Noble Wish
【 承 】 ‐虚実の真ん中で‐ 03. リデルは幼い頃、一つのお話を聞いたことがある。 リデルが最後を過ごした別荘に、何故こんなにも書があるのか。様々な土地から集められた書ばかりが屋敷を埋め尽くしているのか。それを、リデルの幼い頃、大人達が教えてくれた。 この屋敷の元々の主は酷く本が好きで、本を愛していた。そしてその主は病気がちで外に出られない身だった為に、その人の気を紛らわせるために一族の様々な人間が本を持ってきたのだ。 元々、この屋敷は病気がちなその人の為に造られた物らしい。だからこそこんなにも自然が溢れた場所に作られたのだと。 でも今はその主はもういない。彼女は病弱で長くは生きられず、眠るように死んでいったのだ。 そして今はこの屋敷は自分たちの一族全員の別荘になった。それがこの屋敷が手に入った経緯だ。 何故だか話が途中からすり替わっていたような気がしないでもないが、リデルにはどうでもよかった。リデルには最初の部分だけで十分だった。 どうしてこの屋敷には本が大量にあるのか謎で仕方がなかったがそれならば納得だ。病弱な主が書を好み、そして周りが主の望むとおりに書を集めてやる。そしてこの屋敷は出来ていったのだ。 そしてその主の顔を、リデルはよく知っている。 リデルがこの別荘で子ども達と隠れん坊をしていた頃、偶然見つけた部屋に飾られていた巨大な一枚の肖像画。 慈愛と儚さを併せ持った、透けるような金の髪と月のような金の瞳。白磁の肌。穏やかな微笑み。 そしてその容姿は、うり二つの双子ではないかと錯覚してしまう程リデルに似ていた。 その肖像画の巨大さから、リデルは彼女がこの屋敷の主だと判断した。そして彼女こそが、古い者達が己を恐れる理由だと理解した。 ――――そして同時に、彼女がこの屋敷でどのような扱いを受けていたのかを理解した。 *** もはやスマイルとリデルの術の訓練が日課になってきたある日、リデルは廊下でばったりと吸血王…ユーリに出会した。珍しいことだ、いつでも執務室に籠もっている彼が外を出歩いているなんて。 「お久しゅうございます、吸血王。食事と紅茶は如何だったでしょうか。初めて使う食材ばかりでしたので、粗相がなければよかったのですが」 「粗相などない。多少変わった味付けだったが美味かった。それから、私のことはユーリと呼べと言っただろう、ミスオルブライト」 「それを言うならば貴方もです、ユーリ。そちらがわたくしにユーリと呼べと強制するのならば、こちらも貴方にリデルと呼べと強制しても宜しいのではないでしょうか。それに、敬語など使わなくともよいではないかと思いますが。わたくしは貴方の臣下だと思っております。上の者が下の者に敬語を使うなどあってはならぬことですから」 早口で捲し立てる。そうだ、リデルはそれが気に入らなかった。一方的に相手に対して要求を突きつけてどうするのだ。確かに相手は王だということは分かっている。だがそれだけでは納得できない。 リデルの気迫に気圧されたかのようにユーリが鼻白んだ。実際にはそんなことはないのだろうが、これこそ女性は強しということなのだろうか。 「…流石だな、リデル」 「光栄です、ユーリ」 リデルはまるで意趣返しのようににっこりと花のような笑みを浮かべ、ドレスの端を掴んで礼をした。 「それで、何をしている? リデル。スマイルでも探しているのか?」 普段はリデルの傍を片時も離れようとしない透明人間がいないことに気付いてユーリは尋ねた。 「いいえ、わたくしが探していたのは貴方ですユーリ。貴方に少しお尋ねしたいことがありまして今から執務室に向かおうと思っていたところです」 「私に? 何の用だ?」 ユーリが驚きの表情を浮かべる。それはそうだろう、リデルは今まで傍にいるスマイルで満足して、ユーリに話しかけることは殆どなかったのだから。 だがこれは恐らくスマイルは持っていない情報だ。ユーリに尋ねるのが一番手っ取り早いだろう。 「ええ、わたくしがこの城にやってきて数日が経ちましたが組織の動向はお掴みになられたのでしょうか」 ぴたりとユーリが動きを止めた。その反応にリデルは不審そうに尋ねる。 「吸血王…? どうかなさいましたか?」 「いや、何でもない。組織についての動向はこちらも未だ把握し切れていない状況だ。私の子飼いを集めて探させてみても余程巧妙に隠れているのか姿すら現れない。だが安心しろ、リデル・オルブライト。ここは領主の城、ここにいる限り外敵からの危害は加えられない」 ただし風邪などは防ぎようがないがなと吸血王は笑う。確かにそれは仕方がないとリデルも笑った。 「了解しました、ありがとうございます吸血王。その情報がいただけただけで十分にございます」 一歩下がって礼をする。それから立ち去ろうかと思っていたところにユーリからの声がかかった。 「ああ、ならばいい。…だがリデル」 「はい?」 「貴様、私のことを名で呼ぶはずではなかったのか?」 「はい、そう申し上げた記憶はございます。ですがわたくしは基本的に尊称で呼ぶ人間、滅多なことでは他者を名で呼ぼうとは思いません」 笑顔でまるで切り捨てるかのように言い張った。己の特別にならないと名で呼ぶことはないと、リデルはそう笑顔で言う。 「…ならば、スマイルは特別か」 「はい、あれは特別です。 ――――あれは、私の光ですから」 リデルが生きるために必要な希望。指標。それがなければ生きていけないと感じてしまうほどの絶望を抱いてしまうほどの。 「依存しているな、どうしようもないほど」 「ええ、自覚しております。ですが宜しいでしょう、スマイルに迷惑をかけるつもりではありません」 「そうではない。――――互いに、だ」 互いに、どちらがどちらともどうしようもないほどに依存している。 そうなのだろうか。リデルがスマイルに依存しているのは分かる。いつだったかは忘れてしまったが、リデルがスマイルを自分の光だと定めたあの時から確かにリデルはスマイルに依存していた。それは確かだ。だがスマイルはそうなのだろうか。そうとは思えないのだが。 疑問を正直に顔に出しているリデルにユーリは尋ねた。 「ならば一つ尋ねよう、リデル・オルブライト。 もしもスマイルが何者からの攻撃によって瀕死の状態だったとする。もはや虫の息で息が絶えるのももうすぐといったところで、お前がそこに通りかかる。その場にいた私が、お前の命を差し出せばスマイルを助けることが出来ると言ったならば…どうする?」 「喜んでこの身を差し出しましょう」 即答だった。何の躊躇も要らなかった。考える時間すら必要なかった。 「わたくしにとって、わたくしの命とスマイルの命は決して等価値ではありません。ですからこの命でスマイルが救われるのならば喜んで。わたくしはあれがいないと生きていけませんから」 そのリデルの答えに、ユーリは眉根を寄せた後にため息を吐いた。 「だから、互いが互いに依存していると言っただろう。…スマイルも、貴様と同じように同じことを言っていた」 リデルは目を丸くする。そんな会話が繰り広げられていたとは、知りもしなかった。 「知らないのは無理もないだろう。…これは、お前が目覚める以前に交わされた会話だ」 その言葉に、リデルは思わずユーリに掴みかかろうとして止めた。相手は王だ。己の敵うはずのない、上位種だ。 「お待ち下さい。それでは、スマイルも貴方も、わたくしが不死者として目覚めることを知っていたと…!?」 「さてな」 「お答え下さい、吸血王!」 焦るリデルとは裏腹に、ユーリは口元に緩やかな笑みを浮かべた。 「多少表現に語弊があったな。今のはお前が目覚める前だと言ったが、実質上はリデル・オルブライトが人間として生きている時期にこの城で交わされた内容だ。誤解を招く表現があってすまない」 ユーリはそう言って優しく柔らかく笑んだが、リデルはそれが嘘だと思った。先ほどユーリが言ったことこそ真実なのだと直感的に悟った。 「それで、こちらも一つ尋ねることがあった。構わないか?」 ユーリは話題を逸らすかのように疑問を提出してくる。 「ええ、構いません。どうぞわたくしに答えられることならば如何ほどのものでも」 「スマイルはどこにいるか知っているか?」 スマイルに何か用なのだろうか。用なのだろう。用でなければ呼びなどしない。それにスマイルはこの城の中で意外と重要な位置を担っているようだ。 「はい、恐らく今はこの城の一番の地下の部屋にいるのではないかと思われます」 その言葉を聞いた途端、ユーリの瞳の色が変わったように見えた。 「――――地下?」 「はい、あの術によって鍵がかかっていた、地脈の真上と言われるあの地下です。スマイルが陣を使ってまでして解いたのですが…何か?」 「そこで何をしている?」 詰め寄ってくるユーリに、リデルは事細かに説明した。 「スマイルがわたくしに術を教え込もうと躍起になっております。わたくしとしては一番最初の術でスマイルを傷つけたので、止めようと申したのですがスマイルが止まらずに…」 「術を教えている、だと…」 まるで信じられないものを見るような眼差しで虚空を見るユーリ。体はどこかふらついており、どこかしら憔悴している。あの部屋を使用することはそれだけおかしなことだったのか。 「…申し訳ないがリデル、スマイルに用があるので少しの時間呼び出させて貰う。構わないか?」 リデルは小さく頷いた。 「ええ、勿論ですユーリ。ですがスマイルに対する仕置きは程々に。一応、アレはわたくしのことを思ってやった行動なのですから」 「考えておこう。それでは、失礼する」 ユーリは最後はリデルとも目を合わせずに足早に立ち去った。恐らく向かう場所は地下だろう。そこで話をつけるのか、それともまた階段を上って執務室で話をするのかは分からないが、だとすればリデルはどうするべきか。流石に今から地下に下りるわけにはいかない。 ふむ、とリデルは頭を抱えるのであった。 *** 「スマイル! 貴様何を考えている!」 「何って、何が?」 地下へと駆け下りてきて真っ先に憤りを見せたユーリをするりとはぐらかし、スマイルは笑った。 「リデル・オルブライトに術を教えていることだ!」 「ああ、そのことかぁ。ふぅん…リデル喋ったんだ。まあいいや、口止めもしなかったしねぇ」 したらその方が怪しまれるし、とスマイルは嘲笑にも似たいつもの笑い声を上げた。 「何のつもりだ…。リデル・オルブライトに術を教えるなど、自殺行為にしかならないぞ」 ユーリの苦々しげな苦言が聞こえる。ああそうだろう、その通りだろう。領主 「いいんだよ、これで」 「スマイル…?」 不審そうなユーリの表情。先日のリデルの表情に重なる。――――ああ、やっぱりこの二人は似ている。何が似ているって、魂のあり方が似ているんだ。自分よりも余程、ユーリとリデルは似ている。 そして彼女も、あの時はほんの少ししか会話はしなかったけれど――――リデルに似ている。 リデルはそれに気付かなかったかもしれないけれど。 「確かに自殺行為だろーねぇ。でも別に、自殺行為でいい。僕はさぁ、リデルに身を守る力をあげたい」 あの時、あの女と己の間に割って入ったリデル。何の策もなく、まだ目覚めたばかりで体は人間に近かったというのに、何の躊躇もなく見に降り掛かる危険も顧みずスマイルを庇ったリデル。 あの時、再びあの恐怖を味わうのかと、胸が冷えたのを彼女は知らない。 だったら、あんな思いをするくらいなら。自殺行為だろうが何だろうが構わない。 「…彼女はお前が瀕死の時、喜んでその身を差し出すと言っていたが?」 「僕はリデルに生きていてほしいんだよ、ユーリ」 それがスマイルの中の唯一の真実だ。 この身を取り巻くすべての糸は様々に絡まって、もう解くことすら叶わないけれど。スマイルにとってはこれだけは唯一の真実。 …そう、リデルがスマイルを光だと認識しているように。 スマイルも、リデルを光だと認識しているのだから。 「それは不可能だと認識していてもか?」 「不可能なんて言葉はないんだよ?」 茶目っ気たっぷりにスマイルは言い、ついでにウインクまでしてやる。 「…信じているのか? あの娘を」 「信じてるわけじゃないよ、ただ…」 生きていて欲しい、と祈りのように願いのようにスマイルは吐息のような微かな声で呟いた。 「それに、張った伏線がそろそろ効果を発揮する頃なんじゃないかなぁ?」 「…伏線?」 「そ、伏線。多分彼女が生き残る確率を格段に上げるための伏線だよ」 そしてスマイルは虚空を見上げた。その視線の先には、恐らくリデルの部屋があることだろう。 |