Good Night.

[ 2 ]

 目が覚めると、よく分からないところにいた。
 周りは冷たい石畳で覆われていている小さな部屋で、どうやら物置として使われているみたいだった。使われなくなった小箱なんかの小物がたくさん積み上げられていた。
 ここはどこだろう。私は確か、ついさっきまで誰かの傍にいたような気がするのだけど。
 だけどその記憶もあやふやで、結局は何を考えていたのかよく分からなくなってしまった。
 ふとがらくただらけの辺りを見回していると、その中で少し異質な物を見つけた。
 ここからじゃよく分からないから辺りのがらくたを踏みつけないように気をつけながら近付いていくと、そこにはこの部屋と同じように石で出来た扉があった。
 かなり重そうな扉で、きっと私の力じゃ動かない。それだけは確信があった。
 だけど触れてみれば、何故か扉は自動的に開いていくのだ。もしかしてここの扉は全てそういう仕掛けになっているのだろうか。
 驚いていれば、開かれた扉の前に誰か人が立っていた。
 緩やかに波打つ薄い水色の髪、紅玉みたいに赤い瞳、身に纏っているのはたくさんのフリルがついた黒衣、柔らかく浮かんでいる笑み。香り立つ気品。
 綺麗な女性だ、と思う。どこかで見たことがあるような、ないような。
「あら、こんなところでどうしたの?」
 彼女は私に気づくとそう言って、私の手を引いて部屋の外に連れ出した。
「■■■が探していたわ。だから早く戻らないと」
 石造りの廊下を歩く彼女は私の意志など関係ないとばかりに、いとも容易く私を連れて歩く。まあ私も何も言わないのだから、どう捉えられても仕方がないのだけれど。
 だが、■■■、とは誰だろうか。聞いたことがあるような、ないような。つい先ほど傍にいたのが彼女のような、そうではないような。
 記憶というものが曖昧で、現在の私ではこの一件を上手く思考を処理しきれない。だから私は考えるのを止めた。
 石畳の階段を上る。手を引いてくれる彼女に着いていく。長い階段を上り終えたところで、彼女は大きな広間に佇んでいた誰かに声を掛ける。
 それは小柄で黒髪の少女。細い肢体。白い滑らかな腕。
 あの腕は私をよく抱いてくれていた。
「あら、■■■―――」
 ぶつんと、回路のどこかが断線する音を聞いた。

***

 ………意識がどこかに飛んでいたようだ。
 何を考えていたか覚えてはいないが、ふと引き摺り戻された意識に彼女はそう判断する。
 改めて辺りを見れば、先ほどと全く変わっていない光景がある。いや、多少変わっているのは先ほどこの場にいた全員がきちんと席に着いているということか。
「あの、大丈夫っスか?」
 意識を飛ばしていた私に気づいたのか、緑の髪の青年が心配そうに尋ねる。私は小さく頷いた。
「なら良かった。
 紅茶もお菓子も沢山あるっスよ。どんどん食べてくださいね!」
 その笑顔をどこかで見たことがあった。
「大好きなクルミのクッキーもあるっスよ!」
 その言葉に、再び私は幻視をする。

***

 カチャカチャと音が聞こえる。
 厨房らしきところに降り立った私は、小さく辺りを見回した。
「あれ? どうしたんスか?」
 私が彼に気づくよりも前に、厨房の奥の方に立っていた彼が私に気づいて声を掛ける。
「今日は■■■ちゃんはどうしたんスか? いつも一緒なのに珍しいっスね」
 ■■■は今は銀の髪のあの人の所で一眠りしている。だから珍しく私はここにいるのだ。
 小さく呟くと、彼は成る程と笑った。
「■■■ちゃんは■■■の所っスか。だったら安心っスね」
 そう、だからこんな風に遊んでいられるのだ。
 小さく笑うと、私は彼の元へと向かう。まだ夕食時ではないのに何をしているのだろうか。
「この間、森でたくさんのクルミが採れたんスよ。だから今日のお茶請けにしようと思って」
 その言葉の通り、厨房を覗けばたくさんのクルミとクルミの皮がこんもりと山を作っていた。取り出したクルミはボールの中にあるようだ。
 確かにこれは凄い。驚いていると、彼は小さな提案をしてきた。
「クルミ、好きだったっスよね。だったら何か好きな物作ってあげるっスよ」
 しぱしぱと目を丸くする。それは―――私のような居候には過ぎたる自由なのではないだろうか。
 私の様子に気づいたのか、彼は小さく笑った。
「これだけ量があるんだから、ちょっとぐらいいいっスよ。■■■も何も言いません。それに、ちょっとは我が儘言ったってバチは当たらないっスよ?」
 笑いながら彼は言う。言いながらもその手は動いていて、器用にクルミの皮を割っていた。流石人狼。力は強い。
 だけど、それは―――。どう答えていいか分からず少しの間私が沈黙していると、彼は苦笑しながらもう一つ言葉を付け足した。
「じゃあ交換条件っス。俺一人じゃこのクルミを処理しきれないんで、今から■■■さんを呼んできてください。事情を説明したら■■■さんも手伝ってくれる筈なんで。
 呼んできてくれたご褒美に一品追加―――ってことでいいっスよね?」
 それならば、と私は小さく頷いた。それだったらお安い御用だ。
 今にも飛び立とうとする私に、彼は「その前に」と私を引き留める。
「何が食べたいっスか?」
 その問いかけに、私は。
 クルミは生で食べるのが一番だけど、偶にはと。

 ―――クルミのクッキー、と答えたのだ。