Good Night.

[ 1 ]

 夜、目が覚めるといつの間にかテーブルに着いていた。
 おかしいな、とあやふやになった思考回路がそれでも正常な判断を下す。今日、自分は確かにベッドの中に入ったのに何故こんなところにいるのだろう。
 寝ぼけているのか、と思ったがそれも違うみたいだ。寝ぼけて別の場所に移動したにしては、彼女はこんな場所を知らなかった。
 もしかしたらこれは夢なのかもしれない。だってそうなのだ。自分はこんな場所を知らない。
 彼女がいる部屋はリビングのようだった。中央に少し大きめのテーブル、床には見事な紅い絨毯が引かれている。外は雪でも降っているのか窓の外が白く染まっていて、その寒さを和らげるように部屋に取り付けられた暖炉の火が赤々と燃えている。
 そのせいか寒さは感じなかった。だが全ての感覚が曖昧なせいで、本当に寒くないのかどうかは分からなかった。
 彼女はその中で、少し大きめのテーブルの回りを取り囲むようにある六脚の椅子の中の一つに座っているようだった。
 ようだった、と曖昧なのはやはり感覚が曖昧だからだ。まるで夢を見ているように全ての感覚がぼやけていて、それこそがこれが夢だと確信させるのだ。
 ああ、これは夢か。夢なのだ。だったら何が起こっても不思議ではない。ぼんやりとした思考回路が確かな判断を下し、彼女は茫洋としたまま目の前のテーブルを見た。
 テーブルには白いテーブルクロス。その上に白磁のカップとソーサーが対になって、椅子と同じように六つ鎮座されている。白く滑らかな陶器のティーポットからは湯気が上がっていて、まるでこれからお茶会でも開かれるみたいだ。
 そうだったらいい、とこれからのことを想像して小さく笑った。せっかくの夢なのだから楽しいことがあればいい。
 嫌なことがあったような気がする。悲しいことがあったような気も。
 だけどそれを深く追求する気はなかった。楽しいことが待っているときは、楽しいことのことだけを考えればいい。
 そんなことを考えていれば、いつの間にか自分の前のカップには湯気が立った液体が注がれているではないか。この色からするに紅茶だろうか。だが茶葉の種類までは特定できない。匂いでもあれば分かるのだろうが、如何せんこれは夢だ。夢なのだから確認しようもない。
 誰が入れたのだろうかと彼女は辺りを見回した。しかしそんな影はどこにもない。
 夢ならばこういうことがあるのだろう―――。そう納得してカップに手を伸ばそうとする彼女に、かける声が一つ。
「紅茶は好きか?」
 ハ、と声のした方向―――彼女の真正面、テーブルの向かい側を向いた。そこには銀の髪の青年が悠然と座ってこちらの答えを待っていた。ちなみに彼の前にも彼女と同じように湯気の立っているカップが一つ。
 つい先ほどまでは確実にいなかった人物だ。だけどどこかで見たことがあるような気もする。
 だが記憶から出てこないのも確かで、だから考えるのを止めた。考えても仕方ないことは考えない。それにこれは夢なのだ。
 好きです。そう答えると彼は笑った。
「そうっスか、なら良かった」
 嬉しそうに答えるのは、銀髪の青年の隣に立っている緑の髪の青年だった。浅黒い肌の彼はティーポットを持って佇んでいる。どうやら彼が紅茶を入れて回っているようだった。
「すぐにお菓子も出てくる。美味しいから期待して待ってるといいよ」
 ヒッヒッヒッ…と笑う(?)ような声も聞こえてくる。どこから声がするのだろう、と思っていたら再び銀の髪の青年の隣―――といっても緑の髪の青年の反対側だが―――に白い歯が見える。
 驚いて目をこらしたり何度も目を擦ったりはするがその白い歯は変わらずそこにあった。もしかするとあれが声の主だろうか。
「■■■■、お客様に失礼よ」
 足音と共に耳に届いたのは少女の声だ。少女の声は彼女の背後から聞こえてきたので振り返ると、薄い水色の髪の少女が立っていた。腰を越す長い髪には緩くウェーブがかかっていて、まるで本物の波のようだと思う。
 少女は片手に、パイが乗っている皿を抱えていた。あれが先ほどの口が言っていたお菓子なのだろうか。
「えー、やっぱダメなの? ■■■」
 口の声は確実に少女を向いているのに、それに答えたのは銀の髪の青年だった。
「ダメだ。早く止めろ、■■■■」
「…りょーかい」
 口は渋々といった口調で呟くと、まるで包帯を解いていくかの如くその姿を現した。
 青い髪、青い肌、肌に巻付けられた包帯。その姿は青年のそれだった。
「こんばんはー、■■■■、お嬢さん」
 改めてこちらを向き直った青年はそう言った。彼女は小さく頷いて会釈をする。そういえば彼女には青年が最後は何と言ったのかはうまく聞き取れなかったけれど、それはさして重要なことではないような気がした。
 青い髪の青年は、まるでアリスを招いたチェシャ猫のように笑って道化のように大仰に礼をする。
「お茶会へようこそ。大したことはできないけど、楽しんでくれたら嬉しいよねェ」
 応じるように小さく頷いた。青年のこの答えに満足したのか、パイを持って来た少女を伴って青年の目の前―――つまりこちらからは二時の方向―――の席に着いた。
 やはりその前には二つの紅茶がある。いつの間に置かれたのだろう。先ほどはなかったというのに。
「不思議かしら?」
 こちらがじっと見ていたのか、少女は尋ねてくる。それに小さく頷くと、少女は少しだけ悲しそうな顔をした。
 どうかしがのだろうか、何か不愉快なことでも言ってしまっただろうかと素直に口に出すと少女は悲しそうな表情を変えぬまま小さく首を振った。「何でもないのよ」と笑った。
 そこには確かな悲哀があった。
 きっとその悲哀は自分が生み出したものなのだろう。彼女はそう判断する。そして生み出した当人である自分がそれを取り払う術を持っていないのは火を見るより明らかだった。
 だから小さくごめんなさいと呟いた。何に対して謝っているのかはよく分からないけれど、いつの間にか口が勝手に動いていた。
 少女は彼女の言葉を聞いて、「いいえ」と首を振った。それだけで十分だとばかりに笑った。
 その光景に、表情に。
 ―――彼女はいつかの光景を幻視する。