが地脈を引き上げる能力があるっていうことは分かったし、あとはこれを加工して術式を編むだけ。行くよリデル、これが本当の本番」 「え、ええ」 スマイルの言葉に真剣みが帯びていく。リデルもそれに応じて真剣みが増していく。 「その球に触れて」 スマイルの言うとおり、リデルはそっとその光球に触れる。触れただけで膨大な質量と熱量が光球の中で暴れているのが分かる。 「リデルはさっき書を読みたいって言ったよね。じゃあそれをイメージして。自分の手元に書がやってくる感覚を思い描いて」 それはリデルの得意分野だ。あの部屋では適当に何かを思い描くことしかできなかったのだから。 「書を、この手元に」 「そう、本をリデルの元に」 書が、この手元にあるという錯覚を起こさせる。 「復唱して。鍵 「鍵 光球が、光が、熱が、この手の中で暴れている。暴れて暴れて収束して、それでも術を形作ろうと頑張っている。 スマイルが最後の言葉を言う。リデルもそれを反芻した。 「「収集 そして、光が弾けた。 目の前が真っ白に染まる。光が光球からあふれ出る。これが、これが――――地脈の力? それとも術の効果? 一体どちら? 数秒経って、ようやく光は収まった。変化したところは何もない。石造りの柱も石畳も見事なまでにその形状を保っている。 そして己の手には――――何もない。書が欲しいと確かに思い、そしてそういう風に力は収束していったはずにも関わらず何もない。 「…失敗?」 「みたいだねぇ」 背後からスマイルの声がした。そういえばリデルの前にいた筈のスマイルがいない。何故後ろにいるのだろうと振り返って――――その動きを止めた。 「す、スマイ、ル…?」 声が震える。知らず勝手に震えて、今では指先すらも震えている。 「どうして…」 「んー? 別にリデルのせいじゃないよ」 飄々としたスマイルの声。 では何故、この男は血まみれで立っているのだ――――? 「じゃあ誰のせいだっていうの…!」 「…それは、まあこの場にいない誰かのせい、だけどね」 それが誰かは言うつもりはないけどとスマイルは小さく漏らした。 「……全く、そんなに僕を殺したいのかなぁあの女。まあ、殺したいからこんなことやってるんだろーけど」 幸いながら呟いた言葉はあまりにも小さすぎてリデルがその言葉を聞くことはなかったけれど。 血が、赤い血が、ポタポタと。石畳の上を浸食していって。石畳が赤く染まって。 頭が、頭がとても痛くて。痛くて痛くて仕方がなくて。とても泣きそうになって。 ――――ああ、スマイルを傷つけてしまった。 リデルは一番最初から、これを恐れていたというのに。 「…止めましょう、スマイル。言ったでしょう、私はお前を傷つけたくないのだと」 泣きそうな気分になりながら、リデルは懇願する。傷つけたくないのだと、傷つけることが何よりも怖いのだと。だがスマイルはリデルに近づいてその腕を取って恫喝する。 「それに対して僕は別にいいって言ったのも覚えてるよね? やってもらうよ、リデルはまだ術の使い方を学んでない」 強い力で握られた腕が酷く痛んだ。リデルはスマイルを見る。血だらけで、傷だらけ。四肢、頭部、腹部、背中、傷がない場所などそれこそないほど、スマイルは傷ついていた。 「死ななかっただけマシだよ。言ったでしょ、本来ならこの光球に触れればそれだけで死ぬんだって」 「…それでも嫌なのよ、私は」 そう思うことくらいは許して欲しい。本当に、本当にリデルはスマイルを傷つけたくない。だが傷つけてしまった今ではそれは仕方がないことだと諦めるしかない。そしてスマイルがリデルに術式を学ばせたいとするのならば、やらなければならないのだろう。 「…傷を、」 「え? 何?」 リデルはスマイルの傷を見る。リデルの術の暴走によって付いた傷。ならばこれからも失敗する可能性が高いリデルは再びスマイルを傷つける可能性がある。 「傷を早く治しなさい。お前が私を再び術式を学ばせようというのなら、失敗する可能性だって高いわ。だから早く傷を治して、万全の体勢で挑みなさい。…それから、多分これが最善の予防策だと思うのだけれど、私は多分地脈から力を引き上げることは出来るわ。だからお前がその能力を再加工して盾を敷きなさい、私の暴走でお前が傷つかないほどの盾を」 リデルがそう提案すれば、スマイルは意外そうな目でリデルをまじまじと見た。リデルはその視線を不快そうに受け止める。 「…何、かしら?」 「いーや流石リデルだなって。じゃ、早速も一回やろうかリデル」 「…お前、私の言うこと聞いてないでしょう」 結局、スマイルとリデルの努力もむなしく、その日も次の日もその次の日も――――リデルの術が術として成功することはなかった。 |